59. ピンチはチャンス?

 夏のある日、某駅前を歩いていたら、駅前スーパーに自転車で入ったおばあさんが、歩道と駐輪場の間の段差でバランスを崩し、倒れそうになった。なんとか踏ん張っているがこのままだと倒れる。

それなりに慌てて自転車を押さえに動いたものの、その間おそらく2秒以上。体感では5~10秒ほど倒れそうな状態を、ボーッと見ていたのだった。おばあさんは、無事転倒することことなく自転車を置くことが出来て、「ありがとうございます」と謝意を伝えられた。

*

次の週。暑いのを無かった事にして、元気にハードオフ巡りだ。県道沿いの幅2mはあろうかという広く、車道との間には柵まである歩道を歩いていると、前から子供用の12インチくらいの青い自転車に乗った子供と、その母親らしき人物がこちらに向かってきた。最近補助輪を外したばかりだろう自転車は、フラフラとしながらも、大人の歩くスピードよりも少し早い程度だが母親よりも5mは先を走っている。

と、自転車が歩道の柵と柵の間を見事にすり抜け、交通量の多い車道に出てしまった。

「あっ」

思わず口に出たものの、私と自転車の距離は3m。無意識に右手は動いたものの、足は動かない。5m後ろを歩いていた子供の母親が、車道に飛び出して子供を引き戻し、事なきを得たが、場合によっては大惨事である。

*

自転車事件の次の日。ターミナル駅で乗り換えのために電車を降り、混雑したホームを歩いていると、数人前を歩いていたおじいさんが何かを落とした。少なくとも周りの数人は気がついて落としたものを見た。

小さいタオルである。
タオルだなあと認識できたときには、すでにタオルは真横。もう拾えない。誰も拾わない。あーあ、と思いながら通り過ぎてしまった。

*

次の日、早出のくせに残業して遅くなり、帰宅が一般の定時退勤と重なってしまった。ドア前はぎゅうぎゅうのTラインに乗っていると、3つ目のO駅で半数程度が降車する。大して便利でもなさそうな駅なのだが、などと考えていると、

「アッ」
という声とともに、声は出さずも残った乗客が目を見合わせている。
「…オイ」
近くのおじさんが少し声を出したが、ドアは無情にもしまってしまった。

彼らの足元には、SUICA定期券が落ちている。O駅で降りた乗客が落としたのであろう。皆、だれがどうすることもなく眺め続けていたところ、ドア脇にいた男性が「これ、I駅で届けます」と拾った。

*

首都圏に来てからか、電車通勤になってからか、それとも2020年の新型肺炎パンデミック状態だからかわからないが、頭で考えた行動が、とっさのピンチに発現しない。落としたハンカチをすっと拾って声をかけるか、声をかけて落としたことを伝えるか、そんな事ができなくなっている。動くまで5秒ほどかかる。5秒経ってしまうと、もう遅い。

これは老化なのか?と自問自答するが、全くわからないのである。1年前ならできたような気もする。5年前に、帰宅時の電車のドア横に立っていたオッサンが突然嘔吐したり、これまた電車で降車しようとした男性が、バターンと目の前でぶっ倒れた時は、何も出来はしなかったのだけど。

*

そんなことを考えていた週末。私はターミナル駅で電車に乗るためホームを歩いていると、前から女の子を乗せたベビーカーが向かってきた。2歳になろうかという女の子は、お気に入りなのであろうか、プラスチックの飾りのついた髪ゴムを振り回している。

あと3mというところで、女の子は髪ゴムを離してしまった。私の方に飛んでくる髪ゴム、これは拾って助けるチャンスだぞと脳が訴える。

髪ゴムまであと1m。

しゃがもうと全景になりかけたその刹那、ベビーカーを追い越してスーツの男性が、脇から目の前を通る。

バリ

スーツの男性の革靴のかかとで、全力で踏み潰された髪ゴム。固まる空気。一瞬の沈黙。「ああー!」と泣き出す子供。「あーあ」と呆れながら駆け寄る母親、何もなかったかのように去っていくスーツの男性。

遅い、やっぱり遅いんだよ。