71. オンガクゼンパン。

「先生、音楽って何を聞くんですか?」
事務の坂口さんに聞かれる。

こういう質問は非常に多いので、とりあえず、
「洋楽全般ですかね」
こう答えておくようになったのは、大学の頃からだろうか。

*

先に別の進学校に進学した兄の影響で、私が小学校2年の時、わが家に洋楽が持ち込まれた。
教科書どおりのプロセスであるが、まずはWham!、Duran Duran、Culture Clubの御三家が、テープで来た。まだギリギリCDが無かった時代である。レコードを録音する事ができる生徒は、今で言う"神"だったようだ。Van Halen、REO Speedwagonなどをテープで聴くとともに、兄はFMラジオで放送される曲を調べては、テープに録音していた。

それから1年。CDの登場である。我が家には、レコードプレーヤーは有ったが、録音ができなかったため、発売されて間もないCDプレーヤーを、テクニクスのコンサイスコンポに増設した。しかし、CDメディアが普及し、さらにはレンタルCD店がまともに機能するまで、1年余りが必要であった。CDが1枚3,200円。レンタルが一週間で1枚350円の時代である。

CDを買うのはもとより、借りるのもそれほど気軽でなかった時代、とにかくラジオからかかる曲を貪るように聴いた。コーセー化粧品歌謡ベストテンの次の時間の、ダイアトーンポップスベストテン、リックディーズアメリカントップ40、増田俊郎のマイナーリクエスト等など。The Power Station、ABC、Dream Academy、ロビー・ネビル などなど、意識の深層どころか、超自我レベルに刷り込まれているのである。1985年頃、2年間限定で大晦日の紅白歌合戦の裏で、「世界紅白歌合戦」という番組を民放がやり、NHKからは「営業妨害だ」という大バッシングを受けただけでなく、"Careless Whisper" をバリー・マニロウと西城秀樹に歌わせて、洋楽ファンの顰蹙も買うという、大盤振る舞いをしたのだ。

しかし、そんな小学校時代ではあるが、邦楽でもサザンオールスターズの"Miss Brand New Days"など、突然ビビッと来る曲はあったし、吉川晃司や岡村孝子の曲を口ずさんでいたことも有った。そしてトムキャットとC-C-Bは当然のように大好きだった。同時期にヒットした2曲を聴くために、歌謡ベストテンという番組を聴いていたレベルだ。

中学から大学までは、CDを借りて録音の上、ジャケットを86%の白黒写真対応コピーでコピーし、きれいにカセットテープの幅に納めるという方法を、兄が伝授してくれたため、カセットテープ集めに奔走した。兄が大学に入り、高校になると、兄とは違うルートを探すため、BSのMTV番組を毎週録画し、中古のCD店を回るようになった。この時期は、完全にメタル少年であった。あまり歪まなかったけど、エレキギターを手に入れ、Iron MaidenやHelloweenのリフ(曲の出だしなどの印象的なフレーズ)を、断片的に練習していた。

大学時代には、弾ける曲に気がついて、メロコアからギターロックへ。一方でヒップホップブームに乗っかって、R&Bやラップ系も精力的に聴いた。高校時代と変わらず、バンドもやらないのに、バンドサークルに入っている友達とよくつるんでいた。

大学院以降、就職するにあたり、就職活動の移動時に対応するためMP3プレーヤーを購入したところ、生音より電子音で、低音を求めるようになって、アシッドジャズから始まり、ハウスやテクノ、ファンクやジャズを聴くようになる。就職後、結婚するまでは出かけるごとにCDを購入していたものの、結婚して妻がCD棚を解体し、押し入れに突っ込んでしまったところでCDの購買意欲が無くなって、今に至るというわけ。

*

とまあ、「全般」なのだ。新譜を追いかけなくなったので、新しく出てきた人はおろか、過去の人達がまだ活動しているのかも全くフォローできていない。

坂口さん。
「ホール・アンド・オーツとか聴きます?」
「あ…、実家にレコード持ってましたね。”Everytime you go away” が入っているやつ」
「"Voices"ですね」
「詳しいですね」
「私はねー、"Private Eyes"かなー、やっぱり」
「代表曲だけど、アルバムでしたっけ。どういうジャケット?」
「白黒で、顔が左右に半分に…」
「あー、知ってる知ってる。あれなのかー。って、全部持ってたりします?」
「うん、レコードで」
「すごい。マニアだ」
同室の事務員の辰巳さんは、ポカンとしている。

坂口さんは続ける
「ウチねー、ダンナがものすごいレコード集めてて、オーディオルームなんて作ってるのよ」
「オーディオマニアっすか」
「そう。こーんな、こーんなコードとか買ってきて、どこの視聴覚室作るのよ?みたいなのでスピーカーを繋いで、『どうだ、音が違うだろう?』とか言うの。解るわけないよねー」
坂口さんは、指で太さとリールか何かの大きさを示しながら憤っている。

「うちなんかミニコンポしかないからねー」
と辰巳さん。
「これがね、違うとか言うのよ。ミニコンポでもコードとスピーカーの下に敷く丸いやつ?あれで音が変わるとかいうの」
「インシュレーターですかね」
「そうそう、そういうやつ。これが1つ1万円とかするらしくて」
「高っかー」
「でしょー。でも、私とか聴いてもわかんない。100円でベーゴマでも買ってきてやればいいじゃん」
坂口さんはお怒りである。ベーゴマ1個100円でスピーカー2台で8個800円でも高いと思ってしまうのが、我々庶民である。

辰巳さんから聞かれる。
「そういえば、武井センセは、楽器とかやるから、オーディオも凝ったりするんです?」
「いや、普通にミニコンポですね。もう10年近く前に3万くらいだったかな?聴くのも最近はUSBメモリに入れてとか。あとはAmazonで、Youtubeアプリをテレビでかけたり」
Amazonとは、Fire Stickをテレビに挿しっぱなしなのである。話は通じている。
「そうそう、私達だと、Youtubeで十分音いいですよねー」
坂口さんが割り込んできた。

「楽器の練習は、最近はほとんどYoutubeなんですけど、おんなじ曲ばっかりになるんですよねー」
「わかる!ウチはすぐ嵐がかかる。聴かないのに」
「ウチはJamiroquai の "Virtual Insanity"ですね。Van Halenの次がJamiroquai」
「その割に、検索しても出てこなくて、『歌ってみた』みたいなのが出てきて、お前が歌うんかい、みたいなー」
辰巳さんは続ける。
「そういえば、SMAPってYoutubeに無いんですよね」
「え?無いんです?」
「正式なやつはないんです。嵐も最近まで無かったし」
「へー、知らんかった」

いろいろなものが万遍なく見られるはずのYoutubeにも、無いものが有るのだ。

「センセーはYoutubeに動画あげたりしないんです?」
「しません」
「楽器やってるんだから、『弾いてみた』とか、いいじゃないですか」
「いや、間違いなく思ってるより下手ですよ」
「えー、見たいなー」
「絶対に嫌」
「じゃあ録音して音だけ」
「しません」
「CDデビューしたら」
「しませんって」