80. 今はCDを買わない。

 CDを買わなくなったのはいつからだろうか。問いかける必要もあるまい。結婚してからだ。大学に入ってから結婚する前、外を出歩くと必ず、中古や輸入のレコード・CDショップに立ち寄り、300円や480円のCDを買い漁っていた。

なぜCDを集めるようになったのか、それをはっきり述べるのは難しい。CD最初期の3200円という値段を知っているから、レコードは傷がつくが、CDは気をつけていればいつまでもいい音だから、手頃な大きさだったから、輸入盤や中古CDの1000円強という値段は、学生の身分でも何とかなったから。

色々と理由は考えられるが、大きな理由の一つに、兄がいる。

兄はCDを買う人だった。高校時代から、街に出るたびに何かしらのCDを買ってきた。プリンス、ジョージ・マイケル、シンプリー・レッド、INXS…。高校の後半には、ヘビーメタルのCDを数々集めてきては「どうだ、かっこいいだろう」と聴かせ、テープに録って渡してくれた。

その兄が帰省するたびに「こんなのを買った」と自慢するために、雑誌を調べ、兄の買わなさそうなCDで、中古に並んでいて、しかも"兄が"「おおっ」と思うもの…。そういう基準で、CDを集めていた。

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高校の後半から大学の2年ほどまでは、そうやってヘビーメタルを中心にCDを買いまくっていたが、そのうち、兄がどういうものを聴いているのかがわからなくなっていった。兄も兄で、実家に帰ってくるたびに渡してくれるテープが、ちょっとおしゃれなバンドなどに変わってきたのだった。

そこで私は、ある友人2人に目をつけたのだった。一人はハードロック系のバンドを組んでおり、もう一人はノイズ系のバンドを組んでいた。ハードロック系のバンドの友人は、とにかくテクニカルなロックを好んだし、ノイズ系の友人は、テクニックよりも、おしゃれよりも、うるさくてかっこいいものを好んだ。

そこで私は、彼らに受けそうなCDを買い集めることにしたのだ。

兄に勧められたDream Theaterなどのテクニカルヘビーメタルのあたりを掘り進めるとともに、そのルーツにあたるKansas、Rush、Jethro Tull、Pavlov's Dogといったあたりを広げていった。一方で、ノイズ系は、当時はやっていたJellyfish、マシュー・スウィートあたりから、グラスゴーのTeenage Fanclubに移り、そこを足場として、アノラック系と言われたクリエイティブレコードのあたりを発掘したのだった。また、もっとアグレッシブにDinosaur Jr.、Pixiesなども集めた。

そうだ、まだ他にも標的が有った。寄居だ。実家の近所に住んでいた、高校の同級生の寄居は、あまりロック系を聴くことはなかった。1990年代の前半は、もっぱらヒップホップやR&Bを聴いていたように思う。とにかくかっこいいバックトラック、低音を生かしたものを求め、私もヒップホップ系を集めるようになった。

気がついたら、家にCDが溢れていた。

金額にすれば、月に数千円。多くて1万円。1枚500円で買ったとして、20枚が毎月増えていったのだ。毎年240枚ペースである。6段のカラーボックスの1段を、ダンボールの板で上下に分けるという技を使っても、気がついたらカラーボックス2本が占領されていた。

正直反省しなかったとは言えないが、その後、大学院から就職して数年はそれが続いた。大学を卒業し、寄居が亡くなって「おおっ」と言わせうる標的は、いなくなった。でも、ヒップホップはハウスミュージックになり、アシッドジャズになり、ソウルクラシックになったり、ハードロックやノイズ系はもう少し落ち着いたアメリカンスタンダードなロックになったりして、着実に増えていった。カラーボックスは上下2段に飽き足らず、前面にももう1列増えたし、そもそもカラーボックスが2倍に増殖した。

数えたことはないが、おそらく1000枚強だろうか。そこで結婚した。

妻は、CDを片っ端から押入れに詰め込んでいった。音楽を聴かないわけではないが、なんとなく聴きそうにないからという理由で、何でもかんでも押し込み、ハウスやソウルクラシックの数十枚を残して、すべて視界から消えた。

そして今の家へ引っ越し。ダンボールに詰められたCDが不憫になり、引っ越しから1年位で一旦ワイヤーシェルフに納め直した。カラーボックスでは、きちんとアルファベット順に並べられていたが、いまやメチャクチャである。押入れに入れられていた時期に、カビか何かによって、歌詞カードの一部が変色したものが有ったが、中身は無事だった。また、一部はそれを逃れるために、コンパクトなビニールケースに移されたが、それらを聴くことはほぼ無い。

帰宅後や休日にしばし眺める。昔の習性で、同じバンドや関連アーティスト、アルファベット順に集めては、無駄かなとまた棚に戻す。数が多すぎて、PCへ取り込んでもいない物がほとんどであり、たまに10枚ほど見繕っては、PCで取り込みを行う。

取り込んだCDは、MP3プレーヤーで聴く。

なつかしい。
あの頃、あの夏のWeezer "In the garage"、冬の始まりに自転車で走りながら聞いたSummercamp "Should I walk away"、実家に帰る電車のWarren G "G funk"…。数はたくさん有ったが、どれもこれも、大切に聴いていたことを思い出す。

CD1枚がたった300円。その300円でも元を取ろうと必死だったあの頃だ。今聴くとどこが良かったのかわからないCDだって、良いところを探すために何度も聴いて覚えた。400枚あろうが覚えたのだ。

拾ってきたパナソニックのコブラトップラジカセを風呂の前に置き、徹夜のバイト終わりにCounting Crowsをかけながら風呂に入ったときは、ちょっと泣きそうになったのを思い出す。

そういうCDから取り込みを行ったものは、思い入れが強すぎるので、MP3プレーヤーでも別のフォルダに入れている。そうしないと、突然去来する過去に、電車の中で我を失ってしまうことがあるからである。

*

ある月曜日のある朝。嫌々ながらも6:30のT電鉄に乗る。
所長からの、「論文執筆が進んでないじゃないか」という嫌味と、バングラディッシュ人学生からの「無駄なことばかりさせやがって」という呪いを受けるために職場に向かっている。そうだ、あの懐かしい何かを聴けば、少しは癒やされるのではないか?

MP3プレーヤーの戻るボタンを押し、フォルダを開く

 Redd Kross - 1993 Phaseshifter

詳しくは知らないが、アメリカ西海岸のパンキッシュなロックバンドだ。7枚アルバムを出しているらしいが、我が家にあるのは2枚。そのうち、大学の途中で1200円ほどと結構高額で購入したアルバムが、最も気に入っている。奇声から始まり突然の轟音とコーラス。ジリジリと心地よく耳に刺さるファズサウンド、高音のシンバルが少しルーズに響くドラム。一気に大学の頃の一人暮らしの蒸し暑かった部屋に意識は飛ぶ。

その一方で、最近始めたベース、ドラムに、大学時代よりは弾けるようになったギターのそれぞれが別れて聞こえるのは、当時のラジカセなどと異なり、再生性能の良いMP3プレーヤーを用いているからだろう。

もちろん全て、弾けないが覚えている。
ここでドラムロール。
個々でベースのソロランニング。
クリーンだったギターが、突然ファズを伴って暴れ狂う。

何もかもが、完璧なタイミングで主張し、無駄なく引く。自分の心臓や脊髄液の流動や鼓動のタイミングと、ピッタリと合致する。これ以上のものはないと感じさせる何か。

CDを買いはじめた頃、大学の頃は、自分の意志でCDを選んでいたとは、到底言い難い。

ただ、気がついたときには、踊りだすアメリカンロックのリズム、疾走するファンクのベースライン、爆発するハードロック・メタルのシャウトやギターソロ、押し出すスラッシュメタルのドラム、包まれるテクノのシンセ、のたうつヒップホップやEDMの無駄に低いベースサウンドなどが、血肉となり、体のリズムを形成していることに気づくのだ。

今はCDを買わない。

でもいつか、また、買うのだろう。