76. 邪悪なショップ。

 2017年は11月半ばの日曜の朝。使用していたガラケーの充電端子の蓋がポロッと取れた。家で良かった。外で落ちていたらそれまでだった。よく見ると、ナイロンの紐を溶かしてプラスチックの蓋に接着されていたようである。P-10Aという2つ折りタイプのガラケー(携帯電話)で、充電用のクレードルも購入していたが、職場のPCのUSB端子から充電することが多く、開け閉めを頻繁に行っていたのが原因だろう。

P-10Aを購入したのは、2010年の頭だ。まだガラケーしかなかった頃である。その半年ほど前に、妻がドコモに乗り換えると言う話になり、P-10Aを選んだところ、基本使用料は半額ほどに安くなるわ、バッテリーの持ちはそれまで使っていたF社のものの2倍ほど持つようになるわ、ワンセグは見られるわ、操作は早くなるわと、F社滅ぶべしと叫びたくなるようなものであった。そこで、半年探し回って、機種変更7000円というショップを発見して乗り換えたのだった。

P-10Aが役に立ったのは、やはり2011年の震災のときだ。職場が震度5強の強い揺れのため、エレベーターも停止した。当時の研究所にはテレビが無く、情報収集を使用にもできなかった。そんなとき、ワンセグがあると取り出し、ノートパソコンのように開けるこの携帯電話を会議室に置いて、30人ほどで様子を見ていたのだった。

そんな思い出のあるP-10A。修理も有るなら、この際スマホか?という言葉が頭をよぎらなかったかと言うと、ウソになる。しかし、蓋の外れる1ヶ月前、あるメールを受けていたのだった。

「あなたのお使いの携帯電話のサポートは、あと3ヶ月で終了します」

ということは、まだ蓋はスペアパーツとして手に入るのだ。

*

震災の年、一戸建てに引っ越すにあたり、d社の"マイショップ"というものを、ターミナル駅であるO駅近くのショップに移していた。したがって、サポートしてもらうならそこがいいだろう。その11月の日曜日、予定を変更して、妻と子供とでO駅に向かった。

Tデパートの最上階という、不思議な位置に存在しているd社のショップは、日曜の昼とあって、かなりの賑わいを示していた。といっても、機種を見ている人はiPadで遊んでいる子供1人だけ。ソファーで待っている人は1人。カウンターはびっしりと客が座り、それぞれ説明を受けている。向かって右端の席では、野球帽に紫のダウンジャケットを着たおじさんに向かい、店員が携帯電話の箱を開け、マニュアルを取り出してる。

「えーと…」
そこへ、今どき光沢茶色のダブルのスーツを着た、茶髪の40代ほどの店員が近寄ってきた。
「今日はどういうご用件でしょうか?」
「あー、えーと、このケータイの蓋が取れてしまって」
「あ、はい、ということは修理ですね。こちらの機械で、修理はこのボタンを押してもらっていいですか」
ボタンを押すと、ニューとレシートのようなものが出てくる。番号は164番。
「えーとですね、だいたい待ち時間がですね、おおよそ3時間となっております」
「3時間!?」
「えー、もう、非常に込み合っておりまして…」
「…昼ごはんでも食べるか」

ベビーカーを押し、デパートを出る。
「3時間って、ちょっと長すぎじゃないの?今えーと、1時前だから、4時?」
妻が不満そうだ。
「まあ、その間、別のところを見てたらええんちゃうの?」
「でも、そんなに人、いーへんかったやん」
「みんな、おなじ様にどこかウロウロしてるんやろ」
「ああ、そうか」

あまりに時間が長いため、これまで行ったことのなかった、ピザの食べ放題という店に行くことにした。チーズのパンなら、2歳の娘も食べられるであろう。

*

ショッピングビルの6階。炭酸水飲み放題でピザを食べると、驚くほどに腹がふくれることに気がついたのは、食べ始めて30分くらい経ってからである。直径20cmほど、厚みはせいぜい5mmというさほど大きくないピザ数枚で、身動きが取れなくなってしまった。

私はもともと、胃があまり大きくない。そのくせ、満腹になったと感じるまでに相当の時間を要するため、油断すると食べすぎて動けなくなるのだった。大学時代に、O県では有名な焼き肉、寿司の食べ放題の店に行き、焼き肉を食べまくって、立ち上がれなくなったことがある。体をL字に折り曲げていないと移動もできなかったので、食後は前かがみで、同級生に引っ張ってもらって、先輩の車に乗り込んだことがある。

なおその時、私の従事していた先輩と、他の研究室の先輩の2人で、その店のライチを全部食べるという挑戦をしていた。山盛りで出されるライチのバットが、ものの5分で食い尽くされるのである。出しても出しても食い尽くされ、最後には解凍が不完全なまま出された。「なんかシャリシャリしとるな」「これもまた、味や」と調子に乗っていたところに店員が現れ、「すいません、もう勘弁してください」と謝りに来ていた。

ピザに戻る。炭酸水がいけなかったのだろうと、ハニーレモネードなるものに飲み物を切り替えたところ、調子が良くなってきた。その後、やめておけばいいのに、コーヒーを2杯飲んだものだから、今度はトイレに何度も行く羽目になってしまったのだった。入れ替え制のスイーツ食べ放題の店で、最低30分待たされている客の前を、3度は往復した。

そして、時間は15時30分。

*

Tデパートへ向かい、もう一度トイレに。この歳になると、ドリンクバーはだめだ。妻と子供は子供用品のコーナーに残して、d社ショップへ向かう。対応呼び出しの掲示板は、156番。3時間経ったが、まだ間に7人いる。しかたなく、イヤホンをつけて本を開く。妻にはメールで「まだかかりそう」と送っておく。

16時15分。掲示板は160番まで進んだ。救いが有るのは、番号は連番ではなく、途中飛んでいる部分もあるらしい。

16時30分。まだ呼ばれない。茶髪茶スーツが暇そうなので聞いてみる。
「あの、まだですか」
「えー、あのー、混み合っておりましてー」
「左のあの辺、空いてますけど?」
「あちらは、修理対応ではございませんで」

よく見ると、向かって右端のカウンターでは、野球帽と紫ダウンが、まだ店員と説明書を眺めている。3時間半やってんの?あれ?

16時45分。ようやく164番が呼び出され、小太りの30代と思しき店員が対応してくれることになった。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あのー、このケータイの、この蓋が取れてしまって」
「あー、ちょっとよろしいですかー…少々お待ち下さい」

後に視線を感じたので振り向くと、妻がベビーカーを押してソファーに座って待っていた。子供は相変わらず、パックのジュースを飲んでいる。1日に1Lは飲んでる気がする。この小さい体のどこにそれだけ入るんだろう。

「お待たせしましたー、あのですね、こちらには、このゴールドしかございませんで」
私の機種は、ブラックである。側面なので、同じ色にしたい。
「あーそうですか、取り寄せはできるんです?」
「ええ、できますよ。着いたらご連絡でよろしいですか?」
「あ、お願いします」

所要時間5分。みんな、なんでそんなに時間がかかるんだろう?右端の席では、野球帽に紫ダウンのおっさんが、まだ店員と説明書を眺めている。

*

一週間後、仕事中に電話がかかってきた。
「…あの、ちょっと仕事中で」
「えー、P-10Aの端子蓋、入荷しました」
「あ、はい、で?」
「いつ来られます?」
「えーと、今ちょっとわかんないですね」
「じゃあ、ネットで来店予約できますから、してください」
「え?渡してもらうだけでは?」
「そのまま来られても、また2時間お待ちいただくことになるんですがー」
「あ、わかりました。あとでやっときます」

向こうも、半分お役所仕事なのである。もともと電電公社だからしかたがないが。
帰宅後、ネットで調べると、確かに来店予約ができるということなので行う。ただし、平日夕方は17時までと厳しく、日曜日は予約不可。土曜日しか無い。その土曜日は、学会の最終日である。

学会は発表が1日目なので、土曜はサボろう。ええい、ままよ。

*

11月終わり、横浜の学会に後ろ髪を引かれつつ、予約した朝の11時にTデパートへ向かう。学会だったら、6時には電車に乗ってたのだから、遅くまで寝ていられたので良しと解釈する。

Tデパートのエスカレーターを上る。しかし、土曜の午前中だというのに、客が少なすぎやしないだろうか。3階以上のフロアに、客が1人もいない。

大きな都市にある駅には、デパートが2軒あることという法則がある。この法則を提唱したのは私だが、年々デパートが減っていき、その条件から漏れる駅が出てきた。柏、千葉…。O駅は、本当にかろうじて残っている、デパート2軒の駅である。しかし、近い将来にTデパートはなくなるのであろう。

そんな事を考えながら、最上階へ。ドコモショップは、客が3人ほど。すかさず、茶髪茶スーツが近寄ってきた。こいつ、いつも同じ服装なんだな。
「今日はどういったご用件で?」
「予約している武井ですけど」
「あ、じゃあこの"予約"のボタンを押していただいて」
「はあ」
予約しても同じ対応か。番号は20番。
「すぐ呼ばれますので、そちらでお待ち下さい」

すぐ、と言われたので、本も出さずにぼんやり待つ。さすがに右端の席に、野球帽で紫ダウンのおっさんは、いない。しかし、黒ダウンのおっさんと、その奥さんと思しき金髪の女性が座り、店員は先日と同様に、パッケージを開け、説明書を取り出して、客と一緒に見ている。あの席はなんなんだ?説明書の輪読会専用か?

また、先日どこかの子供がいじっていたiPadは、5mmほど裏蓋が持ち上がっているのが見えた。バッテリーが膨張している。あんなものを店頭においていても大丈夫なのだろうか。

しかし、待てど暮らせど呼ばれない。30分を経過したところで、茶髪茶スーツに声をかける。
「あのー、予約してるのに、どうなってるんです?」
「あー、ちょっと混み合っていましてね」
「届いたパーツをもらうだけなんで、取ってきてもらえません?」
「いやー、それはできませんで」
「はあ」

*

更に15分。ようやく呼ばれ、先日と同じ小太り30代が対応となった。
「えーと、ピーイチゼロエーの端子蓋ですね、少々お待ち下さい」

再度現れた小太り30代は、手に何も持っていない。
「…あの~、誠に申し訳ないんですが、取り寄せたパーツが、ゴールドでして…」
「はあ?」

そこへ何故か、茶髪茶スーツが駆け寄ってくる。
「ほんっとうに申し訳ありません。もう一度取り寄せますんで」
なんだ、オッサン、内容知ってるんじゃないか。

「そうですね、次はいつ来られますかねえ」
茶髪茶スーツはクレーム係なのか、ニヤニヤと薄笑いを浮かべながら話す。そこで、私もキレた。

声を荒らげないよう、ただムカつきを表現するためにインギンブレイを演じる。

「…あの、おたくが売られているものって何でしょうか?」
「…」
「通信機器ではないのですか?」
「…」
「パーツが来た時に、色が違ったって分かってたんでしょう?」
「…ええ、まあ」
「その時に、なぜ到着したと連絡したんです?あのときは仕事中だったんですよ」
「…ええ、まあ、あの…到着したら連絡は義務なので」

茶髪茶スーツのニヤニヤはそのままで、カウンターに肩肘をついて、もう片方は腰に当て、片足立ちして対応されているのに、怒りが倍増する。おかげでいらないことも口から飛び出してくる。

「それに、今日は、実は仕事休みじゃないんです」
「…」
「色が違いましたって、メール1ついただけたら、仕事に行ってたんですよ」
「…」
「…」
腹が立って、涙が出そうになってきた。

「…じゃあ、あのー、次は郵送でっていうのでどうでしょう?」
「はああああ?できるの?」
「ええ、希望された場合は。あと、自分で取り替えられる方は」
「はあああああああ?じゃ、じゃじゃ、じゃあ、それで」
怒鳴りそうなのを抑えるのに必死だが、もう雰囲気は出ているのだろう、周りの客もこちらを見ている。

すかさず小太り30代が紙を1枚取り出し、茶髪茶スーツに渡す。
「ではこちらに、ご住所を…」
ニヤニヤのまま、紙を指差している。

「…おまえら、請求書送ってきてんだから住所くらい分かってんでしょうが」
声を抑えるのに必死で、自分でも言葉がむちゃくちゃになっているのがわかる。
「ええ、まあ、承知しておりますが、これも決まりでして」

「それで送ってこいや」
怒りが抑えきれなくなったので、その場をあとにした。

*

1週間後、d社の封筒に、パーツのみが入れられた郵便物が届き、無事に端子蓋の交換することができた。

しかし色々とケチが付いたことが気になり、2週間後、NEC社のN-01Fというガラケーを2台、中古で購入し、交換することにした。P-10Aと、N-01FはSIMカードの大きさが異なるため、またd社ショップに行く必要が生じた。

さすがに、もうあのショップには行くことができない。
そこで、Google Mapsで、近所のホームセンターの一角にd社のショップを見つけた。2時間の時間つぶしが、ホームセンターでできるだろうか。

日曜日、ホームセンターへ向かい、d社ショップへ。カウンターはO駅のものの半分ほどであり、数人の客が相談している。

冬なのにシャツにネクタイのメガネ社員が近寄ってきた。
「本日はどのようなご用件で?」
「SIMカードのサイズ変更をしたくて」

メガネ社員、カウンターで一言二言交わし、こちらに戻ってきた。
「すぐできます」

「新しい携帯電話の設定はお客様で。SIM交換手数料2000円は、来月の請求に含まれます」
入店してから5分であった。