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第一話 『ムッコちゃん』(中)

「この中で、あたしに読める小説って、どれですか?」

「はあ?」
さすがにおれでも、それ以外の言葉が出なかった。
腹を豪快に2度も鳴らし、助けられた人に対する言葉がそれなのか?ひょっとして、読める本ていうことは、外国人なのかこの女子?

「…あ、あのー、あたし、読書は初心者で、初心者でも読める本を…選んで…」
女子はブツブツ言っているが、おれはなんとなく女子の言い分を理解した。

「あの、えーと、ちょっと聞くけど、おれ、あんまり本読んでないよ」
「いいです。なにか選んでっ!」

突然の喧嘩腰である。知らない人と喧嘩に喧嘩で応えると、下手したら刺されるかもしれんという危機感と、ブラック企業人4年7ヶ月、ホワイト企業人4年足らずの経験から得た防衛本能をいかんなく発揮し、話を一旦切り替える。

「本が読めないって、長いのが読めないってこと?」
「そ、そう。だから、薄いやつ。すぐおわるやつ」
「てか、いつも読んでるのは?」
「よ、読んでないのでっ!」

うーむ、なかなか手ごわい。

*

「一旦、ちょっと落ち着こうか」
おれはとりあえず、名も知らぬ女子と話してみようと思ったのだ。

「うんとさ、おれも高校以来、3年くらい前まで本を読んでなくてな、今も読んでるのは超メジャーな推理小説、いや、今はミステリと言うかな、くらいしか読んでないんだよね」
「その、ミステリでいいです」
「え、いいの?東野圭吾のこれとか」
「こ、これは、厚すぎやしませんか?」
「な、なるほど」

そっかー、厚みで選んでたのか。東野圭吾の作品は、どれもそこそこ厚い。文庫本で1.5cmよりも厚みがあるものがほとんどだ。

「それってさ、集中力が続かないとか、そういう理由で?」
「それもあるっ。ただ、これまでにほとんど本を読んだことがないからっ!」
うつむき加減で話す女子。常に戦闘態勢なのはなぜなのか。

「読みたいジャンルとかある?」
「だ、だから、ミステリとかでいい!」
「いやいや、そうじゃなくて、歴史上の名作とかさあ」
「なんでもいいから。読めるやつ」

ふーむ、なるほどね。
おれは、過去に読書を再開したときのことを一旦忘れ、もっともっと前、中学の頃に文庫本というものを初めて読んだときのことを思い出していた。

*

文庫本に最初に触れたのは、中学の1年の夏だっただろうか。例にもれず、おれの通っていた中学においても、憎にくしい"読書感想文"の宿題が出たのだ。

小学校の頃は、ポプラ社の『アルセーヌ・ルパン』シリーズや『少年探偵団』シリーズ、そして似たような分厚い表紙に、キラキラした「課題図書」のシールが貼られた本を適当に見繕って読んで、適当に感想を書いていた。あの「課題図書」のシールは、子供がわらみたいなものを2本咥えていたように思うが、何のモチーフだったのだろうか。

しかし、中学ともなると分厚い表紙の「課題図書」を読むわけにはいかない、と、おれは考えたのだった。そして、家の本棚を漁って、読めそうな本を勝手に出してきて読んだじゃないか。

そうそう、あれは、星新一『きまぐれロボット』。
家のことを何でもやってくれるロボットを購入したおじさん。しかしそのロボットが、突然暴れ始める。文庫本なのに、ふにゃふにゃした挿絵が入っていて、子供ながらに楽しかったのを覚えている。そして、高校になるまで、何度も何度も、暗記するくらい読んだのだ。

*

「星新一とかどう?」
「ホシシンイチ?」
「そ。ここにある」

そこには、見慣れた新潮文庫の黄緑の背表紙が10冊ほど並んでいた。『きまぐれロボット』は、残念ながら無いようだ。

「星新一は、だいたい短い」
「でも厚いが?」
「いや、あのね、ショートショートっていう、超短い小説がいっぱい入ってるんだよ。ほら」

『マイ国家』の表紙をめくり、目次を見せる。20以上の短編のタイトルがずらりと並んでいる。

「これ、全部短編だから、えーと、30?くらい、どれから読んでもいい」
「ふむ、では、この一番多いやつにする」
女子が手にしたのは、棚に5冊並んでいた『ボッコちゃん』だった。

「ふむ、これも短編集なのか。一番多いから、これが最初ということか?」
彼女は表紙をめくると独り言をつぶやいた。

「はい?」
彼女の論理がよくわからないが、『ボッコちゃん』なら超どメジャータイトルなので、ハズレもないだろう。

「ところでおっさん」
「誰がおっさんじゃ」
「いや、あたし、名前知らんから」
「あの、ちょ、ちょっといい?しゃべり方がちょっと変だけど、高校生?」
「高1だが?」

あー、高校生か。見た目が見た目なので、中学にでもおばさんにでも見えて、心のなかでは、見た目こんなんで、おばさんだったらと考えていたのだが、高校生ねー。やべー、おれ、捕まるやつ?

「じゃあね」
「いや、もう少し付き合ってくれないか」
「えええ?」

そして、もう一度、高1女子の腹が高らかに
グー
と鳴った。

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登場人物
大井夏樹 今の所、好きな作家は宮部みゆき
山本睦月 変な女子高生。名作と言われても知らない

一話の3部(最後)は、3/27(日)の予定です。