95. けっして、さがさないでください。

 妻が深夜アニメを録画するようになった。
コロナ騒ぎの影響で、見るものがなく見始めたAmazon Primeに、大人でも楽しめるアニメがたくさんあることに気がついたのが1年前の10月。しばらく配信ビデオばかり見ていたのだが、その続編が開始されると知り、春くらいから、毎週いくつかを録画して見るようになった。

当初は、深夜アニメだから子供に見せられない内容だろうと思っていたのだが、際どい画面でも見えないように配慮しなければならない規制が強まって強めの修正がなされていたり、そもそも性的な表現がほとんど無いアニメのほうが多いなど、見てみないとわからないことが多い。なんだかんだと、毎週6~7本は録画するようになり、消化するだけでも大変である。

その日の夕食後、その中の1本のエンディングを流しながら、私は歯を磨いていたところで、録画の最後に入っていた番組宣伝CMに目が釘付けになった。『この日本人に会いたい』という、深夜番組のコーナーの宣伝である。

「20年前のインターネットに存在した神絵師に会いに行く、ノルウェー美女!」

CMには、ピンクの髪の毛で目が大きい、1990年代の懐かしい美少女イラストが。今のように細い線、細い髪の毛に、目は小さめで押し付けがましくないアニメイラストではない。"元気!"と画面から飛び出してきそうになる、あの頃の作風だ。懐かしいな、と思ったとともに、私の中に戦慄が走った。これ、知ってる気がする。描いた人を知っている気がする。

あわてて番組を探し、録画をする。深夜番組であったが、幸い録画しているアニメとは時間帯がぶつかっていないようだった。

録画したことは、数日忘れていた。

*

数日後、夕食のとき、妻がHDDレコーダーを起動して言う。

「ねえ、これ何?間違えて録ったの?」
あの番組だ。

「あ、それ、知ってる人が出るかもしれないから、後で見る」

食事の後、妻と子供がニンテンドーDSの『おいでよどうぶつの森』で"どんぐりまつり"を行っている間に、録画した番組を見る。

「火曜のアレなテレビ『この(誰も知らない)日本人に会いたい!』」
番組は、関西系のアイドルの一人と、芸人が、スタッフのみで行われた番組ロケの内容を見るというものだった。Tテレビの『Youは何にしに日本へ?』をパクり、街角で出会った外国人に「誰も知らない日本人の有名人を知りませんか?会わせてあげます」というような内容だ。

番組は、コロナ前に収録したのであろう、マスクをした通行人はほとんどいない。何人かスルーした後、ノルウェー人という20代の眼鏡の女子2人に声をかけた。スタジオのアイドルと芸人は「お、かわいいやん」「ちょっとぽっちゃりしてるのがいい」「メガネええな。オタク系か?」などとつぶやいている。

「日本語うまいですね、あなたの会いたい、誰も知らない日本人の有名人は?」
「そうですねー、この絵を描いた人」
ノルウェー女子は、スマホをスタッフに見せた。そこに、ピンクの髪の毛の目が大きい、例のイラストが映っていた。スタジオでは「わ、なんか懐かしい」「今とちゃいますね?」「でもめっちゃうまくない?」などとつぶやいている。

「twitterで流れてきて、すごく好きなんですけど、誰が描いたのかもわからない」
「わかりました、数日もらえますか?」

そこで一旦、ロケの映像が終わった。スタジオでは、かわいい、懐かしいと芸人たちが撮れ高の時間稼ぎをしていた。調査の結果は次週、とそのコーナーは終わってしまった。

一方で私はというと戦慄を通り越し、背筋の寒さと鳥肌が立っている。知っている。掲示板で会話したことがあるぞ。誰だっけ?名前…?

*

私がインターネットを初めたのは1997年だ。「卒論を書くから」と言ってMac一式を購入した。まだ白い筐体に、17インチのバカでかいモニターを載せていた。ネットに繋ぐには、モデムという電話をデジタル通信信号に変換する機械で、「ピー、ギュルギュリギュリ」と鳴らして繋ぐ必要があった時代だ。28800bpsである。ギガでもメガでもない、キロの通信速度である。

Macを買ってわずか1週間。私はネットを見るだけということにすでに飽きてしまい、いきなり"ホームページ"を作ることにした。しかし、当時はデジカメは存在せず、イメージスキャナは富豪しか持てない時代。個人のホームページの大半は、文字だけしか存在していなかったのだ。

そこで、私は考えた。絵を描こう。
漫画の模写、4コマ漫画のキャラクターくらいなら、マウスでもできなくもない。なにせ私は、PC-98時代に、フリーソフトの"鮪ペイント"で、写真の模写をした男だ。いや、その数年前に、マウスすら無かったころに、"花子"で鈴木英人のFMステーションの表紙を模写したことが有った。PC-98なんかよりも、ずっとクリエイティブなMacなら、それくらいできるだろう?

そこで私は、大学の研究室のイメージスキャナに入っていたが、誰も使わなかったPhotoshop LE 2.5というソフトを拝借し、マウスで絵を描いた。マウスでの描画は、PC-98時代よりも簡単なため、私は数分でコツを掴んで、半日ほどで3枚の漫画風イラストを描いた。

次にホームページ作成だが、図書館でHTMLの記法のサイトを印刷して、見様見真似で入力した。ファイルをアップロードした後に行わなければならない"リンク"という作業がわからず、同じプロバイダの素人にメールを出してお叱りを受けたりしながら、なんとか工事中だらけながら、完成および公開に至ったのだった。

そして、有名サイトの掲示板で、コメントを書きつつ「ホームページを作ったので」と控えめに宣伝をしていたところ、いくつかのサイトから「リンク貼ったよ」と言っていただいたのだった。

その中に、例のイラストのサイトが有った。しかも、週替りで注目サイトを紹介されており、数々の有名サイトと同様に私のサイトも紹介されたのだ。

愛米モコ(あいまいもこ)さんだ。

思い出した。可愛いキャラクターと、幼女風の文章で、その方面の人には大人気のサイトだった。そこで紹介されると、カウンターが1日に100は増えると言われていた、超有名サイトであった。

愛米モコさんは、文章から、一応幼女というキャラクターでまわりは扱っていたし、それが暗黙のルールだったところはある。ただ、毎日更新される日記や掲示板では、大型バイクに乗り、整備も自分でやる。オーディオに造詣が深く、部品のはんだ付けなどまで行われている。

「おっさんやろ」

それは言ってはいけない時代だった。「モコちゃん」と幼女として扱うのが、インターネットという世界のルールだと教えてもらったとも言える。

*

コーナーが終われば番組に用はない。速攻で削除し、次週以降も録画を入れるとともに、ノートPCを起動して、"リアルタイム検索"を行う。検索ワードはもちろん『愛米モコ』。

twitterの反応。
「モコさんだ」
「愛米モコ、なつかしー」
「モコ、おれ当時小学生だったwww」
「愛米モコって、当時でもかなりのおっさんだろw」

予想された内容が続く。

「愛米モコさん、ご存命なのかな…」
「モコさん、亡くなってたら、番組やらんよな」

心配している人もいる。その中に、こんな人がいた。

「モコさん、黒歴史じゃないの?」

そうか。引退したオタク趣味の人が、当時の言動を陽の目にさらされるのは、卒業アルバムや文集をさらされることよりも辛い。私も、当時の初期ホームページが、公共の電波でさらされたら、数日仕事を休むかもしれない。

*

次の週の「火曜のアレなテレビ」の録画は、風呂上がりに見た。楽しみと言うよりは、怖いもの見たさに近いものがある。

「なんと、Googleを駆使したところ、この神絵師の名前がわかりました。『愛米モコ』という人だそうです」

スタジオでは「あいまいもこって…」「だっさ」などと、乾いた笑いしか出ていない。ネット上の名前や言動が痛いのは、誰しも同じであろう。テレビに出ているタレントなど、そういう当たり前の感覚すら理解できず、バカにすることで視聴者に共感されると思いこんでいるのだ。

「次に我々は、"いにしえの神絵師"、愛米モコさんを知るという人物を探しました」

おいおい、なんで本人に当たらないんだよ。より傷が深くなっていくじゃないか。番組はInternet Archeiveなどから、過去の画像、幼女風の言葉など、痛い言動を取り上げて、芸人たちが笑っているところで、コーナーは終了した。次週、本人と対面するということだ。

*

twitterの反応。
「あの番組、ヤバいやろ」
「黒歴史をほじくって、人を殺す気か?」
「オタクや元オタクには人権はないのか」
「次は俺らかもしれん」
「次週放送阻止しろ」

一週前と一変、悲壮感や焦燥感、番組に対する怒りで、反応は埋め尽くされていた。実際にWテレビに対して抗議を行った人も数名いたようだ。

*

次の週。番組は前週までと変わらないテンションで行われている。おそらく3週分一気に収録しており、番組出ているタレントや芸人は、世間の反応が届いていないのだろう。

「愛米モコさんをよく知るという男性にお会いしてお話を伺います」

モザイクをかけられ、音声も変えられた男性は言う。
「あの人はね、もう10年以上前にネットから消えて、一部の方面の同人活動をされながら、某企業の重役をされています」

あーあー、やっぱり突っ込んだらあかんやつやん。
スタジオでは芸人が「幼女で重役て?」「部長のモコですとか言うんか?」と茶化して笑いを取っている。
私はこの先を見るべきか、相当不安になっていた。

「番組は、その企業を教えてもらいました。まず、社員の人にどういう人なのか聞いてみましょう」

あかん。やめて、としか言えない。私は録画だが、リアルタイムのtwitterの反応も同様であろう。モコさんの会社の中の立場などが音を立てて崩れていくのが見える。

「優しい部長ですよー。…えー、こんな絵を描いて…」
「…ええ、あの部長が、これ描いてるんスか?(苦笑)いやあ、わからんもんスね」

そして部長室へ。顔にはモザイクがかけられているが、会社の人には取材の時点でバレバレだろう。

「こんにちは」
白髪まじりの、50代なかばのおじさんだった。

「こんなおじさんですいません」
なぜ謝らないといけないのだろう。

「ありがたいけど、もう愛米モコはやめたからね」
さすがに落ち着いた雰囲気で、やんわりと過去をほじくられるのは拒否されている。しかしテロップには『モコ部長(54)』と表示されている。お米を食べるのが好きだったから「愛米」というハンドルネームにした、というエピソードが語られた。現在は当時よりも20kgも減量したとのことだった。

"モコ部長"は、ノルウェーの女子2人と握手をし、手元の紙にサラサラと、『愛米モコ』のキャラクターを下書き無しで描いて渡した。

「もう、あんまりうまくないけどね」
しかしノルウェー女子は感動している。ああ、実にテレビ的だ。

そして最後に、画面に大きくテロップが表示された。

「我々は、出演者の人権等に十分配慮し、本人の許諾をいただいてから取材をしています」