16. ノーモアラビリンス。

 その日は、浅草の仲見世からスカイツリーあたりまで、ちょっとした散歩にでかけていた。東武線が器用に曲がって浅草の松屋デパートの2階に入っていくさまは、いつ見ても不思議な気分である。それ以上に、老朽化での建て替えが心配になるのだ。

浅草の松屋の下には地下鉄も走っており、デパ地下、地下鉄、謎の地下街で、地下に傾斜が有ったりして、なかなかカオスでたのしい。地下にあるガード下という雰囲気であり、突然中古ビデオやアイデアグッズを売っているところもいい。

浅草というのは奇妙な街で、店は多い割に買うものはなく、食べたり買ったりするのは旅行客ばかりである。自他ともに認める商店街マニアの我が家であるが、商店街の多い浅草でも3回も訪れると、スルッと通り抜けるだけになってしまった。昔、浅草で1000円で買った合皮靴は、2回はいたら踵の部分がほつれてきた。以後買っていない。

結局いつもどおり何も買わず、行列のできるきんつばを横目で見ながら歩いていると、外人の女性に声をかけられた。30代くらいの娘と、その母親といった風貌の2人連れである。英語が粘っこく、フランス人であろうか。

少し脱線するが、私には、旅行先で現地の人になりきるというちょっとした特技が有る。電車2本で来れる浅草に限らず、九州でも北海道でもドイツでもカナダでも、旅行で来ているにも関わらず、現地人のように歩いているように見えるらしい。実のところ、意識してやっているわけではない。

出張などでは、妻は新しいかばんや上着を持っていかせたがるが、私は使い慣れたくたくたのメッセンジャーバッグや上着の上にシワシワのヤッケを着ていたり、メーカー不明のフニャフニャのスニーカーを持参したりするため、見た目的にも目立ちにくいのだろう。そういう格好で、治安など全く考えずにズカズカと裏道や住宅街を歩き回り、ポケットに隠し持ったデジカメで、早打ちならぬ早撮りでスナップを収める。そういうことをしているから、ドイツで道を聞かれたりするのだ。正直に「旅行者なんでわかりませんワ」などと答えるわけだけれども。

さて、フランス人らしき母子様の2人連れの娘らしき方。ややこしわ。
「このあたりにexchangeできるところはない?」
「ぱ、パードゥン?」
「exchangeマニー」
「アイシー、エクスチェンジ」
とは答えたものの、その日は三連休の日曜日。吾妻橋駅付近の源のナントカの橋の近くの、古い町工場ばかりの地域である。銀行など開いているわけはなく、ららぽーとのような巨大ショッピングモールでもないと、通貨両替なんかできるわけがない。

「…そうねー、ホテルは遠いの?」
「近いよ」
「じゃあ、ホテルで聞くといいかなー。アンド、あっちにでっかいツリー、スカイツリーが見えるでしょ、あそこにあるかもしれない。あそこでアスクしちゃってよ」
「アイシー、サンキュー」

とは言っているが、少々不満げなのは否めない。だって、知らんもん。だいたい、日本人が日本で通貨両替なんかしないでしょうよ?同様に、実家がK市だというと「K市のおすすめのホテル知らない?」「今度K市行くからいい飲み屋教えて」などと聞く日本人がいるが、普通の人は実家の近くでホテルに泊まったり、飲みに行ったりしない。

まあ、こんな感じで道などを聞かれることが多い。

たまたま工事中の千葉駅にいた時も、陽気なアジア系の旅行客らしきおっさんに声をかけられた。
「ヘイユー、新宿駅にいきたいがどれに乗れば良い?」
「新宿かー。簡単で遅いのと、早いがややこしいのどっちが良い?」
「早いのがいいね」
「じゃあ、青いのに乗る。東京まで行く。オレンジ色に乗り換える」
後から考えたら、錦糸町で乗り換えるという方法があることを忘れていた。

「オーノー、東京駅?昨日行ったよ、あれはラビリンスだ」
総武線の東京駅は地下5階。京葉線は地下6階にあるのだ。一方で、中央線快速は、たしか地上3階に有る。
「そうか、黄色いのなら乗換なしだ。でも20分は多くかかるね」
「オーケー、イエローラインね、ノーモアラビリンス」

おっさんは、相変わらず陽気に去っていった。