27. ゲームのない家。

 家にゲーム機がない。スマホがゲーム機になった現代において、それが何だという話ではあるが、人生において、ゲーム専用機を所有したことがほとんど無い。

ゲーム機を初めて意識したのは、1983年。まだ小学校の低学年だった時に、家から100mもいかないところに住んでいた、水泳のうまい同級生の国見の家だ。「うち、エエもんがあんねん」と呼ばれて通された応接室。小さなテレビに、赤い色のプラスチック製の箱が繋がれ、「見てろよ」と電源を入れると、ゲームセンターのようなキャラクターが映し出された。ファミコンこと、ファミリーコンピューターおよび初代マリオブラザーズとの邂逅である。

ゲームセンターでは画面を見こそすれ、ほとんどゲームには触ったことのなかった小学校低学年。世間で言われるほどのショックも受けはしなかった。ただ、まだ世間にほとんど出回っていなかった、ファミコンと、『マリオ』、『ドンキーコング』、『ドンキーコングJr.』、『ベースボール』、『ポパイの英語』…。プレイさせてもらっても、いつまでたってもマリオ以外ほとんどまともにできず、ベースボールでは外野にとんだ球を拾うことが出来ずに、ランニングホームランになる始末。ほとんどは指を咥え、いや、おやつに出されたチューインガムを味がなくなって謎の渋みが出るまで噛みながら眺める他無かった。それ以来、野球ゲームはもちろん、ゲームでの他人との対戦が苦手になる。

それに追い打ちを掛けたのは、中学の頃流行った、光栄の『三国志』を1日だか一晩だかわすれたが、例の悪友、泉の家に5~6人集まってプレイするにに呼ばれたことである。シナリオ1の「董卓討伐」で、周りの国を三国志オタクの連中がやり、興味のなかった私が董卓を担当させられた。おかげで、当時のシミュレーションゲームが大嫌いになったわけで。

話は戻るが、白とエンジのファミコンが普及するのは、ファミコンとのファーストコンタクトから1年以上たってからである。なんで国見の家には早くからファミコンが有ったのか、謎のままだ。おそらくは、親が関係者で、プロトタイプを持って帰っていたのであろう。土地柄お膝元ということで、任天堂の関係者は多く、他の家で花札を包む内職を見たこともあり、「あの花札の任天堂?」と信じられなかった。

その後『ゼビウス』や『ハイドライド』が流行った頃、ようやくファミコンは憧れになった。友人の家でものすごい勢いでクリアされる『グーニーズ』や、見るたびに違ったワープと進み方をする『スーパーマリオブラザーズ』などはもとより、「ふっかつのじゅもん」を記録すれば何日もプレイできる『ドラゴンクエスト』は、なんで人を家に呼んでプレイするのか不思議ではあった。

ボタン電池で動く、モノクロ液晶のゲームウォッチは置いておいて、家にはゲームはなかった。しかし、買ってほしいとも思っておらず、買ってくれと言ったことも1回有るか無いかだ。そうこうしているうちに、パソコンが家に来た。PC-9801である。来たその日のうちに、ゲームのプログラムが載っている本を購入し、テキストで表示されるブロック崩しを入力した。我が家のモニターに映って動くゲーム第1号である。その後は、当時はゲームのコピーが流行っていたので、かなりの数を手に入れてプレイしたが、不思議なことに個々のゲームは覚えていないのだよなあ。アクションゲームかパズルゲームばかりやっていた。

そんな中、とうとうゲームが家にやってきた。

twitter以前からの知り合いが、私のtwitterの「Wiiとかどうなん?」に反応してくれて、Wiiを譲ってくれたのだ。Wiiって、5~6年前の機種でしょ?と思ったら、15年近く前の機種だった。そんなになりますか。

あまりにもゲーム機が無く、スマホ等でもゲームをしない家族だったので、ベーシックなファミコンが良いかな?とファミコンミニなどを調べていたが、子供には難しいのでは?と、体を動かすイメージの強いWiiに白羽の矢が立ったというわけ。

重いだろうと予想していたWii Fitボードだけでなく、意外に重いACアダプターと本体、コントローラーやリモコンを持ち帰り、早速接続…って、赤白黄色のコンポジット接続なんかい。2000年代の後半だから、てっきりHDMI接続だと思い込んでいた。不幸にもというか幸いと言うか、家のテレビはかなり古いので、昔の機器も接続できるのである。

予め用意していたソフトは、『プリキュアオールスターズみんなでダンス』『Wii Fit』である。難易度は知らないが、どちらも体を動かすゲームのようだ。

早速、子供に『プリキュアオールスターズ』の起動をせがまれる。昔のファミコン時代とは大きく違い、初回起動時にチュートリアルを行ってくれるため、説明書いらずである。決定はAボタン。後はボタンを使わず、コントローラーを振り回すだけ。大人が苦労をしているのを尻目に、不思議なほどに、空中でリモコンを操作するカーソル扱いに慣れる5才児。次々とステージを進み、私が風呂に入っているうちに、ポイントを貯めたら使えるようになるという隠しステージまで到達していた。

15年も前の機種だが、ボタン操作ができなくても、それなりに簡単に進めるゲームというのは、進化なのか退化なのかは、まだ判断がつかない。ただ、こんなにもゲームの敷居は低くなっていたのか。スマホゲームも、やってないから知らないだけで、簡単になっているんじゃないか。もう忘れかけていたが、10年ほど前にブームになった、『なめこ栽培』をiPod Touchでやったときも、だめになっても簡単に取り返しがつく事に驚いたのだった。

しかし、人間の心理はそこまで簡単になっていないのが現状だ。
『プリキュアオールスターズ』で二人プレイを行うと、ほぼ娘のほうが高得点になるのだが、たまに妻が高得点を出すと、大泣きする。何日かに1回、そこでプレイ終了なのである。

5歳にゲームって、やっぱり早かったんだろうか。
しかし、7歳、8歳になってから、負け耐性が無いほうが問題だよなあ。負ける事も幼稚園で教えてくれないものだろうか。