101. 芥川賞の女。

 新聞広告での求人は危険である。これは大学院で所属した研究室での経験により知っている。

20年余り前の、9月からの大型研究費を獲得した教授は、「人件費って書いてもうたから、テクニシャン増やそかなー」と、ハローワークに募集をかけた。しかし、"経験者のみ"という文言が障壁になったのか、3ヶ月が経過しても全く応募がなかった。そこで新聞に求人広告を出すことになったのである。「ホール スタッフ募集時給一千円以上土日交休福利有」のような、シャーロック・ホームズが犯人を牽制するために謎の文言を投稿するアレだ。

「めっちゃ高いでー。広告5日出すのに30万やて」
「センセ、新聞は変な人来ますからね。覚悟しといてくださいよ」
百戦錬磨、海千山千、酸いも甘いも亀の甲より年の功な秘書のWさんがすかさず突っ込んだ。

そして、Wさんの予言どおりになったのである。
応募は15通ほど来た。うち半数は「経験はないのですががんばりたいです」という、条件をまるで読んでいない人たちであり、門前払いとなった。問題は残り半数である。

まずは親が応募してきたケース。「長年引きこもりを続けている息子を改心させたい」というような内容の長々とした手紙が添えられ、親の書いた丁寧な履歴書が添付されていたが、年齢が25歳で高校中退。もちろん経験者ではないので書類選考でお断りした。次に経験者では有るが年齢が65歳の女性。丁寧な履歴書の職歴欄が真っ黒で、45歳まで主婦をしていたのが突然就職。しかしそこからが問題で、どの会社も1年程度で退職して、次の会社に移っている。おそらく協調性がなくて衝突を繰り返しているのだろうとお断りに近い保留。経験ありというので電話で喋ってみると、実は未経験でしたという人が数名。極めつけは、職歴なし、履歴書には写真なし、青のボールペンでなぐり書きの経歴。しかも、履歴書の枠をすべて無視して、斜めに記入されていた40代男性など、結局一人としてまともな応募がなかったということを、後にWさんに笑い話として紹介された。

最終的に、ハローワークでも新聞でもなく、日経バイオテクノロジーというウェブサイトの求人から応募してきた、学部卒で就職としては未経験な女性が採用され、幸い人柄も勤務態度も良好で10年ほど働いていたのだった。

*

それとは別の求職者の話だ。今から10年ほど前、震災の数年後の冬の話である。とある週末に、須賀所長から「テクニシャン募集しようかなーと思ってるんだわー。知り合いとかいないー?いなかったらハローワークか新聞かなー」という話を聞いたからだ。

「そういうのは、ネット経由がいいですよ」ということでネットで募集をかけたが、ひと月ほど応募がない。勤務先が辺鄙なところであることと、「契約は1年、場合によっては翌年再契約あり」という、本社の規定通りの文言によって、警戒されたのではないだろうかと考えられた。

その後結局、ハローワークへの求人が出されることになった。
『研究補助員募集、年齢不問、経験者(大学院卒業でも可)』

その結果、2名が応募をしてきた。40代前半の女性と、60代前半の女性である。面接を行った所長が「んー、どっちも普通。でも若い人のほうがいいかなー。老眼もあるしー」と言ったことで、40代前半の女性に決まった。

その次月から、40代前半の女性、三橋さんが仕事に加わった。三橋さんは身長160cmくらい、やせ型で、メガネなし。髪は前髪ぱっつんの少し長いおかっぱ。白衣を着ることもあり、初日から職場に10年以上いたかのような馴染みようであった。

「三橋です。よろしくお願いします」

就任時の挨拶もそれだけ。その日はそれ以外ほとんど話すこともなく、特に特徴もないという印象だった。詳細は聞いていなかったが、事務の坂口さんから「43歳で、独身らしいですよ」と個人情報が漏れてきた。私よりすこし上だった。

三橋さんは、私の直属ではないが、大体の仕事は私が世話をし、教えることとなった。理学部の修士卒で、ベンチャー企業で途切れず働いてきたと言うだけあり、仕事は教えるというよりは、キチッとメニュー通りにこなすというスタイルであった。週のはじめか、その日の朝に大きな流れをメモに書き出し、過去の研究ノートのページ数を指示しておけば、ウエスタンブロットでもPCRでも、ネズミへの腹腔注射でも、一人で静かにこなしてくれるため、指示を出す側としてもとても扱いやすい補助員であった。一つだけ、ネズミの解剖前の"サクリファイス"と呼ぶ頸椎脱臼だけはできなかったので、私が代わりに行った。

三橋さんは仕事中も静かだった。他の補助員の人とも最低限の会話しか行わない。

「三橋さんて、O駅の西側の、ひいき屋って言ったことありますー?」
「外食は、ほとんどしないので」

「三橋さん、今日はきれいなセーターですねー。どこで買ったんですかー?」
「ユニクロ…」

万事このような感じだ。全く話が広がらない。おかげで、他の職員や補助員からは、私を通じて質問が来た。
「武井さん、三橋さんて独身なんですよね?」
「三橋さんて実家から通ってんですか?」
「三橋さん、お酒飲むんですか?」
「三橋さんの趣味って何?」

こちらも、一緒に仕事をしているので、少しずつ聞いていく。
「三橋さん、休みの日は何してんですか?」
「本を…読んでます。もしくは本屋」
「何を…読むんです?」
「昔のが多いですね。三島とか谷崎。最近のも少しは」
「横山秀夫とか?」
「誰ですかそれ?」
もう少しメジャーどころの女性作家などどうか。
「じゃあ、宮部みゆきとか、篠田節子」
「うーん、あまり知りませんね」

得意の読書分野と思ったが、いっこうに傾向が見えない。話題を変えてみる。
「三橋さん、前髪がいつもパシーっと、真っ直ぐになってますけど、頻繁に切るんですか?」
「自分で、切ります」
やっぱり。
「自分で染めたりもするんです?」
「染めたほうが、いいですか?」
あれ?

翌日、三橋さんは、年相応に白髪が混じっていた髪を染めてきた。それ以来、私は三橋さんと外見の話題はあまりしないようにした。

*

その年末、恒例の忘年会が開かれた。忘年会とは言うが、研究所内20名余りで居酒屋に行くだけである。居酒屋の大座敷を取るわけでもなく、普通のテーブル席に早い物順で座り、最初に所長が「じゃあー、今年も一年おつかれさまでしたー、カンパーイ」と言って、めいめいに注文して飲むだけの会である。私も他の職員たちと同様、所長のお世話をするのは嫌なので、早めに会場入りし、奥の方の席に座る。19時の開会の20分ほど前に、所長以外のほとんどの職員や学生は揃い、不幸にも夕方のミーティングに捕まった学生と所長が最後に現れるのが恒例だ。

席は丁寧に2つ空け、皆が見守る中所長と学生が現れるのも、シナリオ通りだ。あとは開けてある2つのうち、どちらの席に所長が座るかである。

その年は、私の隣が空いていたが、幸い、居残り学生が私の隣の席となった。私の向かいには、三橋さんと事務の坂口さん。
会は何事もなく進行。坂口さんと学生さんが楽しく話しているのを、物静かな三橋さんと、飲み会になると会話のできない私が生暖かく見守るという、なんとも不思議なメンバーであった。

ふと見ると、三橋さんはいつの間にか焼酎のロックを飲んでいた。ちょっと聞いてみた。
「あれ?三橋さん、お酒強いんです?」
「ビール、苦手なんです」
「それ、焼酎ですよね」
「これは、いつも飲んでいるので」
「へえー!?三橋さんて飲むんだー」
坂口さんが割り込んでくる。

「ええ。家でですけど…」
「三橋さんて、独身なんすか?」
怖いもの知らずの医師の学生が切り込んできた。

「ええ、まあ」
「結婚、しないんすか?これまでも色々就職されてんすよね?」
できたらしてただろうと思っていたら、三橋さんは予想もしなかった返事が帰ってきた。

「わたし、芥川賞の女なので」
「は?」

その席全員の目が点になる。
いつも無表情の三橋さんが、なぜか半笑いの表情を浮かべている。酔ったのか?
三橋さんは焼酎のロックを少しすすり、こう続けた。

「羽田圭介、又吉直樹、小野正嗣、柴崎友香、小山田浩子、藤野可織、は読みました」
「は、はあ」
「いまのは新しい方からです。後は適当ですけど、石川達三、尾崎一雄、倉光俊夫、安部公房、大江健三郎、開高健、遠藤周作…」
「ああ、そのへんは知ってます」
私もそのあたりなら読んでいる。
「割と新しい方では、小川洋子、室井光広、保坂和志、川上弘美、長嶋有、綿矢りさ、金原ひとみは好きで読みます」
「『蹴りたい背中』『蛇にピアス』でしたっけ?」
「石原慎太郎、花村萬月、宇能鴻一郎なんかは苦手です」
質問に答えず、三橋さんは続ける。いつもとは打って変わって饒舌になっている。

「20代のときに、修士を出て、1年間、就職できなくて、そのときに読書をはじめて」
「はあ」
「何を読んだらいいかわからないから、芥川賞の受賞作を片っ端から集めて」
「でも、芥川賞は難しいでしょう?」
「だと思ったんですが、意外に読めて」
「そうですか」
「昔の受賞作品は、鈍器で殴られるみたいで読みづらいんですよ」
「昔は?」
「そう、それが、最近に近づくほど、共感できると言うか、掴みどころがない」
「矛盾してません?」
「そこが私みたいで、面白くて」
三橋さんは、アジフライのしっぽをかじりながら、焼酎をすすった。

「あれ?料理足りないんだったら何か、何がいいです?」
「あの、カリッとしたやつが」
「げそ天とかかな?」
「それでいいです。あと、焼酎はお湯割りで」
「はい」
お湯割りとげそ天、みりん干しとハイボールは自分用に注文する。坂口さんと学生は、完全に話に飽きて、隣の席の補助員の人たちと話し始めていた。

「それでですね」
三橋さんは続ける。

「ここ10年くらいの芥川賞の作品の主人公は、流されるんです」
「流される、とは」
「就職せずにふらふらして、家事手伝いとかして、抗うこともなく事件に巻き込まれたり、社会や時代に翻弄される」
「うーん…わからないでもないような」
「それで、例えば、来た電車に乗るみたいに、別の男について行ったり、やむをえず就職したり」
「はあ」
「それって、私だなあって共感して」
「え?」
「だから、職安に行ったんです」
話が続いているんだか、話題が変わったのか曖昧になっている。三橋さんは酔っているんだろうか。

「ハローワークですね」
「あんなのは呼び方の問題で、職安です」
「はい」
どうやら反論するのは得策ではなさそうなので、流すことにした。

「そうしたら、すぐに流れてきたベンチャー企業の募集が見つかって、就職できて」
「よかったですね」
「そこでダラダラ働いていたら、3年で契約を切られて」
「はい」
「また職安に行って、流れてきた募集に乗って」
「なるほど」
「だから、芥川賞の女なんですよ」
「ん?」
酒を飲んで、げそ天をかじりながら聞いていたら、なんか面白いことを話しているような気になるが、特に内容は無い。

「だから、徹底して、芥川賞の主人公の女になりきろうと、そうおもったのが10年ほど前」
「はい」
「髪を切ったほうがいいと言われれば切り、ユニクロを奨められたらユニクロを買う女」
「はい」
やっぱり、髪を染める話をしたのは失敗だったようだ。

そのあと、又吉直樹の『火花』の内容について熱く語られたが、未読なので特に返事もできなかった。どうも三橋さんは『火花』がお気に入りのようで、最初、冗談で「マタキチさんの花火」と言ったところ、「マタヨシさんの火花です!」と、珍しく怒られてしまった。

*

その後1年。
次の忘年会の前に、三橋さんは仕事をやめた。同居していた母親の具合が悪くなり、しばらく施設への送り迎えなどをしなければならなくなったとのことだった。

おそらく彼女は、落ち着いたら、また職安に行くのだろう。