13. 教養とはなにか。

 「えっ?隈研吾も知らないのー?教養がないなーキミはー」

所長と話をしていて、突然建物の形の話になり、「隈研吾っぽい」と言われて「へえ」と生返事をしたのが間違いだった。「えー、ひょっとして知らないのー?」と火を付けてしまった。その後、建築家の名前を色々挙げられたが、安藤忠雄は流石に知っていた。実家のあるK市にはコンクリート打ちっぱなしの建物が多く、帰省時にはよく仲間内で「安藤忠雄っぽい」と言っていた。本当に2割位は安藤忠雄だったのだが。黒川紀章と言われ、アメリカ村の落書きの人かと思ったが、後で調べたら黒田征太郎だった。

教養、ねえ。
自分のことなので、教養の有る方だなんて思ったこともなかったし、所長や両親が知らない人名や場所、作品名をポンポン話すのに比べると、モネだかマネだかマナだかカナだか、絵は知っていても名前がパッと出てこない私には、教養が足りていないのだと思う。でも、マチスくらいは解るぞ。

昔から建築物自体は好きで、変な形の、例えば大阪アメリカ村の北の巨大顔の柱なんかは大好きだし、アメリカ大統領の巨大な顔を模した、ラシュモア山には死ぬまでには行きたい。単に巨大な顔が好きなのかもしれない。妻の…いやなんでもない。でもまあ、隈研吾がすのこ建築の人で、黒川紀章が新橋のカプセルビルの人ってことは覚えた。でもまあ、名前は忘れるだろう。

教養というのは、個人的には、固有名詞を知っているかどうかではないと思う。固有名詞を知っている人が教養が有るのであれば、大学院のときの警備員のおっちゃんなんか、隣の建物も含めて300人ほどの勤務している人の名前を全部覚えていたが、あの人は教養が有るのか。元学校の校長先生だったらしいので、実際に教養が有ったのかもしれない。

教養って一体なんだろう。教養のある会話といえば、例えば「スイセンの学名はナルシストのナルシスだよね」ということがさっと出てくるようなものじゃないのかなあ。たとえば、ギリシャ神話、漱石の夢十夜、芥川の羅生門などという話のフレーズを越えて独特の意味が熟成して、内容が染み出して、出汁がよく出て、煮ている卵の色が変わったレベルの知識をサラッと言えるのが、教養だと思いたい。「隈研吾が1998年に建てた建物はナントカ」ってーのは、調味料を混ぜただけの味なんかないクイズじゃないか。

なんて考えながら、席に戻る。

[教養なんて、自分の知ってる知識でマウントが取りたいだけちゃうんかと。アホかと、バカかと。]

twitterに丸々愚痴を、相当古いネタを絡めて投げてみるも、タイムラインは大人ばかりなので、しばらく見事にスルーされる。お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが、などとつぶやきつつメールチェック。

先輩に当たる同僚から、宛ても署名もないメールが来ている。表題は「明日のミーティングについて」だ。いつの明日なのかわかるわけねーだろ、おめでてーな。などと毒づく。そういやあ、以前、ムカつく准教授に「"さっきゅう"に対応お願いとのことです」と伝言したところ「"さっきゅう"?なにそれ、"そうきゅう"のこと?教養がないなあ」と言われたのを思い出し、さらにムカムカきた。煮えくり返ったこの腹で、この寒い部屋が温まったりしないものか。

twitterの更新。相互フォロワーから。

[教養と言えば、大学の教養課程って言う割に、教養の一つも身につかなかったな]

ほう、なるほど。教養課程って有ったなあ。どんな授業が有ったか、何を教えられたのか、何も覚えてない。

[教養の強要はイカンな]
うまい。
[うちの大学は、教養じゃなくてシンクロだった]
そして始まる、恒例のダジャレ大喜利。

ふと、今までのムカムカがかなり解消していることに気がついた。

本当の教養のある人とは、とっさの適切なダジャレで、場を和ませることができる人なんじゃないかな。


(仕事納めから年始まで更新を休みます)