10回に一度の反省。楽屋トーク。その9。

 4月以来なので、実に4ヶ月ぶりの節目。とうとう90本を超えました。昨年は1週間に1本というのが、ペースを落とした上でのペースだったのだけど、今年は4月以降に色々ありました。昼休みに仕事の文章やら図やら作らなければいけなくなったり、ちょっとした休み時間に学生にやいのやいのと詰められたり、ボスと喧嘩をしたりと、精神的に参ってたのが一因。他には、職場のネットワーク環境の変更によって、執筆に使っているSimplenoteがブロックされてしまったというのと、6月には大ケガをして、書きようのない状況になっていたというのもある。

いやあ、Simplenoteが使えないの辛い。唯一使えるのがGoogle Keepなんだけど、ブラウザ内にフローティングのウインドウで縦に長いテキストはスクロールが厄介だし、そもそも20000文字しか書けないので、長編のものの続きを書いていくと文字制限で終わってしまう。Google DocumentsやMicrosoftのOne DriveのWord(オンライン)は使えるのだが、どうもWordのファイル上で文章を書くのが、昔から下手なんだよなあ。あの改行マークがいかんのか、仕事上のトラウマか。

まあ、なに書いても言い訳でしか無いんだけど。

●この10回分の反省など。
今回のトピックとしては、やはり連載にチャレンジしてみたのが大きい。で、まだ最後の1回を残した状態で、すでに結果を書いてしまうと、成功とは言い難いですな。いや、内容がどうこうというのではなく、ワタクシは連載が苦手っぽい。

あの連載、ほぼ書き溜めがなくて書いては出し書いては出ししているので、出した段階で続きのストックはゼロである。ゼロの状態から、一度作り上げた状況を再度回収し、その枠組に乗せて組み上げていくのって、他の仕事と平行に書いていると、途中でめんどくさくなっていくということを知った。それでどうなるかと言うと、他のものが書きたくなる。実際に10回中の半数が連載以外の話になっていて、これはストレス発散というたぐいのものである。他にも数本書き溜めてあり、コロナ不謹慎小説は、早よ出さんと状況が変わってしまう。

早い話が、短編1作で終わらせるか、連作であっても、勢いで一気に書き上げて小出しというのが、ワタシの生活スタイルには合っているのだ。

細かいところでいうと、連載の4、5本目においては、いろいろと日常に感じる小ネタをこれでもかと詰め込んでおり、時間がかかった分、情報の密度は高くなっているはずである。オナガ?ふーん、という程度で読み飛ばされるであろうが、ああいう話を盛り込むことで、密度と厚みを増していくのだ。

それから、「妄想散歩小説が書きたい」と書いていたものの、4月以降東京は緊急事態宣言が2回?周辺も「マンボー」とやらで、ほぼ緊急事態が2回。この書いているさなかにも出ている。ていうか、延長された?マジ?そういえば、マンボーで立てこもり事件って、6月頃に有ったよね、関係ないか。

ワタシ自身はワクチンを打ったものの、同居家族のワクチンは未定&無し(12歳未満)だし、とにかく外食自粛、店などの長時間滞在自粛というわけで、行けるところが近所しか無いわけですよ。自転車と徒歩。あとは安全地帯。散歩の取材にもなりゃしないというわけ。などと言いつつ、散歩っぽい話が続いてるな。

そうそう、高校や浪人、大学時代の話も書きたいんだけど、落ち着かないとそういう記憶って出てこない。上からどんどん現代の情報という砂が堆積していくので、それをせき止めて、埋まった記憶を掘り起こしていかないと…とちょっとブンガク的に書いてみたりして。せめて実家の周辺あたりに行けたら、少しはネタになりそうなものをピックアップできそうなんだけどな…。そういう状況でなくなってしまったのは、創作者には本当に辛い時代だろう。海外に行けるようになるのは2025年くらいかねえ。国内なら、もう少し早くなんとかなりそうな気はする。

●この10作で影響を受けた本。
まず、影響を受けた本以前に、本を買いすぎ。1~4月で50冊強、4~8月で100冊。このペースで行くと8~12月は200冊のトータル350冊?いやいやいや止めよう止めよう。

仕事のストレスでなにか買いたいが、ここ数年の趣味である楽器類は飽和状態になっているため買えないことや、行動範囲が狭まっていることも相まって、買えるものは本。古本なのだから仕方ない。そういうわけでもないが、ブックオフなどの入ると、なにか1冊くらい買わないといけない気がすること、他の雑貨は100円でも躊躇するのに、本の場合はハードルがものすごく低くなっていることなども原因であろう。

さて、4月から読んだ本。
朱野帰子『わたし、定時で帰ります。』仕事小説で参考になるかと思ったけど、これはつまんなかったね。山本幸久みたいな小説が書きたいんよね。太田忠司『まいなす』は、まあ荒っぽさも含めて好感触の1冊だった。熊谷達也『オヤジ・エイジ・ロックンロール』こういうの書きたい。50代、大学でプロ並みのギターの腕を持っていた主人公という話だったけど、自分が書くときは40代でギターを初めて持ちますという話。頭の中に大体のストーリーと、要点のメモまでは出来てる。中編~長編。横山秀夫『64』は、一時的な人間関係だけでなく、二次的な関係や面従腹背をうまく描いていて、プロの力量というものに感服した。あとなんだ、越谷オサム『ボーナス・トラック』から幽霊づいている。それから、西加奈子『漁港の肉子ちゃん』は大竹しのぶには無理だろ。

まだ他にも読んでいるが省略。その程度。

ここ10回は、連載を書かねばというプレッシャーもあって、あんまり作風に他の作品からの影響は受けていないと思う。月平均7冊で、4冊くらい当たりがあるということは、結構高率で良い本を引いているのではないか。ここんとこ小説や漫画で、幽霊の話ばっかり読んでいるので、幽霊になった場合の思考実験みたいなものを時々やっている。死んだら何でも幽霊になるのなら、その辺じゅうアリやらバッタやらミジンコやらの幽霊だらけになるはずよね。

●この先10回とその先。
これまでに色々とやりたいことは書いてきたけど、この先10回の4~5回分はもうやることが決まっているので、新たに考えなければならないのは、5回ってところ。たった5回で「もうこれでいいや」って言えるかというと、そんなことはないので、ここはここで101回、102回と続いてくことになる予定。

基本は自分の体験であり、記憶という、一人称のものを、武井という別の目から俯瞰するという、幽体離脱して過去を見直すというような感覚は面白いんですよ。それなりの年齢の人は、暇なときに一度やってみるとよろしい。うまくそうやって創作として出していければ、自分の体験だったか他人から聞いたことであったのかがごっちゃになることが減るはずだ。ごっちゃになっている人の昔の自慢話って、つまんないでしょ?

じゃあ自分の書いている話が面白いか?その辺は自分ではよくわかりません。それに、完成しているかもわからん。絵でも文章でも申請書でもなんでも、時間をかければかけるほど情報は増えていくし、完成度は上がっていくけれども、どこかで出してしまわねばならないもの。読んでる方には、読んでいるのと同じペースで、推敲もミスもせずに書いているかのように錯覚するというのはあるだろう。でもね、漫画の1ページ、7コマ有ったとして、読むのは3秒、書くのは何時間かかるでしょうか?

いやいや、読者のお説教をしてもしゃあない。漫画書く人でもないくせにね。ほんとに。

なんか硬い感じがするけど、今回は以上です。