24. たまには仕事に行かないという選択。

 テレビで、リストラにあったのに家族に言い出せず、毎日手作り弁当を持って出かけ、公園やフードコートでコソコソ弁当を食べて、夕方に帰るというオジサンの話をしている。月に一度くらい、自分が実はそういう人ではないかと考えることがある。しかし、リストラにあって言い出せない、という状況には、よほどのことをしない限りならないと思う。無断欠勤を1ヶ月位しても、ちょっと怒られるくらいでなんとかなってしまうのが、今の仕事場だ。

少し前にテレビ東京系で、朝のラッシュ時にインタビューし、「会社を休んで反対方向の電車に乗りませんか」という番組をやっていた。リストラではないが、背徳感からしても同じだ。あんな感じで、自分が突然欠勤をしてしまうのではないかという怖さを、いつも抱えている。

実は、前科持ちである。
最初は中学2年のとき。中1で、周りの雰囲気というか、小学校のときの友人、泉をはじめ数名の勢いに飲まれて、サッカー部に入った。プーマのスパイクや、いろいろな装備を買ってもらい、サッカーを始めたものの、部活1日目でリフティングというものを一人だけ知らず、速攻で落ちこぼれとなる。結局1年の終わり頃に10回できるようになって、及第点はもらったものの、あれ、なんか意味あんのか?中1の最後にもなると、中学対抗試合に参加するようにもなる。練習でパスのコントロールはそれなりにはなったものの、試合で必要なマークだのボールをもらえるポジションだのがいつまでたっても理解出来ず、常に補欠。たまにバックスに入れてもらい、絶対にシュートさせないという嫌な壁になるテクニックは学んだものの、奪ったボールを前に出していいのか後ろに戻すかがとっさに判断できず、試合に出る回数も減っていった。中2になって、新しいアディダスのスパイクを買ってもらった直後、顧問に「休みます」と言ったきり部活に出なくなった。それから、土曜などは部活に出ているふりをして、寄り道をして帰っていた。

当時辛かったのは、1足目のプーマに比べると相当安く買えた、2足目のアディダスのスパイクが、数回しか使わずにお蔵入りになってしまったこと。それを気に病んで、夜なかなか寝付けず、天井を眺めながら動悸が激しくなった。

次は予備校時代。中高落ちこぼれのくせに、どこの大学を受けたらいいのか決まっていなかった私は、無謀にも兄の受けた歯学部を受験し、案の定浪人になった。街中にある予備校までの定期券を買ってもらい、通うようになった。しかし予備校の授業が一部の教科を除いて肌に合わず、ほとんどの時間を市内の古本屋巡りと、ひとり家でパソコンゲームをして過ごしていた。現役でK大に入った、サッカー部の泉から、やたらと電話で呼び出しがあり、K市内で一緒にウロウロしたりもした。今考えると、多くの予備校生はこういう生活をしていたのではないかと思うが、当時は、サボっているという背徳感しか無かった。いまだに、全然行ってなかった、予備校での模試に間に合わないという夢を見るのは、このときの罪悪感が元になっている。この頃も常時寝付けず寝不足であったが、そもそも中学高校通して落ちこぼれで、本当に大学に行けるんかな?という不安が原因だ。

大学、大学院ではちょっとわけが違う。
教養課程での午前中自主休講という名前のサボりはしょっちゅうであったが、これは一般的であろう。研究室に入ってからは、自然と昼夜が逆転したのだった。つまり、昼の12時頃に来て研究を始め、夜中の0時頃に研究室を出る。機器の予約バッティングを避けるためや、生物系にありがちな8~13時間などの培養時間が影響しており、研究室の2~3割の人がそのサイクルに自然と入っていく。昼過ぎに助手(助教)や助教授(准教授)に会うと、必ずお小言をいただくわけだが、教授は「ワシもその頃はこんなんやったわー、ガッハッハ」という大人物であった。

大学院の途中からと就職してからは、ちゃんと朝の丁度いい時間に出勤して、夜は早めに帰るほうが効率が良いと思うようになり、そこから欠勤はほぼしていない。ゼロとは言わない。就職して2年目くらいに、金曜日にどうしても起きられない日も有ったわけで。

今でも月に1回位は、仕事に行きたくないという日はある。では本当に突然、駅前で「今日から1週間ほどサボろう」と思い立ったらどうするか。

まず、メールだな。「体調が悪いので休みます」でいいだろう。喋らなくて良いから、便利なものだ。でも、家に帰るわけにいかないので電車に乗る。O駅の人混みは、乗り換え時に歩いていても、よほどのことがない限り職場の人達に見つかることはない。母体の製薬会社の人たちは、私の顔など覚えていないだろう。

さてそこからだ。サボり初日なら、全く違う方向の電車に乗るのも悪くない。ただ、満員は嫌なので、宇都宮か?1時間半で1350円。財布に5000円以上の現金が入っていることが少ないので、電車賃で2500円超は辛い。でも、行き帰りの電車だけで3時間は潰せるし、500円くらいで餃子も食べて帰れる。バレぬよう、ニンニク抜きの餃子を食べればよいのである。とにかく知り合いに会わないようにするため、遠くに逃げることになるのである。

O駅ですいた座席に座り、本を開く。宇都宮線をできれば乗り換えずにひたすら北上。数駅はなにかの間違いで、職場の人間が見ているかもしれない。外を眺める余裕など無くうつむいて本を眺める。集中できないが、仕方がない。新白岡も超えれば、乗ってくるのは高校生くらいだ。外を眺める余裕はできるが、バレたらどうしようと不定期に思い出し、動悸が激しくなる。本を読もうにも、簡単な推理小説か、漫画くらいなので、電子書籍の出番。高校生よ、今ワシ、サボってんねんで、と思いつつ。

宇都宮着は午前9時頃。店はまだ開いていないから、東口から出て、餃子の像を見つつ東へ。ハードオフ宇都宮駅東店なるところに向かう。駅東なる名前のくせに駅から3kmほどと遠い。10時開店とすると、かなりゆっくり歩かないと開店時間にならない。途中のコンビニでコーヒーを飲んだりして時間をつぶす。

着いたら着いたで考えものである。妻には仕事に行っていることにしているので、目立つものは買えない。まあどうせ、ろくなものが見つからないのだが。店を出て、割と楽器マニアでは有名なハードオフ今泉店へ。大きいものを買えない時に限って、ジャンク1800円なんていうギターが見つかるのである。でも無理だ。では買えるものはなにか?本だ。ということで、ブックオフ今泉店に行って時間をつぶすのだろうなあ。でもまあ、その前に、昼飯の餃子か。ブックオフを出て、駅に戻る。もう1軒ハードオフが西口方面にあるが、どうせ何も買えない。駅前のララスクエアをラララと見たら16時頃だ。そろそろ帰るか。

行きの情緒不安定がウソのように、帰りの電車では、本が読める。むしろ、O駅に着いてからが要注意である。

サボり2日目。1日目にお金を使いすぎて、遠出はできない。スカンピンというやつだ。では、歩くってのはどうだ?O駅からひたすら歩く。店が開く10時くらいまでで3時間12kmは歩ける。県庁のあるU駅付近まで行けるな。本屋もたくさんあるので時間を潰すにはもってこいだ。1日目同様、大物を買うわけにはいかない。と言いつつ、ハードオフなどの店には寄るんだろうなあ。歩いて体を動かしていると、サボっているということを忘れる。いや、忘れたらサボりのリフレッシュ効果はないのだけど。

サボり3日目。そろそろ行き先が思いつかない。世間の目や、見つからないかという恐怖が襲ってくる。意味もなく赤羽駅まで載って、駅ナカの本屋で立ち読みをしてO駅まで戻ってくる。そこで10時くらいだ。もう職場の人間は電車に乗っていない。O駅の北にある、ショッピングモールにでも行くかなあ。本屋もブックオフも有る。昼は、職場の人間がたまたま休みを取って、家族で来ているかもしれないので、フードコートは危険だ。イトーヨーカードーでパンなどを買って、2階にあるテラス席でモソモソと素早くかきこむ。

いくら大きなショッピングモールだからと、夕方まで時間が潰せるというものではない。昼を過ぎたら出て、西へ。もう何も思いつかん。辛い。社会人としてのサボりは3日目で限界である。

実際のところ、有休は毎年マックス40日。年度末はじめに20日繰り越される。しかし、よく使った年でも、年度末に36日は余っている。翌年は40日だ。

仕事はほぼ自分の裁量なので、サボっても良いのだ。わかってる。
でもサボれないんだよなあ。サボらないほうが楽だから。