98. コンプリ。

 あ、有ったあ。
夏の終わり、O駅から2kmほどにある、マイナーな古本屋フタバ書店の100円コーナーに、恩田陸『蜜蜂と遠雷(上)』を見つけた。2ヶ月ほど前に、ブックオフの棚で、なぜか(下)だけが100円で売られており、普通は発行数も多い上巻だけ安く売って、下巻を高額で買わせるもんやろ?と思いつつ購入したのである。これで『蜜蜂と遠雷』は揃った。読むのは半年後か2年後か、まだ読む気はしない。楽器をどうにかするような話と聞いており、今年になって作り始めた「楽器と演奏の本棚」に並べられる。私は本を買うときに前評判も気にしないし、裏のあらすじもほとんど読まない。

上下巻の2冊であっても、100円で買う、古本で買うなどのルールを自分の中で決め、そのルール内で揃えられたとき、妙な高揚感が得られるのである。「コンプリート」をすることでしか得られない快感である。これは、小学校に入った私の娘もすでに持っている。

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私の娘の場合、初めは『プリキュア』だった。
その前は『アンパンマン』だったのだが、キャラクターが多すぎ、指人形、現在では「すくい人形」と呼ばれているソフトビニール製の4cmほどの大きさの人形を、フリーマーケットなどで購入していても、どこに終りがあるのかわからなかった。

3歳。幼稚園に入って、まず影響を受けてきたのが『プリキュア』である。すでに5月を過ぎ、開始から1/3の放送が終わっていた『HUGっと!プリキュア』を、毎週日曜日、ゾンビのようになりながら見る習慣ができた。その夏、古本で『プリキュアオールスターズ 永遠の友達』という、数年前に出た絵本を購入したところ、寝食を忘れるほどに熱中した。そこに、過去のプリキュアが全員イラストで載っていたのである。

秋頃、とあるリサイクルショップを覗き、私は楽器を、妻は古着を見た後におもちゃコーナーに立ち寄った。
「あ、プリキュア!」
娘が手にしたのは、リカちゃん人形ほどの大きさの人形が7つはいった袋である。私も妻も見た目で判別はつかない。
「これはキュアハッピー。本にのってた」
半信半疑で1袋300円を購入し、家に帰って本と照らし合わせると、はたして買った人形のキャラクターがすべて載っている。
妻が言った。
「なんだー、じゃあもう一袋も買っておけばよかったー」
「まあそんなの、どこでも売ってんでしょ?」
その時、私はそう答えた。

「じゃあ、プリキュアぜんぶあつめるー」
娘は高らかに宣言したが、これは険しい登山道の入り口でしか無かったのだ。

20年以上ずっと放送されている『アンパンマン』とは違い、『プリキュア』は1年で放送が終わる。そして、放送が終わった途端におもちゃは市場から消えてしまうということに気がついていなかった。

そこから1年半、子供との間で「形が違っても良しとする。全種類なんとか集める」という協定を結び、放送中の『スタートゥインクルプリキュア』までの指人形、ドール、キーホルダーなどのキャラクター商品を集めた。そうするとまた欲は出るものである。
「この形の、キュアアンジュだけない」
そう言われると、また続いていくのである。

その後、娘はと言うと、コンプリートの欲を、ニンテンドーDSやWiiの『どうぶつの森』で満たすようになった。

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私のコンプリート欲はと言うと、大学時代はCDと筒井康隆の小説であった。筒井康隆の小説同様に、CDは気に入ったバンドやアーティストの過去作をすべて揃え、更には客演や影響を受けた人たちも集める。山下洋輔などの作品も気がついたときにはコンプリートしていた。

一方で、漫画にはコンプレックスがあった。何しろ、同年代では常識のたぐいである、週刊少年ジャンプの漫画が、『ドクタースランプ!アラレちゃん』終了と同時に興味を持てず、平綴じ週刊漫画雑誌類は読まない。丸綴じ雑誌も、集英社と講談社の男性物が苦手と来ている。残るは小学館だが、不良モノとスポーツモノを苦手としていたため、唯一もらったり借りたりして読んでいたビッグコミックスピリッツでも、一番メインの『YAWARA』は飛ばしていた。

それが変わったのは、就職1年目の年末だった。古本屋で星里もちる『りびんぐゲーム』を文庫版で全巻揃え、飲み会帰りにも関わらず夜中から朝までかけて、全7巻を読破したのだ。大学当時に断片的にしか読んでいなかったラブコメ、面白い。そこから、高橋留美子『めぞん一刻』をはじめ、いくつかの作品を、就職してお金が有ることをいいことに、片っ端から買って読みまくったのだった。

しかしそれも、結婚で終わる。自分勝手に物が増やせなくなったとともに、無駄遣いをやめなければいけなくなったのだ。

それでも、高野文子の漫画、小川洋子の小説、伊坂幸太郎の小説、こうの史代の漫画など、寡作の作家の作品をほそぼそとコンプリートしていった。そう。コンプリートの楽しみは、どうしてもやめられなかったのである。

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コロナ蔓延のもと、家族は家に閉じこもったきりとなり、早々にワクチンを接種し、電車通勤で安全地帯の多い私は、一人でうろつくことが多くなった。しかし、CDはもう買うまいと思っているし、楽器も電子機器も欲しいものはない。すると残るのは、本である。ひさしぶりにやるか。コンプリート。

そこで、子供も読める作品を選ぶ。アマゾンプライムや各種動画サイトなどで映像を目にした娘が気に入る作品を集めてやろうじゃないか。可能な限り100円でという縛りで。

かきふらい『けいおん!』4巻、あずまきよひこ『あずまんが大王』4巻は、仕事帰りのブックオフであっさりすべて100円で揃ってしまった。ぬるい。もっと難しいやつはないのか?

冬に子供がアニメを見て熱中していた、あっと『のんのんびより』全16巻は、7巻までは100円でそろったものの、そこから進まなくなってしまった。

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この夏。改めて考えてみる。もっと欲しかった漫画はなかったか。ここ10年以上漫画を読み慣れていないので、とっさには浮かばなくなってしまった。こういうときは、ブックオフに行って、実際に見てみるに限る。

仕事終わりに、乗り換えのO駅でブックオフに寄ってみる。するとそこに、あった。

あらゐけいいち『日常』。娘はアニメを2回繰り返してみたほど気に入っているし、ちょうど10巻というボリュームもよい。よし『日常』を揃えてやろう。何しろ、目の前にも100円で1巻から4巻まで揃っている。そして、棚を右に進んでいったところで、とある作品で目が止まった。志村貴子『放浪息子』であった。就職して漫画を買い漁っていたとき、確か4~5巻までしか出ていなかったが、薄い色の表紙がやけに気になっていたのだ。目の前には1巻と4、5、7巻という、中途半端な品揃えである。慌ててスマホで最終巻を調べたところ、全15巻であるらしい。1巻をパラパラとめくってみると、主人公の二鳥くんが、もののはずみで女装してしまい、そこからトラブルに巻き込まれていく。そこまでですでに面白い。しかし、15巻だ。残り11巻?

結局8冊を抱えて帰り、改めて夕飯の前に『放浪息子』の1巻をめくってみる。なんだかわからない千葉さんという人が暴走している。面白い。『日常』は、アニメそのままで、娘に持っていかれた。

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週末。電車に頼らず、自転車で可能な限り回ることとする。日差しが厳しく、すぐに帽子に汗が染み込む。家から自転車で約10分の古本市場という古本屋で、涼みがてら本を探す。汗が引かないので店の隅に移動して、持ち歩いているカレーハウスココイチのうちわで涼を取る。

『日常』は、5巻、『放浪息子』は2巻と11、12、13、14巻が見つかった。『日常』は残るは後半の5冊、『放浪息子』は、飛び飛びだがのこり7冊。

熱い中、南に進路を取る。4号道路という道は歩道は広いのだが、ガードレールが主張しているせいで、すれ違いが厳しいため、なかなか進まないのだ。少し西に傾いた右側からの日差しは、容赦なく自転車を攻め続ける。暑い。3駅分先の、中型のブックオフにたどり着いたときには、体の内側まで暑くなってしまった。グレーのシャツを着ていたため、斜めがけしていたメッセンジャーバッグの紐の形に汗で濃くなってしまった。室温のお茶を飲み、ツタヤと合併しているブックオフへ入店。涼しい。

角川書店の棚を見ると、『日常』は100円コーナーに6、7、8巻がある。残り2冊。上出来であろう。そのとなりにエンターブレイン『放浪息子』は、1冊もないのである。

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翌日の午後、家を出ない妻と娘を置いて、電車で通勤圏内の別のブックオフへ向かった。あそこには何かあるはずだ。照りつける真上からの日光。影が一つもないショッピングモールまでの道。たどり着くまでに体力が消耗してしまう。なぜ、駅前にショッピングモールを作らないのかと問いたくなるが、車での来客がメインだから仕方がないのかもしれないと言い聞かせて、重い足をすすめる。

建物に入り、1階のダイソーに足を踏み入れると、不安感を覚えるほどの冷気。ありがたすぎて思わず無駄にボタン電池でも買いたくなってしまった。そこをぐっと抑え、2階のブックオフへ進む。高ぶる気持ちを抑えるため、平然を装って、無駄に楽器コーナーなどを覗いてみる。ギターアンプが800円の50%引きで、安い。しかし、今はそんなものを買っている場合ではないのだ。

できるだけゆっくりと漫画の棚へ足を運ぶ。緊急事態宣言下とは思えないほどの人出に、なるべく近寄らないようにしながら100円コーナーへ。はたして、『日常』は9巻、『放浪息子』は2、6、15巻。最終巻が手に入ったのは心強い。大抵の漫画は、最終巻だけ刷り数が少ないため、レアになっているのである、ということは最近知った。『日常』残すは10巻のみ、『放浪息子』は3、9、10巻だ。ここまで不思議なことに、古本市場にもブックオフにも、半額程度の価格が付けられた通常古本コーナーに、目当ての本は1冊も置かれていなかった。

残るブックオフは、家から北へ5kmほど。遠くはないのだが、国道沿いの立地が好きでないため、暑い時期と寒い時期に行きたくないうえに、ハードオフと一体化店舗で、どうにも商品が少なく値付けが渋い。できれば他の店舗を回りたい。

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平日の間には何をすることもない。

次の週末は、少しお金を払ってもう一軒ブックオフに足を伸ばすか、沿線の少々遠いブックオフまで行くか、などと仕事中にも考える。O駅から2kmに1軒の古本屋チェーン、5kmほどのところにブックオフと古本市場が有ることはわかっている。仕事帰りに寄るにはいずれの店も遠いので、まず休日限定であろう。とはいえ、東武線の2路線とJRの2路線に囲まれた、埼玉の"大三角形"の内側に、ブックオフが1軒しか存在しないのは、いつも腑に落ちない。過去にはあと2店舗あったはずなのだが消滅したようで、ブックオフには魔の三角地帯なのではないだろうか。我が家もその三角形の中にあるのだが。

念の為にというのはいいわけになる。手に入らなかったときの最終手段として、ブックオフのネットショップでの在庫と価格を調べる。『日常』10巻は200円、『放浪息子』3巻は110円、9巻は110円、10巻は150円だ。動く手間を考えれば、この値段で取り寄せたほうがずっと得なのはわかっている。何しろ、店舗受取りにしておけば、送料がかからない上に、店舗のように不特定多数に触られまくった本でないものが手に入るのだ。しかし、古本慣れしていることと、今回のルールが100円で、足で集めるなので、あくまでも最終手段である。

また、ここでふと気がついたことが有る。どうやらブックオフのネットショップで、200円と指定されているものは、店頭では100円のコーナーに置かれているものばかりのようだ。試しによく100円で見かける本を検索してみる。あずまきよひこ『よつばと!』1巻、いがらしみきお『ぼのぼの』1巻、文庫本では越谷オサム『陽だまりの彼女』、三浦しをん『舟を編む』…やはり110~200円になっているようだ。

こういう本は、一部はもう買取もしていないか、買取ではなく無料引き取りの上で廃棄されていくのだろう。過去に、奇想天外社漫画や書籍、上下2段組の春陽堂の文庫などを購入していたが、今となってはどの店の店頭でも見ることができなくなった。どの古本屋にも鎮座していた、大友克洋の短編集を、今買おうとしたらどうすればよいのだろう。最初はISBNナンバーの有無の問題かと思っていたが、最近は、古いだけで世の中から消えていく本がたくさん有るのだろう。

ところで、揃っていない漫画が家にある場合、どうするか。世の中にはいろいろな人がいるだろう。有る巻だけ飛ばしても全部読む人。1巻から途切れるまでの巻を読む人など。私の場合は、全巻揃うまでは、ほぼ読まないのである。積んでおき、「あと3冊か」と自分にプレッシャーをかける。持っていないが、鳥山明『ドラゴンボール』や栗本薫『グイン・サーガ』などに手を出したら大変である。読み始める前に、タワーが崩れてしまう。

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気もそぞろのまま週末に突入。2日で2箇所回り、ダメならネット通販と心に決め、土曜の午後にスタートする。嫌になるほどの晴天。自転車で、北へ、と言っても、開かずの踏切は通りたくないので、一旦東に出る。古利根川周辺の道はわかりにくく、歩道も路肩もなかったりするので、あまり好きではない。誰もいない球場を横目に、ひたすら北東へ進路を取る。ビバホームとイオンの看板が見えてきたら、あと少しだ。

なぜかあった、辛子明太子の看板がなくなっているのを横目に、店内に入る。暑い。クーラーがあまり効いていない。埃っぽく、倉庫のようなハードオフには用はないので、古本コーナーへ向かうが、無い。ターゲットの4冊はおろか、両タイトルともに無い。こうなるような予感があったから、来たくなかったのだよな。仕方なく、大判漫画コーナーの単巻作品を見ていたら、米代恭『おとこのことおんなのこ』という、LGBTをテーマにした漫画を見つけた。軽く立ち読みをしてみるが、面白そうだ。文庫コーナーで小川洋子『琥珀のまたたき』は、確か無いはず。オンラインメモを検索し、確認の上で2冊を購入し、イオンへ移動して、本格的に汗を引かせた。

翌日曜。O駅から2軒回る。歩数が稼げそうなので、万歩計をかばんに入れた。O駅から西へ。嫌になるほど日影はない。信号が細かく有るのだが、歩行者は皆、信号待ちは歩道のギリギリまで進まず、建物の影になるところで信号待ちをする。遠くに山並みが見え、トッピングに入道雲のような雲が載る。地方の都市に旅行に来た気分になる。これで涼しければ良いのだがな。

約2km。ローソンとくっついた、広島の本屋チェーンの古本屋に入る。涼しい。広島出身の人に「フタバ書店っていう古本屋が」と言ってみたが通用しなかった。フタバ書店は普通の新品本屋チェーンなのだそうだ。

あまり見ない古本屋なので、本の並びがよくわからない。汗を引かせるまでの時間稼ぎにちょうどよいだろう。見たことのない文庫本や漫画も売られており、100円コーナーに浅野いにお『ソラニン』という辞書のようなぶ厚い漫画があったので、つい手に取った。野々村朔『おとなりコンプレックス』というカラフルな背表紙に惹かれ、よく見てみると4巻が昨年発売になったばかりということで、おそらく最新巻まで揃うため、こちらも手に取る。いざ角川、エンターブレインの棚へ。

無かった。

すでにそこそこの重さになった荷物を抱えて、次に南へ。二駅分歩かねければならない。ところで浅野いにおってペンネーム、本名は「浅野仁」なのかな。中高の同級生でも「いにお」って呼ばれていた「仁くん」がいた。「公」がついた同級生は「ハムお」だったな。あと数年ずれていたら「ハム太郎」だっただろう。漢字を分解したり、訓読みを音読みにする「でんちゅう」のようなあだ名のセンスが懐かしい。小説に活かせないものだろうか。

川を渡るため、電車沿いのスロープを上がる。地上約10mほどの絶景と言いたいところだが、この炎天下には暑いだけだ。3歳位の子供が、眼下の公園で鳩を追いかけている。暑いだろう。

大きな道に移動し、少し進むと古本市場である。かなり大きめの店舗で、ライトノベルが充実しているらしい。漫画の並びはブックオフと違うため、いつも混乱する。このご時世だというのに、中房がカードゲームのデュエルだの何だので大声ではしゃいでいるの様子がわかるが、カナル式イヤホンからはダブステップが流れており、気にならない。

果たして、無かったのである。

スマホを取り出し、もう一軒のブックオフを検索。ほぼ真東にあり、距離は4.5km。行けなくはない。店を出てペットボトルのお茶を二口含む。気合を入れるため、キシリトールガムも口に放り込んだ。

芝川という川を渡らねばならず、橋の位置を考えると、でたらめなルート取りは時間と体力を消耗する。スマホに最大限頼りながら、住宅地の中を歩く。照りつける日光のせいで画面が見づらい。

住宅地の先は、地図上では学校の間ということになっていたが、どう見ても農道であり、のんびりしている。その分、影がないのだ。首都高をくぐりしばしの住宅街の先は、また農道である。地図がややこしく、何度も確認しながらようやくバイパスへたどり着いた。目の前に店舗があるが、道を渡るのには大回りが必要だ。信号を設置した人を恨む。

店舗内はクーラーが効いていたが、うちわがないと対応できないので、しばらく人の少ないコーナーでうちわををあおぎながら、クールダウンして汗が引くるのを待つ。村田沙耶香『マウス』が有る。これは購入。汗が引いてきたので、奥の漫画コーナーに向かうが、慣れないブックオフだとどこに何が有るのか、100円コーナーを探すだけでも少々時間を要する。S県の一部の店舗では、100円コーナーすら存在しないブックオフも有るのだ。

その店の100円コーナーは、柱を挟む形になっており、柱が邪魔でもあり、隣の人と接触しないという意味では良いのだが、客が柱にもたれて立ち読みしているため、近づきづらいのが欠点であった。

『日常』は、1~4巻で、目的の10巻は無し。『放浪息子』は、14巻まで結構揃っている。よし、10巻、9巻…3…?なぜ3巻だけ欠けてるかな。まあ、ここらでネットショップのお世話になるとするか…。帰り道のスーパーで、娘にこんにゃくゼリーとアジフライを買って帰る。最近、小学校の給食のおかげで、魚の旨さに気がついてきたようだ。

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帰宅し、『日常』10巻と『放浪息子』3巻をネットで注文。O駅前の行きつけの店で受け取りにした。これで、ようやく読める。『日常』は、子供がすでに読み漁っているようだ。

2作品のコンプリートの過程で、いくつかの別の本を見つけたし、何なら最新刊まで全巻購入できたのは、ありがちなラッキーな副産物と言えるだろう。

『おとこのことおんなのこ』面白かった。
娘にはまだ見せられないけれども。