31. 一過性の死。(SF)

 その日の朝、家を出ようとしたところ、斜め向かいの小学生の女の子、えりかちゃんが、珍しく家の隅の植え込みをほじくっているのを見かけた。
「おはよう。何やってんの?」
「おはようございます。飼ってたハムスターが死んじゃって」
「えー、歳かな?何歳くらいなの?」
「まだかって半年」

"かって"が”飼って”なのか"買って"なのか、イントネーションも含めて判別が付かない。まあ、ハムスターなら買うだろう。実験用のマウスの寿命は2年ちょいなので、体の大きいハムスターはもう少し生きそうである。

「それはちょっと早すぎるね。なんだろね」
「昨日の夜までは元気だったのに」
「ご愁傷様です」
「えっ?なに?」
「ごしゅうしょうさま、お葬式とかでいうやつ」
「あ、はい」
「それじゃ」

正直いうと、そのことが少し引っかかったまま出勤したのだった。

帰宅し、夕飯前にドライヤーで頭を乾かしながら、7時のニュースをチラ見すると、不穏なニュースが流れている。都内の小学校で飼っていたウサギ5匹が、一夜にして全滅したのだという。毒をまかれたのでは?という憶測であるが、ニワトリなどの他の小屋は無事だったらしい。朝のハムスターに、都内のウサギ。非常に嫌な予感しかしないのだった。

一週間後。
事務の辰巳さんから気になることを聞く。

「最近ねー、家の近くでよくネズミが死んでるんですよねー」
辰巳さんの家は、東京に隣接したA市の駅前で、結構な繁華街である。周りに飲み屋が多いという自慢ををよ聞いていた。

「たぶん飲み屋街に住んでたネズミだと思うんですけどー、その死体に毎朝カラスがたかってるのー、もう嫌になっちゃうー」
「うぇー、そんな死んだネズミ食べて大丈夫なんですか?」
と事務の坂口さん。

「うん、まあ、鳥インフルエンザの流行時に、カラスが死んだ仲間食べてましたけどね」
「げー、共食いじゃないですかー」

鳥インフルエンザ、市中に流行る致死率は低い新型のウイルス性肺炎と、ネズミの死…。

昼休みにヤフーのtwitter検索を開くと、一つのキーワードに釘付けになった。
『ネズミ大量死』

慌ててニュースを開く。
曰く「2018年の築地市場の閉鎖から、都内の繁華街に溢れたと見られるネズミ、ドブネズミが、道路で死んでいるのをよく見かけるようになった。特に多かった渋谷では、1日に100匹以上のネズミの死骸が回収されており、都は調査に乗り出している」

twitterではそれに対し、「都がオリンピックに向けて新型の殺鼠装置を開発したのでは?」「ネズミインフルエンザ?」「超高性能のネコ型ロボットができた?」などと憶測が飛び交っていた。同時に、人間に対して致死率は低いが、一部に悪性の肺炎を引き起こす、謎のウイルス性感冒は、より拡大しており、東京だけで30人ほどが、関連肺炎によって死亡と推定されていた。

こちらも科学者なので、というか、科学者だからか、物事を一本化して考えてしまうくせが有る。ハムスター、ウサギ、マウス、ラット。総称してRodentでありげっ歯類。幸いにして、げっ歯類を食肉として利用している国はほとんどないので注目されてはいないが、ネズミの全滅は、医学系研究の第一段階の死を意味する。私の行っている研究の半分くらいは、ネズミに依存しているのだ。

しかし、それから1ヶ月ほどたつと、はたとげっ歯類の死亡のニュースを聞かなくなった。都内の小学校ではウサギのつがいを改めて飼い始め、ミミとムムという名前がつけられたという。私の研究所ではSPFという隔離空間でマウスを買っていたのが功を奏したのかと思ったが、学会経由で問い合わせても、実験動物のマウスやラットが大量死した報告はないとのことであった。

それと前後して、悪性肺炎を引き起こしていたウイルス性感冒の患者もほぼいなくなり、飛ぶように売れていたマスクも店頭に戻ってきた。というか、在庫が大量すぎて、どの薬局でも叩き売り状態であった。

そして半年。
Nature系のオンライン雑誌に、中国の研究室から、とんでもない論文が発表された。
「マウス、ラットにのみ感染し、一過性にのみ増殖するように改変した肺炎ウイルスを、山奥の村でテスト的に散布することで、伝染病の原因となっていたネズミの一斉駆除に成功した」という内容である。Nature、Scienceをはじめ、主要科学誌はニュースとして取り上げ、周りへの影響は出なかったが、生物多様性の観点や倫理的な観点から批判していた。

さて、そのウイルスは、一体どのようなルートで中国の山奥から都内に入ってきたのであろうか。それとも、「同じ研究は世界で10人は行っている」という法則のもと…?

(本作は完全に架空の内容です)