第二話 『探偵カリゼロ』(上)
2月の半ば、おれは大宮駅近くのビルにあるブックオフで、高校1年の女子、ムッコを拾った。いや、じっさいにはあれは当たり屋だった。女子高生の名前は"ムッコ"。睦月。名字は…何だったか、忘れた。おれの持っていたダイエーのからあげの匂いに、思わずムッコの腹が鳴ってしまい、なぜかおれがその責任を取らされたのだった。 手前の腹が鳴った責任を、なぜかおれが取らされるという理不尽極まりない事態なのだが、ムッコは当然のように責任をなすりつけてきた。
取った責任は「初心者でも読める本を選べ」と選ばされたこと。その上、マクドナルドでポテトまで奢らされたのだ。
腹がたつのは、本を選んでもらっても、ポテトを奢ってもらっても、とにかくムッコは高飛車で見下した態度を取ってくることである。アニメの影響だろうが、「オーイは何を読むんだ?」と、上から目線の断定で叩きつけるような口調には、少々イラつかされる。
そのムッコに1ヵ月前に「これからも小説を紹介しろ」と言われてからというもの、今まで読んできた本を思い返しては、本棚を眺めることが増えた。200冊強。ホームセンターで1800円で衝動買いしてきた文庫本の棚はほぼ全段埋まり、そろそろもう一つ増設しようかと思っている。家賃67,000円、駅から徒歩10分4階建て1DKの寝室のテレビからクローゼットまでの長辺の壁は、文庫本棚を4~5は並べることができそうだ。
改めて買ってきた本棚を眺めると、同じ作家ばかり買っていることに気がつく。東野圭吾、宮部みゆき、池井戸潤、伊坂幸太郎…。同じ作家は背表紙が同色なので、美しく整って見えるのだが、つくづく眺めていると貧相な気がしてきた。個々の作品は面白いのだが、じいさんが一人でやっている、雑然とした古本屋の文庫の棚を見るときのようなワクワク感がない。実際に、200冊買ったからと言っても、ほとんどが100円の本なので、せいぜい2万円である。貧相であることは間違いない。
そうだな、初心者向けで読みやすい短編というと東野圭吾か伊坂幸太郎か。同じ作家は嫌がるだろうか。そうすると半年くらいでネタが尽きそうである。
いやちょっと待て、なんであいつの為にこんなことに心を砕かなければいけないのか。だいたい「1ヶ月後」と言った割に、本人が全く覚えてないんじゃないのか。
連絡用にとフォローさせられたtwitterのアカウントを見ても、毎晩22時頃から「たまらん」「作画最高」「クソシナリオ」「神」「死ぬ」と単語が流れてくるだけで、全く本の感想はつぶやかれない。先週「期末うぜー」とあったのが唯一の近況だ。なんでこいつのtwitterに、450人もフォロワーがいるのか。というか、前見たときよりフォロワー増えてないかこいつ。
しかし、宮部みゆき『龍は眠る』はなんか退屈だったな。やっぱりこの人は長編に限る。短編では、アイデアを書き散らして終わっている感じがする。今週末までに1冊選ばなきゃいけないのか…。
約束の週末まであと3日、なにか思いつくかなあとぶつぶつ独り言をつぶやきながら、ネットを放浪する。しかし、Amazonや楽天ブックスを眺めても、関連書籍は同じ作家ばかりだし、セール中や読み放題はワゴンセールのようなものしか入っていない。もうちょっと効率的に、新しい本に出会う方法はないものだろうか。だったら、実際に本屋に行けって感じだよな。そりゃそうだ
*
3月19日土曜。三連休の初日の16時。なぜこんなベストな時間帯を、あのむさ苦しい高1女とあって嫌味を言われなきゃいけないんだろうか。もう良いかなと思っていた金曜の夕方、twitterのDMが来た。
『明日16時。ブックオフで』
覚えてたんか、あいつ。
仕方なく15時に大宮駅のブックオフに入り、先に自分のための本を選ぶこととする。しかし、1時間前は早すぎたかな。だいたい、おれがブックオフに滞在している時間は、いつもどれくらいなんだろう。あまり深く考えたことはなかったが、気がついたら1時間位じゃなかったかな。そんな事を考えながら、国内作家の110円コーナーを覗いた。
いた。
ペラペラのパーカーにダボダボの生成りのロングスカート、丸い眼鏡にトートバッグという先月とほぼ変わらない様相で、なぜか棚と90度で仁王立ちしているムッコがいた。
「あ、オーイ!」
こっそり逃げようとしたところを、見つかって呼び止められた。オーイは呼びかけではなく、大井というおれの名字を、器用にカタカナで発音した音である。
「早いな。何時から来てんだ?」
「さっきだ。あたしも自分のための買い物というものがあるからな」
そういうムッコの持つカゴには、すでに漫画が5~6冊入れられている。絶対にさっき来たレベルじゃないだろそれ。
「じゃあ選ぶか、オーイ、どれがいい?」
「ちょ、ちょっと待てよな。えーと、10分くれ。おれも自分で読みたい本を選ぶ時間がほしいんだ」
「そうか、選ぶところを見せてもらっていいか?」
「ああ、うん…」
とはいえ、人に見られながら本を選ぶというのは、相当に緊張するものである。「あ」から「こ」くらいまでを見ている間は、全く身が入らなかった。「し」雫井脩介を一冊手に取った時、ムッコが言う。
「それな。映画化されてるやつ」
『検察側の罪人』か。上下巻に分かれているやつは、長時間同じ本を読まなければいけないから、買いたくないんだよな。『クローズドノート』ふむ、裏のあらすじを読むと、感動の物語?そうなんだ。ミステリじゃないのか。まあ、たまにはそういう物があってもいいかなと脳内の「買うものリスト」に入れておく。
「た」高村薫。一冊くらい読んでみたいなと思っていたので、このあたりを…。
「それな。映画化されてる」
「え?そうなの?ていうか、いちいちうるさいな」
ムッコの話し方には、毎回どこかカチンとこさせるものがある。こいつ、絶対友達少ないよなと思わせられるのだ。
「オーイはそういう、映画化とかで選ぶんだ」
「いや、そうでもないが…」
一応、否定はしてみるものの、そうなのかもしれない。やはり何も基準のない状態で、この本の海ならぬ壁の前から、一つ選ぶなどというのは無理な話だ。
「そうかもな。何となく聞いたことのあるタイトルを選んだりするな。そんなに本を読んでこなかったから」
「ふーん、そういうのでいいのか」
「いいんじゃねえの?ここにある本全部は読めないだろ」
「そういうものか」
「誰かに基準を作ってもらわないと、おれも本を選べない。それくらいしか読めないからな」
真面目に探すのがめんどくさくなってきた。雫井脩介と高村薫を一冊ずつ取り、あとは流していく。樋口有介、いいな。大当たりもないがハズレもない。どこで知ったんだっけな?と『プラスチック・ラブ』。今週はこんなもんでいいか。
「よし」
「5分30秒」
「計ってたのか」
「うん」
「で、なに?今回もまた、短編でいいのか?」
「そうだな。読めそうなら何でもいい。まだ2冊目だから、オーイにまかせる」
おれは、悩んでいるふりをしながら、東野圭吾の棚の前に向かった。
『探偵ガリレオ』と『怪笑小説』どちらもそれなりに素人でも楽しめる作風だろう。『ガリレオ』は定番。『怪笑小説』は、ブラックな話で、少々エログロなところがある。高校1年で、更に女子というところを考えると、エログロは少々問題あるのではないか。なかなか難しいものだ。
「まあ、これかな」
黄土色の背表紙がずらりと並ぶ中から『探偵ガリレオ』を手に取る。表紙はランプを描いたものであるが、いつも深海に浮かぶ光るクラゲを思い起こさせる。暗い背景の中に、オレンジのほや状の形から連想するのだろう。
「ふーん。で、来る前からこれに決めてたんだろ」
「なんで?」
「ぜんぜん迷わなかったからな。まあいいや」
(後編につづく)
登場人物
大井夏樹 会社員。年度末の進行で頭が痛い
山本睦月 女子高生。実は期末テストの数学は80点だった
(挿絵は気が向いたら入れます)