66. 寒さで。

 朝起きたら、意外と暖かい日々がとうとう終わり、震えながら暗闇で着替えが必要な季節が来た。11月の終盤である。

年齢を重ねるごとに、朝はきっちり起きられるようになってきた。例の新型肺炎の影響で、相変わらず1時間速い出勤が求められており、毎朝の携帯電話の目覚しは5時10分にセットされている。11月に入ってから、同じ時間でもみるみる暗くなり、11月末ともなれば、家を出る6時前後にもようやく水平線が明るくなり始める程度だ。妻は「暗すぎて、洗濯できる天気なのかわからない」とぼやいている。

11月の最終の週末。休日の日課の散歩という名のブックオフ・ハードオフ巡りに出かけようとして、ドアを開けた瞬間、あまりの風の冷たさに、思わず家に戻ってしまった。これはもう、ウィンドブレーカーで出かけられる季節ではなくなってしまった。

慌てて、二階のウォークインクローゼットに向かい、薄手のダウンジャケットを探す。5年ほど前にブームになっていた、ユニクロのライトダウンジャケットだ。同系列の店で、ウレタン綿のよく似たジャケットも、色違いで2枚購入した。薄くて温かく、ユニクロ純正であれば、畳んで小さく収納できるので重宝している。しかし、気温が氷点下になると、寒さを防げないのが欠点である。

11月の末とはいえにライトダウンジャケットは早いのではないか?そう自問自答しながらウォークインクローゼットを探すが、緑や水色チェックの派手なものが見当たらない。妻が衣装ケースにしまい込んでしまったのだろうか?と聞こうか悩むが、2週間ほど前に衣替えで衣類をひっくり返していたのでそれはないだろう?楽器部屋の小さなクローゼットも調べるが、見当たらない。うーむと悩みつつ、もう一度ウォークインクローゼットを見回すと、畳まれて置かれていた。そうだった。去年、棚を設置したのだった。

はたして、今季初のライトダウン外出。やはり日中は少し暑かったが、夕方以降はちょうどよい。

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私は、寒くても薄着で平気だった子供時代から、衣装や季節家具の季節感に敏感ではなかった。そのせいで、季節の変わり目には頻繁に風邪をひき、それを繰り返すことで、外出時に「あ、これ風邪ひくやつ」という感覚が養われた。その感覚が出ている時点で、手遅れなのだけれども。

そこで、大学の3年、一人暮らしは3年目に、寒くなる前にスパッといろいろと入れ替える日を決めた。11月3日である。ちょうど学園祭で暇な時期である。まだそれほど寒くなくても、ホットカーペットを敷き、冬物の上着を薄いものから出していく。出さないと、我慢して11月末でもシャツ1枚で過ごしてしまうのだ。

また、大学時に、それまで耐久性に疑問があって嫌いだった、ナイロン製のウィンドブレーカーに目覚めた。化繊のセーターの上に、ペラペラのウィンドブレーカーでも、十分自転車の風に耐えられることを知ったのだ。当時は「ヤッケ」と呼んでいたが。真冬でもウィンドブレーカーで過ごしていたので、同級生から「寒そう」と何度も言われていた。

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そんな感覚で生活をしていたので、おのずと生じるのが、出先で寒くて服や防寒グッズを買い求めに奔走することである。恥ずかしながら、ここ10年あまり、この季節の恒例行事になっている様に感じる。

もっと古い過去も有るだろうが、よく覚えているもので一番古いものは、結婚前に私の両親と妻が顔合わせを行ったときだ。関東から薄着で帰省し、食事会の前に妻と待ち合わせのためにK駅に降り立ったところ、あまりの寒風に耐えきれず、綿入りのカーキ色のコットンジャケットを購入した。アウトレットだったか、サンプル品だったか忘れが、かなり安かった。つい昨年まで、10年以上着ていたものである。

結婚1年目には、フラッと訪れた阿佐ヶ谷で、例の「風邪ひくやつ」に襲われ、慌てて100円ショップでネックウォーマーを購入した。その後、ネックウォーマー探しは1年おきくらいに行っており、家にはネックウォーマーが1ダースは有る。

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出先で寒い、それは日本に限らない。というか、海外で頻繁に生じることでもある。
日本に比べて、海外のほとんどが大陸に属しているため、朝晩の冷え込みは、想像を絶する。初海外であったロサンゼルスでは、昼に到着し、あまりの日差しの強さに驚いたものだが、翌朝は息が白くなるレベルであった。

その最たるものが、スウェーデンはストックホルムであろう。10年ほど前の6月。新婚旅行兼、学会で訪れたストックホルムは、ちょうど夏至祭を行っている最中。飛行機が着いたのが夕方の17時頃だっただろうか。バスを乗り継いでホテルに着いたのが20時頃。まだ寒くない。というのも、ストックホルムは北欧であるので、日没が22時頃なのだ。白夜にはならない。これは意外と知られていない。

その日は遅く着きすぎて、夕飯はセブンイレブンのホットドッグになってしまったが、明るいにも関わらず、フライトの疲れからかとっとと寝てしまった。

翌朝、明るいので目が覚める。日光が貴重な国では、遮光カーテンという概念がないのか、レースカーテン1枚しかないのだ。というか、寒い。めちゃくちゃに寒い。「朝起きてからめちゃくちゃ寒いし」というBeastie Boysの空耳を思い出すレベルで寒い。エアコンは気温を上げるためではなく、送風しながら除湿をしているように見える。

前の晩、疲れてそのまま寝てしまったことを思い出し、いつでもどこでも寝られる妻を横目に、スーツケースから着替えを取り出し、シャワーを浴びることにする。

学会でちょっといいホテルを3泊予約してみたところ、浴室もおしゃれである。タイル張りですりガラス。開けてみると、シャワーのみしかない。しかもシャワーヘッドが固定である。つまり、温かいシャワーが流れ、空気が排水口に押し込まれると、換気口から外の空気が入ってくるのだ。

寒い!

寒さが背中と足元から襲ってくる。足を温めたいのだが、シャワーが伸びない。しかも、シャレオツホテルなので、なんだかオーガニックな石鹸やシャンプーは、全く泡立たない。寒い上に体を洗った感覚が希薄である。

震えながら体を拭いていると、妻が起きていた。
「シャワー使った?石鹸、洗った感覚ないよねー」

聞くと、昨晩のうちにシャワーを使ったのだそうだ。その時はそれほど寒くなかったという。シャワーは、夜のうちにだ。

「ていうか、寒いんやけど」
妻も寒いらしい。
「持ってきた服が、全部夏用やけど、どうする?」
「買おう買おう。安い店あるかな?」
「北欧だし、高いんじゃないの?」
日本人特有の先入観である。

「でも、現地の人が買うような店もあるでしょ?サンキみたいな。イケアも安いし」
サンキとは、関東地区に点在する、激安衣料品店だ。

前の晩にはホットドッグしか食べていないので、ものすごく空腹である。とりあえず持ってきたパジャマ用の長袖Tシャツをシャツに重ね着し、学会用のジャケットを羽織って外出。時間は、夏時間で7時。朝は5時位から明るくなるのだそうだ。

白い息で道路を進むと、広場では露天市場の用意をしている。花や野菜、果物がカラフルに、でも無造作に並べられる。写真に撮ると、赤や緑が朝日を浴びて、強烈に主張する写真が撮れる。日本では同じような物を撮っても、くすんだ色味になるのはなぜだろう。いまだにわかっていない。市場を建てているおっちゃん、おばちゃんは、半袖だ。写真を撮っていると、ニコニコしたおっちゃんらに「Hej !」と声をかけられる。海外に来たなあと思うと同時に、来てよかったと思う瞬間の一つだ。

商店街を抜け、ビルの一階にマクドナルドを見つけて入る。朝マック的な、お安いセットが有るだろうと入るも、マフィンにサンドイッチ…スコーン? 健康食品のようなメニューに戸惑いつつ、Mornig comboとやらを2つ発注した。飲み物を聞かれているのだが、なんだかよくわからないので、指差しで答える。コーヒー一つと、妻はココアのはずだ。ココアは蓋を開けてみると、単なるお湯であった。スティック状の袋を開けると、ものすごく薄いココア風の飲み物が出来上がるシステムである。ちなみに朝食が、日本円で一人約1000円。超円高の時期であったが、物価が高い。見知らぬ場所で見知らぬ食べ物を食べていることも有り、腹がふくれた気がしない。

一旦ホテルへ変える道すがら、街を眺めてみると、ZaraやH&Mといった、日本でもよく見る、さほど高くもないファストファッションと言われる衣料品店が点々と存在している。犬の散歩や、子供をトロリーに乗せて保育園に向かう親子などが、微笑ましい。

午前10時。改めてホテルを出、朝と違う道を通ってみると、見知らぬハンバーガー屋ではモーニングセットが日本円で約400円である。どうやら、マクドナルドはオーガニックな高級志向らしい。街角のお土産屋のポストカードは1枚15円、スウェーデンの旗が30円。安い。

気を取り直して、H&Mへ。デパートの地下1階にあり、日本でいうとしまむらのような雑然とした陳列である。店内はうっすら音楽がかかっているが、数分に1回はスピーカーから割れた音でなんだかわからない言葉でアナウンスがある。スウェーデン語だよね。多分。

しかし、予想に反し、安い。セールとはいえ、ジーンズが700円くらい。さすがに厚手のものはないが、スポーツ風のナイロンジャケット1500円くらい。コットンのマフラー150円位…。妻は「安い!服をいっぱい持ってこなければよかった!」と、ものすごい勢いでカゴに突っ込んでいる。しまいには、リュックやサンダルまで購入した。

おかげで、その後は夜も暖かく眠れたし、ナイロンジャケットとマフラーで朝晩の学会の行き来も万全であった。学会で出会ったとある日本の教授は、派手なストライプのジャケットを着ていたので聞いてみると「僕もH&Mセールで売ってたから買ってみたけど、どう?」とのこと。

その数年後。6月のカナダへの出張。Googleいわく、最高気温が34℃、最低27℃。そんなわけ無いやろ?と上着を持っていったところ、本当に朝から汗だく、昼間はジャケットなど着ていられない暑さであった。

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などと思い出しながら、駅への道を歩く。太陽は16時半くらいに去り、空の薄明るさとは裏腹に、もう手元足元は真っ暗である。それに加え、木枯らし何号か、猛烈な風が吹く。

結局、今日のハードオフでは、300円の謎の機械を1つ買っただけで終わってしまった。良いベースに巡り合うことは、今年中にあるのだろうか。あまりに何もなかったので、街のパン屋で、生食パンとやらを購入した。高給食パンブームと関係があるのかどうかわからないが、200円でずっしりと重い。

駅への道すがら、JRの踏切で、足止めを食らう。警報が鳴り、下り電車が通るはずなのだが、2分経っても3分経っても音沙汰がない。twitterに「寒さで」と書いたりしながら時間をつぶす。結局7~8分後に下り電車が通ったあと、上り下りが立て続けに5本分待たされた。

木枯らしに、電車の起こす風も加わり、本当に寒い。特に後頭部と首が寒い。家を出る際に、ネックウォーマーやマフラーは、12月からでいい、そう考えていたのだ。これは、本当にまずい。

確か、駅までの間に、100円コンビニが有ったはずだ。
きっとネックウォーマーが…。

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次回から10000字強の長編(全3回)になります。