40. グラスホッパー。

 親に買ってもらって、申し訳なかったなあと思うものがある。

小学校の頃、親の小銭をくすねて集め、色んなものを買った。釣り道具もほとんどそうやって集めた。公式に親にお金を出してもらったものはあまりなく、お年玉の一部とくすねた小銭で購入していた。それはそれで申し訳なかったと思う。思い返すにつけ、ひどいことをしたなあと思っている。タンスの引き出しに、フィルムケースに入れていた、100円玉などをくすねていた。もちろん、減っているのが見つかって怒られたこともある。ただ、今思うと、あれはわざと盗らせるように置いていたのではないかと思う。

ちなみに、お年玉のほとんどは、強制的に貯金されていた。釣りのおもりなどは、河川敷から拾ったりもしたっけ。

さて、そういう申し訳なかったと思う思い出もあるが、一方で、公式に買ってもらって申し訳なかったと思うものの一つが、ラジコンだ。

小学校5年の頃、ラジコンブームが起こった。
きっかけは、ファミコンを初めて触らせてくれた国見だ。

ある日の放課後、国見が突然「ラジコンをやるから、学校の校庭に来い」と言い出した。当時鍵っ子で、電車通学の兄もなかなか帰らなかったので、学校から帰らずにずっと校庭にたむろしていた。その日も、結局帰らずに、学校で国見を待った。そもそも、当時の家から30mほどしか離れていなかった国見の家だが、通学路は全く違ったのだ。

30分ほどして、国見が現れた。1辺が20cm強、クロームメッキのハンドルの付いたプロポ、つまり送信機と、巨大なカエルをぶら下げるように、バンパーで吊るされた、全長約40cmのピンクのバギーを持って現れたのだ。

でかい!

第一印象はそれだけだった。ラジコンといえば、普通は20cm強。送信機もせいぜい10cmくらいだと思っていた。そして、バギーは、のちに、京商のホットショットという4WDであったことを知る。国見は本体とプロポのスイッチを入れ、ギャーコギャーコとハンドルの試運転をし、そして、発車。

キュロロロロロ!

独特の音と砂埃を上げるバギーカーは、小学生の想像を遥かに超える、時速30km強という高速で走り出した。

「すげえ !」
「はやい !」

私と一緒にいた数人は、ただただ立ちすくむのみである。あれを借りたとして、何ができるというのか。

校庭の校舎と反対側の角で5人ほどで集まっていただけだが、あっという間に別のサイド2面で野球をやっていた連中も集まってきた。みんなただただ「速いな…」とつぶやくのみである。現実には、『ドラえもん』のジャイアンのように「生意気だ、貸せ!」なんていうやつなどいない。借りて壊したらどうなるのか。

国見が無言で8の字に車を走らせる。たまにうまく戻らず、向こう岸のギャラリーの方に走っていってしまうと、ギャラリーはモーゼの前の海のように、道を開ける。

永遠のように感じられた時間だったが、終わりが訪れた。
「あ、バッテリー切れたわ」
バギーは、しゃっくりをするようにピョコピョコと前進したり止まったりを繰り返している。
「はい、終わりっ!」

恐ろしいデモンストレーションであった。ギャラリーの半数以上が、そこからラジコンのことしか考えられなくなった。もちろん、私もだ。

数週間後、同級生の山本が「誕生日にラジコン買ってもろたわ、ホーネット」と言ったのを皮切りに、われもわれもとラジコンを買い始める。その頃まだ9月。誕生日にもクリスマスにも遠い時期である。我が家で買ってもらえるはずはない。スイミングスクールの前に、国見らが買ったという、ボークスというプラモ屋に向かい、資料等を集めることしかできなかった。

どうやら、バギーのラジコンは言うほど種類はなく、タミヤのグラスホッパーが一番安く、次にホーネット、マイティフロッグという大体3段階。国見の持っていた京商のものは、グラスホッパーよりも5000円以上高い、かなり高級な部類だった。

また、ラジコンのキットには、送・受信機にあたる、プロポとサーボと呼ばれるセットを追加で買わないと全く操作ができないのだが、このセットだけで7000円はする。それに加えてバッテリーだ。トータルで一番安くて15000円。小学生には高嶺の花という言葉がピッタリの値段である。

ただ、派手なイラストの描かれた、一辺約1mはあろうかというバカでかくて、なんともいえぬデザインの箱は、その値段相応以上の価値があるようにしか見えなかった。当時から調べるのが好きだったので、カタログを貰い、ひたすらリサーチする。ホーネット、マイティフロッグなどの中級のラインは、ボディが透明なポリカーボネートというペラペラの素材でできている。ポリカーボネートという言葉を覚えたのもこれが最初だ。ではどうやってデザインどおりに色を付けるかと言うと、注文時に着色をお願いするのである。ボディの裏側から、スプレーで塗ってくれるのだが、それも1000円ほどかかる。一方で、最安値のグラスホッパーや、変わり者向けのワイルドウイリスという機種は、プラスチックである。単色の塗装は、購入時サービスでやってくれるということだ。

一方で、グラスホッパーが最安値であるのには、それ相応の理由がある。一つは先述した、ボディーがプラで重いこと。もう一つは「サンパチ」と呼ばれた、一ランク下のモーターが搭載されていること。その2つを除けば、ひとつ上のホーネットと、シャーシなどのパーツは同じらしい。

ウチの家で変えるのは、グラスホッパーだな。ボディカラーは白だ。モーターもボディも、いずれ替えたくなれば買えばよいのだ。

しかしそこは男子小学生、思い込んだら強い。どこをどう説得したのか忘れたが、翌年の誕生日にはちゃっかりと、グラスホッパーを購入していたのだ。プロポはよく解らなかったが、まわりに「赤にしろ」と言われていたので赤にした。

さほど難しくはなかったと思う。ラジオでフィリップ・ベイリー&フィル・コリンズ "イージー・ラヴァー"を聴きながら、組み立てた。曲がってなるものかと、必死でデカールステッカーを貼る。グラスホッパーのデザインの要、フロントからリアにかけて、左右に流れる緑と赤のラインを張った。ただでさえ思いプラボディに、いらんよなと思いながら、運転手もネジ止めする。サービスだかなんだか、運転手の顔の肌色は塗ってあった。

1週間ほどかかって、完成したグラスホッパーは、「サンパチ」モーターに、重いボディ、さらに重い安い方のバッテリーを載せ、タイヤは波型トレッドの、言ってしまえは最低ライン中の最低ラインで完成した。

翌週、ラジコンを買った連中と、小学校の校庭に集まる。いざ、走行。キュルキュルと軽快なモーター音を響かせ、我がグラスホッパーや、友人のホーネットが走る。あらかじめ「赤にしろ」と言われていたプロポのチャンネルは、実は7チャンネルしか無く、レアな2バンドを除くと、7台までしか一度に走れないのだった。

最低ランクの我がグラスホッパーだが、たしかに友人と並走すると、遅い。スタートダッシュは速いが、その後のストレートであっという間に抜かれていくのだ。やっぱり一ランク上の「ゴーヨン」モーターを手に入れるべきかなあと考えていると、友達たちがどんどん脱落していく。満充電からの走行可能時間は、約25分だ。しかし、サンパチモーターはパワーが無いため、40分ほど走り続けられるのである。

「サンパチは、走んのが長いのだけがとりえやからのう」
友達に、揶揄とも褒め言葉とも取れないことを言われながら走らせていると、次のラジコングループが現れるのだ。
「そろそろええかー?」
ギュルルルルルルル…。

それに伴い、自分のラジコンは、急に止まったり走ったり、左右にギコギコとハンドルを切り始める。
「おい、アイツ、赤(送受信機バンド)ちゃうんかい?やめさせろや」

7人を超えると混信するのである。
はいはいと、自分のグラスホッパーを拾いに行き、次のグループを眺めるのだ。約15人、グラスホッパーを使っているのは私を含め2人。緑に塗られたグラスホッパーは、「ゴーヨン」モーターに替えられているが、やっぱりさほど速いわけではない。ボディーの重さが問題なのか?

それから、友人たちとラジコンを走らせるのは、本当に時々になった。15000円もするものを、校庭の隅の放置して野球をするのは心配だし、そもそも、レースができるほどの腕があるわけでもないので、楕円をきれいに走らせるだけでも一苦労だったのだ。

また、巨大なニッカドバッテリー充電には一晩まるまるかかるというのも、毎日遊ぶにはハードルが高く、土日の親のテニスサークルなどに持ち込んで、裏山で走らせたりするのがメインとなった。

そんなラジコンであったが、約1年でほとんど触らなくなった。あれだけ楽しみにして買ったのにである。他のものに興味が移ったことや、両親が交通事故でしばらく入院したこと、塾に通い始めたなど、複数の要因で触らなくなっていた。あれ程頑張ってデカールを貼ったボディーの一番前は、コンクリート塀に頭からぶつかった際に、巨大なバンパーごと衝突し、われてしまったのを、接着剤で補修していた。

購入金額15000円。意地でも触らないと、モトを取らないとと決心し、意味もなく「ゴーヨン」モーターに変えてみた。たしか980円くらいであった。しかしその頃には、まわりの友達も、もうラジコンのことなど興味が無くなっており、一緒に走らせることもなかった。それから数回、休日に持ち出したりしたものの、結局押入れの天袋にしまわれた。中学の2年の頃、思い出して出してみたが、充電が面倒でそのまま仕舞った。それっきり知らない。きっといつか、捨てられたのだろう。

その後の人生、買うだけ買って、全く開きもしなかった公務員試験の問題集5万円強や、買ってすぐ型落ちになって使わなかったノートパソコン数万円、スキャナ等など、無駄遣いは人並みにしてきているとおもうのだが、やっぱりいまだに心苦しいのは、ラジコンと、中学2年で部活に行かなくなったサッカーのスパイクだ。親にねだって買ってもらったからだと思う。小銭をくすねて買った、釣り道具はそれほど思わないけど。

『グラスホッパー』。古本屋で、伊坂幸太郎の本を目にするたびに、いまだにぎょっとする。殺し屋の話である。