78. 困った学生。

 学生と折り合いが悪かった。かれこれ3年にもなるが、全然研究が進まず、研究のスタートラインでジタバタしている。それは本人が原因なので仕方がないところではあるのだが、困ったことに「研究が進まないのはタケイのせい」と周囲に言ってまわり、私には何も相談に来ないのである。

学生である彼女の名は、通称「キャンディ」である。本人がそう呼べと言うのでそう呼んでいる。バングラディシュからの留学生で、旦那が日本に就職したため、その暇をつぶしにか、研究を始めた。修士に入ればいいものを、いろいろな手を使って博士課程に入ってしまったのが、すべての間違いであった。

なお、留学生と言うと中国などの東アジアからと言う印象が世の中では強いが、韓国からは1990年代、中国からも2000年代前半を最後に、激減している。その代わりに多くなったのが、バングラディシュとインドネシアの留学生である。彼らの多くはムスリムであり、お土産などの選択が難しい。

*

さて、キャンディさんが入学する前、念の為に母国で行っていたという研究の内容をプレゼンさせてみた。とある植物から抽出した成分が、カビの増殖を抑えるというという、よくある研究ではあったのだが、カビとして使われているものが酵母菌であったり、実験のなかでは本当にペニシリウムだのアスペルギルスだのと思われる、胞子を持った植物的なカビが、抗菌力とは無関係に生じている図が散見された。

質疑応答は英語で行われた。
「あの、その図、カビが生えてるよね」
「ええ、でも酵母じゃないから、この研究とは無関係です」
「で、どういうカビの種類が生えているの?」
「知りません。酵母ではないので」
「タイトルが "anti-fungal actibity”なのに、カビが生えちゃっていいの?」
「酵母ではないので」
「いや、あの、一体、どういう滅菌方法使ってたの?」
「普通に、オートクレーブをしてました」
「その後は?」
「市販の抗菌剤を混ぜた培地を作ります」

そこで、他の研究者からも疑問がわきあがった。

「え?抗菌剤を混ぜるの?」
「いつも混ぜているので」
「酵母は抗菌剤に耐性なの?」
「酵母も抗菌剤で死にます」
「おかしくない?酵母の種類は?」
「酵母(イースト)は酵母です。それ以外は知りません」
「過去に論文は?」
「これが新しいのです」
「いや、論文出てないの?」
「調べてません」

我々、研究者同士には「こりゃだめだ」という空気が流れた。

「まーでもー、がんばるっていってるからさー」
しかし所長は脳天気である。

「でもこれ、勉強してこなかった人でしょ?論文が読めてないし」
私も、我が事なので止めに入る。

「でもまー、他に行くとこもないんでしょー」
最悪だ。

「彼女は2016年の年間最優秀学生っていうのにも選ばれてるんだってー」
そして、その最悪のまま、採用され、私の下で研究を行うことになった。

*

その後、試験には名前を書けば入れるという、S大学博士課程へ入学し、研究所に配属された。配属直後はしばらくテーマが決まらないので、かんたんな基礎実験を教えながら、論文を渡して読むように指示をする。

1週間後、実験室で彼女が泣いているという報告を受け、見に行った。

「なんで泣いてんの?」
「…」
「言わないとわからないだろ?」
「…」
「一体、何?」
「…わからない」
「何が?」
「…誰も教えてくれない」
「は?What?」
「…試薬の場所…」
「え?先週2回やったのに?」
「…」
「で、誰かに聞いたの?」
「…聞いてない」
「なんでえ?」
「みんな、私のことをバングラディシュ人だから差別している。バカにしている。だから教えてくれない!」
「聞いてないんでしょ?」
「関係ない!差別している!!」
「…差別関係ない!聞かなきゃ教えない!ここにあるやろ!」
つい強い口調になってしまった。

その後1週間、彼女は全く口を聞くことはなかった。

*

次の週、少し雰囲気がやわらいできたと感じたため、彼女の最も苦手と見た、論文読解の特訓を始めることにした。正攻法の生化学アッセイの論文を選び、渡す。

「一週間読んでね。それぞれの図と、実験方法について解説してもらうから」
「…」

そして一週間。

「論文読んだ?」
「…」
「じゃあ解説お願い」
「…」
「まだなの?」
「…」
「…うーん、じゃあ後2日。金曜日の午後にもう一度聞くから、その時までに読んでおいて」

私は知っていた。彼女が論文1枚目のタイトルと抄録の部分を、毎日1時間以上じーっと眺めているだけということを。読めているわけがない。というか、よく毎日1時間、面白くもない1ページ目を眺めていられるものである。

2日。金曜の、周りも少し浮ついた午後。
「…読めたよね?解説して」
「…この論文は、アミノ酸脱水素酵素がヒストン修飾酵素によって制御されている論文です」
「…」
「…」
「…終わり?図1は?」
「…この図は、アミノ酸脱水素酵素がヒストン修飾によって制御されています」
「これ、電気泳動やろ」
「アミノ酸脱水素酵素です」
「何の細胞?」
「…」

あわてて論文をめくったりひっくり返したりし始めた。そんなことは図の説明文に書いてある。

「…」
「じゃあさ、その次のグラフは何を示してる?」
「アミノ酸脱水素酵素の活性が有るのです」
「x軸とy軸は何?どういうアッセイをやってるの?」
「アミノ酸脱水素酵素の活性です!」
「うん、わかった。でもアッセイの中身がわからなければ意味ないし、y軸は何の数値?」
「活性です!!…ウゥゥ…」

またもや号泣。

「…あのね、どういうアッセイか、論文を読んで理解できなかったら、あなただって実験なんかできないんだよ?」
「ウゥ…」
「…わかったよ、月曜日までに図1だけでいいから、完璧に方法と図の意味を読んできて」
「…」

月曜日、彼女は来なかった。

*

それから3年。本人はともかく所長とも何度もキャンディさんのことで衝突した。キャンディさんはと言うと、3年間、私の細かい性格に合わせながら、いくつかの実験は、指示通りにできるようになった。しかし、博士課程にもかかわらず、一つの実験が終わると何をやっていいのかがわからなくなり、数日来なかったり、デスクでぼーっとしていた。当然ながら、論文を書くというレベルには到達していなかった。

基本的に彼女の場合、一つのことは一つのことしか頭のメモリに記憶されない。A法という手法で何かを解析できた後、同じA法で別の試料を解析するという、応用が一切効かなかった。

そして、相変わらず論文を読むことはできなかった。グループ内での抄読会でも、タイトルだけをなぞり、中身は一切読めていないということがあり、それを指摘すると泣きながら帰ってしまうのだ。

また、逆恨みや思い込みは入学時よりもひどくなった。ある日は、私が自分の電卓で計算している「それはもう私のものだ。かってに使うな」と抗議を受けたが貸しはすれ、あげたという事実は一切ない。また別の日には、部屋の真ん中にからのコーラのペットボトルが置かれていたので、邪魔だなあとゴミ箱に入れたところ「私の領域に勝手に侵入した。ペットボトルがないのはその証拠だ」と言いがかりを受けたりした。そこまで来ると、もう怒る気も起こらなくなってしまった。

そして3年。S大学大学院の博士課程では最終学年である。卒業までの年限の延長が必要なことは確実。そんな秋、事件が起こったのだった。

*

いつになく、ウキウキに見えたキャンディさん。実験をするのかと思っていたら、来て荷物を置いてどこかに出かけてしまった。戻ってきても、手持ちの最新型iPhoneをいじっているだけで、全く実験をする気配がない。そんな日が何日か続いた。

一方で、夕方間近になると毎日、何が有ったのかわからないが、もうひとりのバングラディシュ人留学生サジさんと、大声で口論をするようになった。ベンガル語なので、全く意味がわからない。サジさんはキャンディさんの1年後輩である。彼は無鉄砲なところと見当違いなところは有るものの、非常に真面目で、意地でも新しいものを見つけてやろうという、日本人学生にはないパワーというものがオーラのようなものを感じる学生だ。そして、キャンディさんは、その口論の後、すぐに帰宅してしまうのであった。

そんな日が数日続いた後、事務の坂口さんが私のデスクまで来て、言う。
「ちょっと…ちょっといいです?」
「はい?」
「あのー、キャンディさんのこと、聞いてます?」
「ん?知りませんが」
「来月、国に帰るらしいんですよ」
「えー!?」
「旦那さんがすでに帰国していて、バングラディシュで職についたらしくて、それで」
「ああ…そう」
「それで、所長がね、引き止めてほしいんだって。それを武井さんにお願いしてって」
「…やだなー」
「ですよねー」

所長の思惑はわかる。3年間、ダメ学生であっても、ものすごく多額の研究費をつぎ込んできたし、少しはデータができているので、もったいないから論文にしたいのである。

一方で、我々研究員からすると、キャンディさんが在籍しようが帰国しようが、手伝いと代わりに実験を行うのは我々であり、むしろ本人がいない分、気が楽にできるのである。

「ということで、止めません。帰ったらええんです」
「他の人もそう言ってました」
「で、いつ帰るんです?」
「12月の末って言ってましたよ」
「また、飛行機の高そうな時期に…」
「飛行機は、ガラガラなんですって、コロナで」

*

そして12月半ば。年末の忙しい時期に、日本語がダメなキャンディさんのため、アパートの退去や不用品の処分、公共料金の支払停止などの手続きや荷物持ち出しは、事務の坂口さんと辰巳さんがほぼ2人で行った。キャンディさんはと言うと、S大に休学届を出し、飛行機を予約しただけで、非常に晴れ晴れと楽しそうである。

そんな中、一つ問題が持ち上がった、坂口さんから聞いた。
「武井先生、キャンディさんのコロナのPCR検査なんですけど」
「は?」
「ウチの研究所でできないかって聞いてきてるんですが」
「は?無理でしょ」
「ですよねえ、で、T市に3000円で検査してくれるところがあるっていうことなんですよ」
「ふーん、でもなんでこんな時期に?」
「陰性の証明書がないと、飛行機に乗せてもらえないらしくて」
「あれ?帰国って来週じゃなかったでしたっけ?」
「そうなんですけど、帰国の3日前以内の証明書がほしいらしくて、保健所って、無理ですよねえ?」
「いや、保健所は個人で頼んでも、やってくれるところじゃないですよ。あ、そうそう、個人クリニックの検査とか、薬局の検査薬って、診断書に1万円くらいかかるんじゃないです?」
「さあ?本人がそこでいいって言うんで」

そして数日後。帰国2日前。
「武井先生~」
坂口さんはすでに泣きそうである。
「キャンディさんからー、診断書がもらえないからどうすればいいかって…」
「検査はしたんですか?」
「したらしいんですけど、診断書が有料だからって頼んでなかったのと、英語の診断書は1週間かかるって」
「…それは受ける前にわかってたんじゃ」
「そうなんですよね…」
「で、飛行機は?」
「キャンセルして、成田の知り合いの所に泊まってるって」
「あ、そう」
「…」
「なんとかなりそうでしょ?」
「いいんですかね?」
「もう、ウチと関係ないですよ」
「…ですかね」

その後、キャンディさんが無事帰国したかどうかは、誰も知らない。