10. チンする。

 この間、同年代の同僚と話をしていた時のこと。
「電子レンジが家に来たとき、結構衝撃的だったよね」
「えっ?生まれたときから有ったよ」
「えっ?」

疑問に思って調べてみたところ、国産の量産型電子レンジが発売開始されたのは1962年。当時は相当高かっただろうから、本当の普及は1980年代、つまり私の記憶くらいであろう。金持ちの家には1970年代から存在していてもおかしくはない。

考えてみれば、私の実家で電子レンジを買うよりもずっと前に、兵庫の祖父母の家には存在していた。「エレックさん」と呼ばれていたそれは、たしか回転しない上に、動いている最中にドアを開けることができるたいそう危険な存在であったが、祖母が亡くなった1990年代の後半まで現役であった。

電子レンジエレックさんを使うとき、祖母や叔母は「エレックして」と言った。ナショナルの商品名で、たぶんCMでそういうふうに言っていたのであろう。残念ながら記憶にはない。我々の世代は、間違いなく「チンして」である。「レンジでチンするチンチンポテト」なんていう危ないCMが流行ったことを知っている。

職場で若い職員に聞いてみた。
「電子レンジで温めて欲しいとき、何ていう?」
「レンジして、ですね」
「チンして、じゃないの?」
「電子レンジって、チンって言わないでしょう」

そうなのだ。「チン」という電子レンジは絶滅危惧種。デジタル表示のある電子レンジは、「ピーピー」と鳴るものだけでなく、メロディーが流れたりするのだ。「ピーして」なんて言われると、放送できない何をやらされるかと思うだろうし、「ピロリロリロして」とエリーゼのためにを口ずさまれても何をすべきかわからない。「レンジでピーする、ピーピーポテト」なんて、英語圏の人が見たら「Crazy!」と叫ぶに違いない。

そう思っていた矢先、電子レンジが故障した。エレックさんの血を受け継いだ、ナショナルの赤いノブが印象的な安いモデルだった。庫内に飛び散ったコーヒーか何かが運悪く発火し、ドアの裏側が焦げて煙が出たのだ。これはしたり、いや、いかんと、早速O駅のそばにあるビックカメラに向かう。巨大デパートとくっついて存在し、デパート側から入店するのだが、午前10時に行くと、デパート店員がズラッと入口に並んで「いらっしゃいませ」とお辞儀をしてくれるのである。いや、用があるのは裏のビックカメラね。

そこでふと、職場での会話を思い出したのだった。

ここは、「チン」と鳴る物を買わねばならない。4歳の娘が大人になったとき「ピーして」と友人らに意味不明な言葉を発することは、断じて許されぬ。私は、店内でも店員のマークの少ない、小型白物家電コーナーであることをいいことに、電源の繋がっていない電子レンジのノブを片っ端からひねっていく。すると、有った。オーブンもトースターも付いていない、シンプルな電子レンジが3台。ノブをひねって、0に戻すと「チン」と鳴るのである。鳴らないものは、デジタルのため、そもそも無通電状態においてはひねっても無反応である。それらがどう鳴るのかは知らない。庫内がフラットなど、魅力的であったのだが、店員に「これってどういう音で鳴りますか?」などと聞くわけにはいかぬ。

私は、シンプルな電子レンジの中でも、デザインが優れていると直感で思った1台を選び、配送をお願いした。翌日の朝、古い電子レンジと引き換えに置かれた新しい「チン」となる電子レンジは、台所の中で少々高級感を漂わせていた。なかなか、並びも美しい。デザインで選んで正解であった。

しかしそこで気づくのである。

我が家はトースターも「チン」と鳴るのだ。
「チンして」じゃなくて「レンジして」「トースターして」と言わないと通じないではないか。