97. わからないひと。

 ある日帰宅すると、玄関に2Lのペットボトルが6本置かれていた。ラベルは外され、中には無色透明の液体が入っている。どう見ても開封済みのペットボトルに、水を詰めたというようにしか見えない。

「ただいま」
「ーえりー。早よ、してしまって。ママごはん作らないと」
リビングから、宿題をしない娘を見ている妻の声がする。

「なあ、あのペットボトル、何?」
「ああれ、水田さんとこの奥さんが持ってきたのよ。コロナにならない水とか言って」
「ああ、あの人か…」
「なんか底に、緑の物が溜まってて、あれ、多分どこかの井戸水じゃない?」
「捨てたら?」
「うん」

*

水田さんは、今住んでいる家の向かいの家の、さらに2軒隣の家だ。我が家は、古い住宅地の中の道の突き当りに有った畑を潰し、4軒新しく建てられた新築を10年余前に購入したが、水田さんの家は古くからある宅地だ。そこに3年前までは、老夫婦が住んでいた。

3年前に旦那さんが亡くなり、1年ほど老婆が一人でいたのだが、認知症を患ったとかで、50代の息子の奥さんが度々通ってくるようになった。この息子の奥さんを、「水田さんの奥さん」と我々は呼んでいる。元から住んでいる水田さんは「水田さんのおばあさん」だ。

水田さんの奥さんは、とにかくエキセントリックである。
最初は2~3日に1度、軽自動車で訪問してきては、「おばーちゃーん!」と玄関や庭先から大声で叫んでいた。最初はなにか事件か、水田のおばあちゃんに何か有ったか?と見に行ったものだが、単にインターホンが聞こえないから大声で呼び出すということをしていたらしい。この「おばーちゃーん!」で、ああ、また来とるわと思うのは良いが、日曜日の朝7時にやられると、周りの人もたいてい迷惑である。隣家で飼っている小型犬は、「おばーちゃーん!」を朝食の合図としているのか、それに呼応するようにキャンキャンと騒ぐようになった。隣人と庭で会ったときに話したところ、「もう勘弁してもらいたいですよぅ」とやはり迷惑なようだ。

*

水田さんの奥さんが通うようになってから2ヶ月ほどたったあと、急に水田家に重機が入った。どうやら広い庭を壊す工事をして、一部を駐車場にするらしいとのことだった。水田家は築60年ほどであり、治水の悪い土地柄上、家は道路から1mほど盛り土をして建てられている。盛り土の上はコンクリートのブロック塀と、庭から見事な梅の木やキンモクセイが覗いていた。工事の際に、水田さんの奥さんに少し話を聞いた。

「ほらー、いっつも通ってるでしょ?車を置くところがないから、路駐するしか無いじゃないですか?これは迷惑かなと思って」
「あの梅の木は?」
「切っちゃいます」
「ええ、もったいない」
「だってー、邪魔だし、木なんか売れるものでもないでしょう?」

その後、工事の人とも話したが、木の移植は難しいし、だいたい重機が庭に入ってから作業できるわけでもないので、外から崩していくしか無いとのことだった。家が盛り土の上に建っているため、棒倒しのように家が傾いてしまわないよう、そっと崩しては土留めし、大丈夫なうちに分厚いコンクリートで固めるということをするのだそうだ。家の工事というよりも、山の土砂崩れを止めるような工事らしかった。

そんな難しい工事も2週間ほどで終わり、コンクリート製の土台の段差のない2台駐車可能な駐車場と、玄関までのスロープが作られた。

「ほらー、おばあちゃんが歩けなくなったら車椅子で上がるの大変じゃないですか?」
水田さんの奥さんは、自慢げにそう言っていた。梅もキンモクセイも無くなってしまった。

*

工事から1年後。暑い夏の夜中の2時頃、何やら叫び声がするので私は目が覚めた。窓から外を覗くと、近所の人が皆家から出てきている。

「ぎゃー、タスケテー」
水田さんのおばあちゃんだ。しかし、家は真っ暗である。

隣や向かいの人は「何かしらね?」「事件かな?」などとささやきあっている。すると、水田さんの隣に住む斉藤さんの奥さんが言った。

「これから、水田さんの奥さんを呼ぶので、もう大丈夫です」
「こんな夜中に?」
「ええ、夜中でもなんでも呼んでくださいと、番号はもらっています」

はたして、約30分、水田さんの奥さんは軽自動車で現れた。
「すいませんねー、たぶんおもらししたか何かだと思いますー」
「おばーちゃーん! 開けるわよー!!」

すかさず、隣の犬がキャンキャンと騒ぎ始めた。

次の日の夕方、さすがにげっそりした水田さんの奥さんは、近所に「ご迷惑をおかけしました」と挨拶をして回った。その時、水田さんの奥さんは何やら手土産を持参してき、「いやいや、近所お互い様ですから」と辞退したものの、無理やり押し付けられてしまった。

その時の手土産は、『クッピーラムネお徳用(25袋)』であった。
子供は大喜びであったが、流石に私は妻と顔を見合わせてしまった。

近所の家にもそれとなく聞いてみたが、どの家も手土産はラムネだったらしい。子供のいる家のために選んだというわけではないようだった。

*

1年前の秋、まだコロナが無かった頃、水田さんの奥さんは、おばあちゃんの家に住み込むことになった。子供は大学に入って一人暮らしになり、旦那さん、つまりおばあちゃんの息子は一人でもそれなりに何でもできるから、一人暮らしをしてもらうとのことだった。

その時の手土産は、あたりめスティック 300g のプラボトルであった。
しばらく台所に置いていたところ、食器棚全体がイカの匂いになってしまったため、慌てていくつか食べたが、食べても食べても無くならないので残りは捨てた。

*

冬になる前の11月。朝出勤しようとしたところ、水田さんの家に何か違和感を感じた。軽自動車の横に、コンクリートのブロックを2段積んだ、花壇が作られていた。

帰宅後妻に聞くと、数日前まではなかったと言う。
「あれ、ハツッたのかな?」
「ハツ?」
「コンクリに穴を開けること」
「さあ?」
「ちょっと明日見てきて」

次の日妻によると、水田さんの奥さんが、よく考えたら、2台も車を停めることなんかないからと、自分でコンクリートブロックを積んで、セメントだかモルタルだかで固め、野菜の土を入れたのだそうだ。何を作るのかと水田さんの奥さんに聞いたところ「大根!」だとのこと。せいぜい30cmしかない深さに、大根なんかできるもんだろうか?

その冬、水田さんの奥さんはプラ波板と足場用の鉄骨をどこからともなく入手し、トンカントンカンやって、狭くなった庭に屋根付きの物干し台を作成した。

大根は案の定できる気配もなく、気がついたらパンジー5株に変わっていた。

*

6月。梅雨の雨はまったく気配すら感じない、30度超えの夏日が続いていた。春までは手押し車で時々スーパーまで散歩していた水田のおばあちゃんも、刺すような日差しでは出かけられなくなったようだった。そんな中、また水田家は工事を始めた。

「去年もこの時期に工事だっけ?」
妻に聞く。

「そうね、あっつい中、工事の人も大変よね。で今度は何するんだろ?」
「さあね」

そうこうしているうちに、工事の方はどんどん進んでいった。家の補強にするのか、足場のような柱が何本か建てられ、狭くなった庭から豪快に土が運び出された。モルタルとブロックで作られた花壇は、半年も持たずに撤去され、強烈な振動とともに、コンクリートで固めた駐車場に穴が開けられていく。

カンカンという足場の音と、ドリルの地響きで、隣の小型犬が心配になり、休日に隣人に庭先から声をかけてみたところ、逆におとなしくなってしまったとのことだった。最近はあまり家からも出たがらないのだと言う。

工事が始まって約1週間後の水田家はというと、鉄骨のフレームで囲われ、庭にはコンクリートの土台が完成していた。

「とうとうサイボーグって感じになってきたな」
「壊すわけじゃないんよねえ」
妻と毎日様子をうかがう。

数日後、大量の太陽光パネルを積んだ大型トラックが到着した。彼らは手際よく、ものの2日ほどで屋根、庭、駐車場に、合計20枚ほどの、畳ほどの大きさのある太陽光パネルを設置し、風のように去っていった。

嵐のような1週間あまり。水田の奥さんが現れて、例の謎の水を近所に配っていったらしい。

「おばあちゃんのボケが進んだので、施設に入れるんです。家が空き家になって放っておくのももったいないから、太陽光パネルで、少しは元を取ろうと思って」

そう言って、水田家には人がいなくなった。

駐車場の西日の反射で、我が家は眩しい。