42. ジャリを敷く。

 O県の県名大学の微妙な学部に通っていたのだが、在学中にいくつか変なアルバイトをしたことがある。大抵は単発だが、継続可のアルバイトでも、だいたい1回行ったきり、二度と行かなかった。

変なアルバイトを紹介してくれるのは、同級生友人の中で大学から一番近いところに住んでいた、小川である。同級の同学部には2人の小川がいたが、背の高い、大学に近いのが関東出身のビッグ小川、背の低い関西出身のリトル小川である。そのビッグ小川の家は、大学から近いという理由で、毎週買ってもいないのにどこからともなく少年ジャンプが届けられ、ゲームやCDが置かれ、自然にたまり場になっていた。因果関係は逆なのかもしれないが。

ビッグ小川のすんでいた、たまり場となっていたアパートは1軒家と道を挟んで、コンビニに近かったのだが、24時間365日、24/7でコンビニの前に設置されたUFOキャッチャーの音が聞こえていた。あれを常時聞かされると、気が狂う。なお、そのコンビニは、夜中に10000円で買い物をすると、お釣りが3~4000円しか返ってこず、「違うやろ」と言うと「チッ」と舌打ちをして、札を返してくれる、非常に信用できないコンビニであった。UFOキャッチャーの音は精神を破壊するのだ。

さて、そのビッグ小川のアパートの大家さんは、どこにどういうツテを持っているのか、すんでいる学生に、変わったアルバイトを紹介してくれたのだ。店舗の設営、農作業、工事現場、引っ越し、店番…。また、変わったアルバイトはいずれ紹介するとして、何度か誘われた中に「線路の砂利敷き」というアルバイトがあった。

「来週の火曜にさ、線路の砂利を敷くアルバイトがあるっけ、やるっぺ?」
北関東丸出しのビッグ小川が誘ってきた。
「へー、どういうん?」
同級生ともども、聞いたことが無いアルバイトなので興味津々である。
「新幹線のよ、砂利を、夜中に入れ替えるんだべさ。行ったこと無いけどさ」
「へええ、バイト代いくらよ」
「10000円くらいって、大家さんが言ってた」
「ほう、ええなあ。じゃあ行く」
みんな口を揃えていう。
「じゃあ、4人か?言っとくわ」
「ちょい待ておメエ、5人ちゃうんか」
O県出身の宮原がツッコむ。
「オレさ、次の日部活で朝練あるから無理なんだわ」
ビッグ小川は、体育会系の体格だが、演劇部に入っている。
「そうけー、しゃあないな」
「じゃあ、来週火曜、夜8時にうちの前に来てな」
「ほあーい」

*

果たして火曜の夜、来たのは私とリトル小川だけだった。
どういう格好をしてきてよいのかわからないので、ボロい綿入れジャンパーにジーンズ、コンバースオールスターとリュックで行った。リトル小川は、大学のフィールド実習用の長靴とジャージだ。
「宮原らあよ、やっぱり朝まで無理って言っとったわ」
まあ、一人でもないからいいかと思っていたら、あと2人、知らない学生が来た。
「ちわっす」
形式だけの挨拶をして、あとは黙っている。そこへ、ワゴンタイプの車が現れた。
「おめえらか? 何人? 行くから適当に乗って」
リトル小川が助手席、知らない学生2人と私が後部座席。

「おめえら、みんな初めてか?飯はもう食うたよな?」
運転席のおっちゃんが言う。ボソボソと返事をする。
「今日はよう、新幹線な、S駅あたりだわ。やることは行けばわかる」
「それから、始まるのは11時過ぎから。新幹線が終わってから作業じゃ」

それだけ言って、カーステレオのラジオをつける。AM放送で、漫才コンビであるベイブルース河本が急死したという話をしている。

「えっ、死んだん?」
関西出身のリトル小川がつぶやく。
「え、何じゃ、有名な人なんかい?」
「ええ、若手漫才師で、まあ関西ではよくテレビに出てますわ」
私とリトル小川くらいしか知らないようだ。
「ほー、まだ若いんか」

約1時間、午後9時過ぎに現場の高架下に着。
「まだ時間に早いし、車の中にいてて。トイレ行きたかったら、そこの事務所にあるさけ。寒かったらエアコン入れろ、な」

おっちゃんはエンジンを掛けたまま事務所に行ってしまったので、2時間近く車で待つことになった。黙っていても仕方がないので、知らない2人と話す。

「自分ら、O大?」
「いや、O商大」
「オレもっす」

おお、難しいやつや。O県O市には、O大、O商大、O理大の3つの大学と、市立の女子大があるのだが、O県民の評価は、O大がトップであとは「ザコ」扱いである。我々もO大の中ではザコ扱いの学部所属なのは置いておいて、そういう評価は知らないふりをして話さなければいけない。その為にも、他県から来たアピールは大事だ。

「え、じゃあ、K山とかの方に住んでんの?」
「あ、そうそう。S川の近く」
「へー、ウチはインターのところ」
「それでO大まで通ってんの?」
「小川は、S橋やで」
「すげえ、都会じゃあ」
「大阪から来とるしな」
よし、なんとか打ち解けただろう。

「えらいおっそいなあ。今何時じゃろ」
「ちょっとまって…」
こういうこともあろうかと、リュックに入れていたペンライトを取り出す。
「まだ10時前や」
「へえ、一応予定表貰ってるから見るわ。ライト貸して」
ほう、予定表なんかあるんやな。
商大生Aが自分のリュックを漁る。
「イテッ!」
「え?なにい?」
「紙で手え切った」
自分のリュックを漁り、ティッシュとバンドエードを出す。
「ほら」
「何やおめえのカバン、何でもでてきよるな。ドラえもんかあ」
「確かに」

*

11時前、おっちゃんが戻ってきて高架の下の待機場所に移動。荷物を置き、安全ベストとヘルメット、シャベルを渡される。ちなみに、関西で「シャベル」は長さ1mくらいの長いやつ。「スコップ」は片手持ちの移植ゴテのことだ。関東では、それが逆になるので難しい。

「じゃあ説明するナ。やることは簡単ヤ。上りの線に古い砂利を乗せるトロッコが来よるカラ、角の取れた砂利をそれに乗せていってもらう。あとは勝手にできるからナ」
リトル小川。
「角が取れた砂利って、どうやって見るんですか?」
担当者。
「小さくなってるやつナ、茶色いやつ。だいたい表面にあるやつを厚み10cmも取れば大丈夫じゃあ」
コンバースで来た私。
「靴がこんなんでも大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。トロッコに踏まれんかったら何でもエエ」
適当である。ゴムの長靴で来ても、トロッコで潰されたら終わりだ。

最終の新幹線が通過し、もう通らないという旨の無線の連絡を受けてから、高架の上に上がる。電車マニアでもないが、ちょっと興奮する。高架の外が見えるかと思ったが、かなり高い防音壁などがあり、全く見えない。後にも先にも、おそらく人生これからも、新幹線の線路脇に立つことなど無いだろう。

大きな音をたてて、黄色い砂利を乗せるトロッコが、電気機関車に押されて現れる。言われたとおり、足元の砂利をすくうものの、全然砂利がシャベルに乗ってこない。

「もうちょっとナ、立てて入れてナ、横からやるんダワ、こうやって」

おっちゃんのアドバイスを聞きながら、4人でできるだけ掘る。厚みが10cmくらいと言われたが、10cmより下の砂利は、削れている部分が少ないからか、シャベルの歯がたたないので、10cmというのはすくえる範囲ということを知る。

「反対側もやデー」
要領さえつかめれば、自分の持ち分の2mくらいの範囲はすぐ終わる。難儀なのは砂利の上に安定して立っていることだ。そういう意味ではゴム長靴のほうが良かったかもしれない。

「はい進むデ」
3~4回もすれば、持ち分を消化するのはあっという間になる。これを数回繰り返し、進んだのは50~100mくらいだろうか。時間は午前3時頃。

「じゃあ、砂利下ろすけん、下がってー」
削った分の砂利を補充するのだ。

後ろから蒸気を吐く黄色い車両が現れる。ホコリを散らさないよう蒸気ではなく、霧のように散水しているのだけれども。

「はい下ろすー」
車両の両脇から砂利がバラバラと落ちる。

「次、叩くから」
という言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドドドドドドドドドと踏み鳴らすような振動と音。砂利を落とした車両の後ろの方に、ハンマーのようなものが付いているらしい。
「これでな、砂利をナラして、締めるんじゃ」

車両が目の前を通っていくと、リトル小川が、
「寒いわぁぁぁ」
まだ秋とはいえ、夜中のジャージに霧のような水をまかれたらそれは寒いだろう。ジーンズで来ていても、じわじわと湿ってきているのがわかる。寒い。

「じゃあ、線路の上や枕木の上に乗った砂利をどけてー」
枕木とは言うが、コンクリートであり、作業は砂利を取り除くことにくらべたら、屁のようなものとなる。

*

その後、点検が30分ほどあって、高架下の事務所へ戻る。熱い缶コーヒーが用意されており、ひと心地ついたのは午前4時過ぎ。
「これで終わりか?」
「楽すぎじゃろ」
「でもほとんど進んでへんぞ」
「うーむ」

などと言っていると、運転のおっちゃんが現れた。
「どや?疲れたか?」
「いや、全然。まだあるんすか?」
「今日は終わりじゃ。また今度来てくれや。バイト代は○○さん(大家)から貰ろてーな」
「でも50mくらいしか進まんかったですよ」
「あれだけしか、砂利が積めんのじゃ」
なるほど、そういうことか。

家についたのは朝の6時。昼まで寝て大学に行く。
「結構楽やったぞ。あれで10000円は、エエな」
「そうかー、じゃあワシらも次は行こかな」
「行こマー」

*

2月。次の現場は、在来線の単線の線路であった。貨物が通る関係で開始時間が遅く、便利な砂利敷き列車など来ない。ハンマーでの締めも、専門作業員が手動で行う。トラックから猫車で土手を駆け上がる。数回に1度は駆け上がる途中で砂利をぶちまけてしまうので、やり直しとなる。

7時近く、明るくなるまでの仕事は、8000円の割にきつかった。全く割が合わない。

家に帰る時間もなく大学に行き、午前中のドイツ語の授業は爆睡、別の意味で単位を落とした。二度と砂利敷きのバイトなんかするもんかと心に誓ったのだった。

(記憶違い、時代背景等から、現在の作業とは異なっている可能性があります)