45. おばちゃん化する世界。

 大学院、博士課程の研究室にいた5年間は、本当に楽しかった。細菌の放出する物質の生理活性を調べるのがメインの研究だったが、私は少し本流から離れた、細胞を使った実験をメインにしていた。M教授は穏やかを絵に描いて額に入れて飾って、金賞の札を付けたような人であったし、まわりのスタッフも、人を陥れたり力でねじ伏せたりするような人は一人もいなかった。逆に放任されすぎて何も成果の出ない人や、勝手に自分でストレスを作り出して抱え込んで、調子を崩す人はいた。私は後者だった。

そういう自由な研究室の、雰囲気を作っていた一人が、秘書の女性のWさんだった。秘書というが、年齢は教授と1つくらいしか違わないので、結構な歳である。ごくごく稀に教授が暴走しかけると「センセだって、そんなこと言える立場じゃないでしょー」とうまく抑え込んでしまうので、毒気が抜かれるようであった。

そんな研究室であったが、ほぼ全員、飲むのがめちゃくちゃ好きだった。低温室といわれる冷蔵庫になる部屋にはビールがダンボールで積まれているし、ワインや焼酎が冷蔵庫や棚の下に保存されていた。夕方5時をすぎると誰ともなく、「今日どうする?」「教授に聞いてみよか」「Wさん(秘書)もおるよな」「教授は飲めるらしいで」と研究室での飲み会準備委員会が自然と発足する。

さすがにつまみは十分にストックされていないため、準備委員会から、買い出し班が編成される。100円ショップでスナック類の調達チームと、スーパーでの野菜、惣菜、追加の酒調達チームに別れ、めいめいに出発。Wさんがいる場合は、ワインの追加を買わなくてはいけない。

そうして、誰ともなしに雑誌などの置かれた大テーブルx2台が片付けられ、買い出しチームは料理を始める。このころに教授が現れて飲み始めるのだ。

*

さてその日、ポスドクNさんと私で鯛の兜焼きとゴーヤーチャンプルーを作り、一息ついてビールを飲み始めたときには、すでにM教授とWさんは、ワインでかなり出来上がっていた。

「Wさんさー、○○研のとき、なんでIくんと結婚せんかったん?」
20年は前の話である。
「センセー。それはセクハラで訴えますよ。ギャハハ」
すでにセクハラはギャグとして昇華した関係である。
「センセー、Iさんはね、あのときもう、今の奥さんと付き合ってたんですー」
「えー、そうなん?全然気づかへんかったわー」
「センセーは、そういうのニブいんです。今、ウチの部屋のMくんとSさんが付き合ってんの、知ってます?」
「ええええ、そうなん?全然気づかんかった。いつから?」
「ほらー、やっぱり。センセはもう十分に"おばちゃん化"してるんやから、もうちょっと能力を高めな」
「"おばちゃん化"ってなんや?」

そこから、Wさんのおばちゃん化の講義が始まった。

「おばちゃん化は、付きおうた、別れたとかいうゴシップみたいなことに首突っ込んで、日常で普通に話すようになること。Nさん、MくんとSさんの事知ってる?」
突然話を振られた、ポスドクNさんは、ドギマギしながら、
「…いや、あんまり興味ないんで」
すかさずWさんに突っ込まれる。
「ほら。これは"おっさん化"。世間のこととか、我は知らんいう態度で無視していって、気がついたら、『我が我が』て自分の話しかせんようになるんや」

「そういや、Mさん(教授)、昔から人が付きおうたとかいう話が好きやもんなあ。ウチらんときも、そうやったやん」
2席離れたところで飲んでいた準教のEさんから鋭いツッコミ。

「いや…Eくんの場合、奥さんとのこと、結構前から知ってたし、研究室公認みたいなところ有ったし…」
M教授はしどろもどろである。

Wさん。
「でな、おっさんは、歳をとってくと半分ぐらいは"おばちゃん化"すんねんな。でも、"おばちゃん化"した人は喋りやすいし、付き合いやすいんやわ」
M教授。
「え、そうなん?」
「そうですやん、センセ。専業主婦をやってる人らなんか、オバハンやのにどんどん"おっさん化"して、おうて飲みに行ったら、『我が我が、うちの子が』で話にならんのですよ」
「へえー、そうなんや」
「そうそう、あと、おっさん化したら、遠いところの話をするのがえらい、みたいなことがある。政治とか宗教とか」
「へー、Wさん、すごいなー」

さすが百戦錬磨のWさん、亀の甲より(伏せ字3文字)で、言葉に含蓄がある。教授もタジタジである。

Wさん、突然、私に向かって、
「で、武ちゃん、どうなん?彼女、いるんでしょ?」
Nさん。
「いるらしいっすよ、こないだもなんか作ってもらった…」
「アンタに聞いてんのちゃう」
ぴしゃり。

こういう時は、即答するに限る。
「いますよー、順調ですよー」

肯定してしまうと、まわりもそれ以上突っ込まない、はずだ。
Wさん。
「で、どこまで行ったん?したん?」
「それはセクハラでしょ」
「ごめん、調子に乗ったわ」

*

それから幾年月。Wさんの言っていた「おばちゃん化」「おっさん化」を意識することが増えた。

もちろん、身近なゴシップネタで盛り上がるというのもあるが、しゃべって無くても「この人おっさん化してるな」「おっさんやけどおばちゃんやな」と思うことが多々ある。

雑に言うと、
「おっさんは、『おれにはする/して貰う権利がある』」
「おばちゃんは、『これくらいええやんか』」
どっちも同じことを主張しているのに、交渉となると、おばちゃん的な人のほうが楽だ。

付き合いがめんどくさい人は、おっさん化している人が多いように感じる。

一方で、世の中の権利主張は、おっさんからおばちゃん化に転換しているようにも見える。「あの人にもお金が出たから、ウチもええやん」「あっちが○○円で出してるんやから、こっちも引いて」みたいな。「うちにはこういう権利がある」と主張した人は、むしろ炎上してしまっているのではないか。

まあ、どっちでもいいけど。
この辺がおばちゃん化かもな。

*

なお、「おっさん」と「おっちゃん」は違うと主張する、医者のAさん。

「おっちゃんはええ人。おっさんは、ちょっとアカン人。特にカタカナで書く『オッサン』は罵り語やな」
なるほど。
「おっちゃんの場合は『おっちゃんおもろいなー』とか言うやん。でもおっさんの時は『おっさんええかげんにせーよ』みたいな」
中身はない話だが、妙に納得するものがある。

おっさんとは呼ばれたくないものだ。