110. 四十肩と秋の空。

 イテテテ…。

時刻は11月最後の日曜の朝の6:30。11月の終盤にもなると、6時を回ってもまだ暗い。そして、夏にどういうきっかけだったか、左の肩に四十肩を発症してから、左を下にして寝る癖があだとなって、朝起きると肩のみならず、首やひじまでひねったような痛みを感じる。自称で四十肩と言ってはいるものの、40代後半もさらに終わりに近くなってくると、これは四十肩か五十肩かの区別をつけるのは難しい。なお、「アラフィフ」という場合の「アラ」は「around」と思いこんでいたが、「アラカタ」という説もあるらしい。

気温13℃。足元さえ覆っておけば、まだぎりぎり活動できる気温である。まだいびきをかいている妻と子供を置いて、そっと布団から抜け出し、トイレに行って顔を洗う。二階の書斎兼楽器部屋件クローゼット部屋も、さすがに子供が小学生になったこともあって、すべり台は片付けて、ローチェアに組み直した。ギターを弾くのにちょうどいい高さなのだ。

さすがに、ライトダウンジャケットだよな、とネイビーのライトダウンに合わせ、ベージュのパンツとドット柄のシャツを選び、床に投げる。私は畳まれていなかったシャツ類を畳んでカラーボックスに納め靴下を履くと、コンピューターを起動した。

*

私には、最近できた趣味がある。

空を描くことだ。イラストはこれまでもポツポツと描いてきたのだが、背景や風景の絵は子供の頃の写生で絵画に苦手意識が植え付けられてしまったため、描いてこなかった。しかし40の自己流手習いで、空の色の変化を再現するというのがなかなか楽しいことに気がついた。そのために、ブックオフでペンタブレットまで購入した。かなり古い機種だが、880円とお買い得だったのだ。Windowsの対応バージョンが古くハラハラしたが、ドライバをダウンロードしてインストールすると、難なく使えるようになった。

空の色は均一ではない。晴れた昼間は下の方が白く、天頂に向かって青くなる。しかし、太陽があるとまた少し違ってくる。ところでこの趣味であるが始めたのが最近であることには訳がある。やはり、秋の朝夕の空はおもしろいのだ。朝、日が出る前はピンクから紫色、日が昇ると雲は白やグレーに山吹色がトッピングされる。文学などではよく「光る雲」などと称されるものは、朝霞夕方の太陽が残っている時間のものである。そして朝の空は一部が緑色の水色だ。夕方はまた複雑で、日が沈んた直後の夕焼けというのも単なるオレンジではない。赤から紫、そして水色から濃い紫色へのグラデーションになる。完全に日が沈むと、地平線が濃いネイビー、天頂もネイビーで、真ん中あたりがうっすらと明るく見える。

仕事の行き帰りにスマートフォンで撮った写真をコンピューターに取り込み、画面の左端に表示すると、無料のペイントソフトを起動する。1600x1600ピクセルの白紙の新規キャンバスを前に、どこからどこまでの正方形を切り取るか、しばし考える。

そしてペンを持ち、目的の紫を選択すると、300ピクセルの太いペンで45%の濃さで塗りたくっていく。上の端は暗めの水色になるよう、色は少しずつ変えながら、塗り重ねていく。書道のようである。

次に、重なった部分の中間色を拾い、色の段差が無くなるように濃さを20~35%に抑えて塗っていくと、ものの10分ほどで夕焼け後の空の色が完成した。段差を抑える作業は、一転、彫刻のようでもある。

そこまでいくと、キャンバスを拡大、縮小し、「うーむ」と一人出来の良し悪しを評価する。ただのグラデーションの正方形のキャンバスを眺めている人は、傍から見たらかなりおかしな人であろう。

新たなレイヤーを追加し、雲を描いていく。夕日が沈んだあとの雲は大体黒い。黒いのだが、紫やピンクに色づいているところが写真を撮らせる気分をもり立てるのである。しかしながら、雲はそうそう描けないのである。これまでも20枚ほど描いてきたがどうしてもペンが走った軌跡が出てしまう。また、雲をただのグレーや白で描くとおかしくなるので、周りの色を少しずつ混ぜながら写真に近づけていくのである。

何枚描いても、毎回、写真のようにはなってくれない。そこで私は呪文のように唱える。

「正解などない。大丈夫」

この絵を公開しても、だれも写真と比べる人はいないのだ。呪文の効用で、どんどん雲らしき影が出来上がっていく。できるだけ暗いところは暗く、明るいところは明るく、中間はそれなりに、可能な限り太いペンで描いていけば雲のようになる。

最後に、手前にわざとらしく電柱などの影を黒1色でちょいちょいと入れれば完成だ。30分はかかっていないだろう。自己満足として十分であるが、こっそりお絵描きSNSにもアップロードしておく。20枚も流していると、固定のユーザーが見つけ次第「いいね」をくれるのである。機械的に「いいね」をしているとしても、それだけで嬉しくなり、来週も描いてやろうと思えるのだ。我ながら安いモチベーションである。

*

外はすっかり明るくなり、8時30分。一階のリビングからゴソゴソと音がするので、着替えを持って階下へ降りた。リビングでは毛布にくるまったままミノムシ状態の娘のあやが、起きているのか寝ているのかわからない状態でプリキュアを見ている。今年のプリキュアは、食べ物の恐らく好き嫌いをなくしたいというテーマで作られたものだと思うが、小学校2年にもなるとこういうものでは踊らされなくなってしまった。2歳頃のアンパンマンは効果があったのだがな。

また、小学校入学で終わるかと思ったプリキュア熱も、今だに続いている。このあたりも新型肺炎の流行が影響しているのか、友達も何人かプリキュアを見続けているのだそうだ。同じ友達と深夜アニメの話もするのだという。

9時。パンとカフェオレという簡単な食事をしているが、娘はテレビが仮面ライダーになっても動かない。だいたいこのまま1時間ほど寝るのが毎週のルーチンになった。娘は幼稚園までは早起きだったが、小学校に入ってものすごく寝るようになった。そのせいか、眠った成果なのか、現在学年で一番身長が高いのだそうだ。

我々の朝食が終わり、録画したタモリ倶楽部の再生が終わる頃、ようやく子供が起き出してくる。子供の朝食が、これまた1時間程かかり、掃除洗濯で一段落付く頃には11時半をまわっているのである。

「ねえ、今日はSタウンに行かない?」

妻がめずらしく言う。ここ3年土日の午後は子供が「めんどくさいから行かない」とどこにも出かけないので、私一人でブックオフやハードオフを巡っている。

「え、いいけど、なんで?」
「あやがね、宿題の日記を書くのに、ペットショップの犬を見たいって」
「ああ、あそこか」

Sタウンというショッピングモールは、南側が公園に面していることと、公園側に大きめのペットショップがあり、大型犬を含めた珍しい犬が散歩に来るのである。散歩に来ているほとんどの犬はそれなりの高齢で、おおむねとても大人しく、子供に触らせてくれたりするのである。犬も高齢になると、白髪になるというのは最近知った。そういえば実験用のネズミも白髪になる。

そうして家を出られるのが、13時半。

電車に飛び乗り、Sタウンから1kmほどのあえて遠目の駅で降りて、徒歩で向かうのが我が家のやり方だ。しかし難点は、Sタウンにたどり着いた頃には、14時半なのだ。遅い。

「ママーお腹減ったー」

娘が言うが、当然であろう。我々はフードコートのマクドナルドとうどんで、軽い昼食を済ませた。

「まず、犬見る」
「後で。まずブックオフ」
「いーぬー」
「ブックオフー」

妻と娘が言い合っている。どうせブックオフではおもちゃに夢中になるのだ。妻は、子供の上着類があっという間に小さくなるため、当面は古着で賄いたいのだろう。私はというと、本を見られるのでありがたいのだが、当然ながら子供が優先となる。中古でほとんどが100円の、いわゆるジャンクなおもちゃを漁るのである。

「おー、シルバニアの犬の家族」「キュアエトワール、無いやつ、これ無いやつ」

次々とかごに放り込まれていく。全部を買うわけには行かないので、この後妻と3人で協議して、せいぜい3つくらいに減らすことになるのだ。

「今日はあまり無いなー」
「十分やろ、こんだけ全部買わんで」

娘とと言いつつ妻のところに向かうと、妻は妻で子供服を山盛りにかごに詰め込んでいた。

「だって、全品半額でしょ。あやも130cmだし、去年のは全部小さくて着られないし」

選ばれている服は、140~150cm。小学校2年でこれだと、中学に入る頃には300cmくらいが必要になる。

妻に100円の割引券を進呈し、ブックオフをあとにした。

*

「おなか減ってない?」
「犬!」

夕焼けの中、中庭に面したペットショップへ向かう。ちょっとばかりハイソな雰囲気のある中庭には、いかにも血統書の付いたような毛の長い犬たちを連れた人たちが会合していた。

中でもコリーのような大型犬は、ブームのトイプードルやシーズーなどがキャンキャン暴れているのを後目に少し疲れたような顔で佇んでいた。

「あのねえ、これはシープドッグっていって、もうおじいちゃんなのよ」「あ、はい」

特に説明を求めていなかったのに、飼い主の女性が娘に声をかけた」

「さわる?大丈夫、もうほとんどじっとしてるから」
「…」

実際に触るとなると躊躇する娘。おそるおそる背中を撫でると、シープドッグはほんの少しだけ娘の方へ首を傾げた。

その後も柴犬やトイプードルを少しずつ、しかし無言で撫でさせてもらっている娘を見つつ、空を眺める。秋から冬にかけての夕方は、なぜこうも複雑な様相を示すのか。

ポケットからスマートフォンを取り出し、すでに紺色に近くなった空を、結婚式場の塔の先の背景にして1枚、まだ地平線付近はオレンジ色で紫から青へのグラデーションを描いている空を、街路樹を背景に1枚と撮影した。

「え?何撮ってんの?」
「ん?空」
「へー」
妻もつられてスマートフォンを取り出した。

おとなしい柴犬とたわむれる娘。
無心に空の写真を撮る妻と私。

左肩が痛い。