60. 英語なんかきらいだ。

 某雑誌から、論文のレビューをしろという依頼メールが来た。もちろん英文誌で、受けるかどうか決めるあたりももちろん全部英語。なんだかわからない免責事項も英語。理解しきったとは言えないが、知っている人が入っている論文なので受けることにする。

論文を読み始めて2日。データが足りていない。いくらなんでもこのまま受理する雑誌も無いだろうから、追加の実験を考えて、オンラインメモに日本語で書き出していく。他人のことだからそこまで必死に考えなくても良いのに、歩きながら、本を読みながら、ご飯を食べながら、もう少し出来ることを考える。

返信しなければいけない。
返信はもちろん英語である。実は、英語は苦手なのだ。

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英語を習い始めたのは、人並みに中学1年から。それまでに予習的なことは一つもしなかった。しかし、舞台は進学校である。教師は最初からベースの知識があるか、無くてもついてこれると踏んでハイスピードで授業が進むのだが、まず引っかかったのは、もっと違う部分だった。

筆記体を書くのが異様に遅いのだ。
英語の授業の最初は、とにかく筆記体を書く。そういう時代だった。小文字のrやsが読めるように尖らせたり、iやtの点や横棒を付ける場所を確認するのに時間がかかった。いわんや、オケラの横から見たようなzをや。そこですでに落ちこぼれた。

今から考えたらなにで引っかかったのかわからないが、動詞が出てきたところで完全についていけなくなっていたのは覚えている。ギリギリ赤点を取らない程度で中2に上がったが、1学期、たしか受け身のあたりでもうお手上げになった。そして自ずと夏休みの補講リストに抜擢された。

補講は物凄くシンプルで、辞書を使ってもいいから、小テストを正解できたら帰ってよしである。日本語訳などはなんとかフィーリングでやり遂げたものの、英作文が全然解けない。必死にでっち上げて教卓に座っている英語教師Sのところに持っていくと、ひとこと。

「よめへん」
はあ?
「自分さあ、こんなん書いて、読める思てんの?言おかな言おかな思ってたけど、読めへんもん持ってこられても、採点できるわけ無いやん。やり直し!」

正直なところ、自慢ではないが、他人よりもそれなりには読みやすい筆記体を書いているという自信が有った。それを一言「よめへん」はないやろ。

全部消して書き直しである。すでに帰宅した生徒も半数を超えた。多少の私語も認められていたので、後ろの席の友人に聞いたところ、「よめへん」なんていうことは一つも言われていなかった。彼は和訳に手こずっていた。

全ての解答を、はじめて書く、ガタガタのブロック体、それもスペースの位置がわかりにくいレベルで書き直し、再度提出する。

「…んー、まあ読みにくいけど、これでええか。でもここ違うやろ。自分授業でなに聞いてたん?be動詞がないと…」

結局、その解答を直して開放された。その後、同級生に聞いたところ、筆記体にケチを付けられたのは私一人だった。その後調べたところ、200人の同級生のなかで、筆記体を使わず、ブロック体で通しているのは、超優等生のUひとりだけだということを知った。その後、皆少しずつ筆記体から離れ、高校卒業時には7割の生徒はブロック体で書くようになったのだった。

また、天敵の英語教師Sは、中2と高校3年間の英語の担当になった。中3の時1年間だけ、別の教師に代わったが1学期の早々に「お前、キライや」と面と向かって宣言されたのだから、英語の成績など向上するはずもない。

高校3年のとき、ほとんど新しいことを習うこともなく受験対策でひたすら英文を読むような授業の際、突然天敵Sが私を指名した。

「武井、over-の後になんか続く単語を言うてみ。辞書見たらアカンで」

「overdose」
即答。

overdoseは、ラジオで洋楽番組を聞きまくっていたため、ミュージシャンの死因として麻薬の場合 overdose (過剰摂取)という言葉を頻繁に聞いていたのだ。また、単純には「やりすぎ」という意味であり、偶然にも皮肉になっていたのだ。

まさか答えると思っていなかった教師Sは目を白黒しながら、「う、うん」と答え、通常の授業に戻った。

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大学に入り、数回ではあるが家庭教師のバイトをやった。中高で常に落ちこぼれであった英語と数学に恐怖心があったため、中学以降の生徒はほとんど受けなかったが、試験前の短期などで高校生や中学生を受け持ったこともある。

家庭教師に向かうと、いつも、過去の自分がいた。ていねいな筆記体だけど、凹凸が少なすぎて文字が読めない。時制がわかっていない。

流石に天敵Sのようには言わなかったが、やんわりと「ブロック体でええんやで」「be動詞がきたら受け身を疑え」「完了形はとりあえずhave付けとけ」という3点について、じっくりと教えたのだ。関係代名詞は自分でも自信がないので、適当にthatを書かせておいた。そうすると、試験の成績がだいたい良くなり、何度か夕飯をごちそうになった。

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大学4年以降は、気がついたら周りに留学生がいた。最初の1年は、マレーシア人の博士課程の人の近くにいて、日常的にMacの話や車の話を、なんとかひねり出した英語に日本語混じりで話していた。ある日、マレーシア人は、来日したばかりの後輩を連れてきた。

「彼は、英語が得意だから」

まさか、そんな紹介をされるとは夢にも思っておらず、ものすごくたどたどしい英語で、大学近辺の便利な店などを説明し、彼からは、近所にできたヤマダ電機に徹夜で並ぶんだ、というような話を聞いた。また、5万円の日本の中古車が、マレーシアでは100万円くらいの価値があるなんて言うことも話した。

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就職すると、留学生に英語で教えなければならなくなった。おのずと色んな国の学生と話した。バングラデシュを筆頭にアジア系。中国人も2割程度英語が得意で英語だけで会話した。スウェーデン人やドイツ人の英語は、英会話の教材のようで聞き取りやすかった。お米の国…ではなく、英語の国のイギリス人の英語は、逆にほとんど聞き取れなかった。

そしてある日、イギリス人に限らず英語の会話というのは、いい加減ということに気がついた。女性のことを「he」何て言うし、「秋葉原に行ってきた」というときに「I go Akihabara, last Saturday」なんて言う。関係代名詞らしきのは「ほらあれだよ」みたいに「what」「that」というのが多い。

海外に出張に行くと、バーガーチェーン店のように、今日のおすすめの黒板がでていることがあるが、私が中学2年の時に書いたボロボロのブロック体よりひどい文字だ。それを、きれいな字を書きそうなお姉さんが書いていたりするので、イメージが壊れる。メモでわざと筆記体で書いて渡したりすると「what ?」と突き返されたりする。

ひょっとして、日本で習う「うまい発音」「きれいな筆記体」「厳密な文法」というのは、日本人にとってわかりやすい、きれいに感じるというものなのではないか。海外に行くたびに、そう思うようになった。

海外ではアジア系、中国などの留学生や移民の人とは英語で会話がしやすい。日本では感じなかった、発音の共通点などを感じる。こちらの発音も、つたなくても伝わりやすい。

トロントに行った時、ピザ屋のバイトの中国人のおじさんが「ワンピザ、高い。セット、安い。まずピザ選ぶね。次に、サイドメニュー。ここ。ポテトOK。次、ドリンク。コーラ、わかった。ちょっとまってね」とメニューを指して教えてくれた。その説明に、とても親近感を感じた。

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そうだ、論文のレビューだ。
まずちゃんと読んだよというサマリーを書いて、3つほどのコメントを付けて返さねばならない。しかし、その返信コメントを読むのも日本人研究者だ、そう思うと少し楽になった。

まず自力で英文を書いてみる。サマリーは「Author said」みたいな感じに書くんだよね。コメントは「I」を主語にしちゃいかんよなあなどと悩んでいたところ、メールが届いた。

「もう気がついていたら悪いんだけど、レビューを依頼しているんだ。すぐにレビューを送ってほしい」

催促だ。でも早やない?まだ最初のメールから1週間も経ってないぞ。

慌てて、Googleの翻訳にとりあえず書いた日本語の文章を放り込む。当然ながら変な文章も生成されるので、そこはすでに書いている文章と比べながら入れ替え、一通り眺める。まあ日本人だから、きっと読めるだろう。メール送信。いいのかオレ?

後日、編集者から「良いレビューをありがとう、投稿者に送ったよ」というメールが届いた。おそらく自動送信なのだろうが。

もう一度読み返して、早速ミスタイプを見つけてしまった。eが1個抜けている。イイカゲンだなあほんとに。