103. 海外へ行きたい病。

 「海外、行きたいよねえー」
私とテクニシャンの川口さんが、リアルタイムPCRのミックスを黙々と混ぜている横で、椅子にふんぞり返った所長が言う。リアルタイムPCRとは、溶液の中に、目的の遺伝子が何個有るかを調べる実験である。コロナウイルスの感染検査でも使われている方法だ。

リアルタイムPCR実験では、96個の穴に間違えずに液体を加えていかなければならない。入れる量は1μLと、雨粒の1/100位の量である。これの実験を行っているときに話しかけられると、往々にして間違いを犯すため、いくら温厚な私でもグーで殴りに行きたくなるのだ。

「あっ」
「えっ?」

テクニシャンの川口さんの声に、私は思わず聞き返してしまう。テクニシャンとは、実験系の研究室で実験の手伝いをするパートさんである。実験補佐員などと呼ばれ、学生や研究者とは違って、決められたことを行う人だ。川口さんは10以上の研究室を渡りあるてきた手練で、実験によっては私よりも詳しい。

「大丈夫でしたー。間違えたかと思いました」
「よかった。所長、黙っててください」

私が横目で牽制すると、所長はすごすごと部屋を出ていった。フロアの北の端の部屋にあるリアルタイムPCRのマシンにサンプルををセットし、帰りにお茶部屋を覗くと、所長が事務員の坂口さんに自慢話をしていた。

「…イタリアがねー、よかったよねー。景色も良かったしー、料理も」
「へー、出張で行かれたんですか?」
事務員の坂口さんも、いつものことと適当に相槌を打っている。

「そうそうー、15年くらい前かなー、震災の前に呼ばれちゃってー。それからね、料理はねーフランスが一番良かったなー」
「えっと、コロナ前に行かれたやつ?」
「いやー、あの時は忙しくて。行ってすぐ終わりだったしねー。20年くらい前かなー、南フランスのニースで会議が有ってねー」
所長の話はまだ続いているようだ。

所長のみならず、我々研究員も、海外に行きたくなる気持ちはわからなくもない。私は、かろうじて片手に余るくらいしか行っていないが、所長の七光もあって、3年に1度は国際学会に参加させてもらっている。妻との新婚旅行も、2度目に参加した海外学会のカナダだった。このことを同僚に言うと、「学会を新婚旅行にするな」と言われるが、自腹で行ったのだから勘弁して欲しい。

最後に出張したのは新型肺炎騒ぎの前の年のサンフランシスコだった。巨大ビルと大都市には冗談のような坂道と、道路になんだかわからない茶色い液体やご飯がこぼれていて、チョコレートやコーヒーの匂いの漂う、アメリカらしい街だ。一緒に行った同僚は「ホテルの前がオシッコくさい」と文句を言っていたが、物価が高いことも有って、安全な印象だった。

海外の学会と行っても、滞在中の半分は重役会議のための空き時間だったりレクリエーションだったりするので、その間に街なかを歩き回るのが私の趣味でもある。小さい荷物とカメラにスニーカーにナイロンジャケット、ウォーキングをしているちょっとくたびれた現地の住民を装って、ゲリラ的にスナップをして回るのだ。

サンフランシスコでは、市街地にあったホテルから、北の外れにあるレインボーブリッジが見えるところまで坂を上り下りしながら約10kmを歩いて、外観の写真を取りに行った。ギラデリチョコレートで有名な港の周りは、駄菓子や田舎のお土産物屋のような雑貨店が立ち並び、ちょっとしたテーマパークのようだった。そこここに存在する、赤いハートのオブジェやポスターの写真は、日本に同じものがあっても同じ色では写真で再現できない。

そう、アメリカもヨーロッパも、同じカメラを使っているのに、日本とは違った色の写真が撮れるのが不思議だ。日本の屋外にある赤い色は、どうしてこんなに曇って写るのだろう。比べてはいないが、ヨーロッパとアメリカの空の色も違うのだろう。ただ自動露出で適当に押して回っているだけなのに、彩度を調整したような写真が量産されるため、3日もいると「写真ハイ」状態になって、空き時間にどこまで撮れるか、一人でゲームを始めてしまう。

*

海外の学会には、必ずパーティーディナーが付いているものである。日本で学会の懇親会と言うと、いわゆるバイキング形式のビュッフェで、適当にウロウロして流れるのが普通であるが、海外の場合、アメリカの一部を除いて、複数あるテーブルに着席である。ストックホルムのノーベル賞受賞パーティーを行うシティホールで、立ち食いもなかろう。

初めてパーティーに参加する前には、所長から「ネクタイと上着は必須」「女性なら着物などが望ましい」等と堅苦しいことを言われ、ガチガチになって参加したものだが、なんてことはない、着飾る女性陣がいるというだけで、Tシャツでウロウロしている学生だって、一人前として扱われている。

こういうパーティーの時、所長をはじめとした日本人、アジア人、一部のヨーロッパ系の研究者は、非常にめんどくさい生態を示す。簡単に言うと、同国人同士でつるむのである。主催者が英語で挨拶し、古典芸能のようなものが披露されたり、ちょっとしたアトラクションが行われても、同国人同士が集まっているテーブルでは、日本語で「あの人最近、奥さんに逃げられたんだよー」だのドイツ語で「近所ののおばちゃんがうるさくて」なんていう会話がなされる。一番最初の学会では、所長に連れられて日本人席に入ってしまったのだが、ひたすらビールとワインを注がれて日本語で内容のわからない話をされ、次の日は頭痛でダウンしてしまった。

私は、ただでさえ飲み会嫌いであるのに、海外まで行ってそういう会話をするためにパーティーに参加するのが耐えられないのだ。そこで、パーティーには少し遅れて会場入りし、すでに出来上がった同国人コロニー群を横目に、あぶれた人達の集まるテーブルにそっと入り込む。日本の学会では、いの一番に埋まってしまう、入口からほど近い席は、海外の学会では空いている。そのテーブルの側面に入れば準備オーケーだ。入り口側は遅れてくる人のため、ステージ側は遅れて来た人に毎回挨拶をせねばならない。

*

6年ほど前にドイツで行われた学会のパーティーも、同じように入口付近を陣取った。そしてあえて、使って10年近くになる一眼レフを置く。これで話題を振られてもカメラに逃げられるのである。

席について、ナプキンを膝においていると、隣の銀髪メガネのおじさんが話しかけてきた。英語圏のパーティーだと自然に自己紹介が始まる。

「こんにちは。私はXXXX大からきたディビッドXXXXだ。よろしく」
XXXXの部分は、全く聞き取れない。おそらく年齢からしても教授クラスなのだろう。適当に「日本から来た」と返す。

「実はさ、ドクター〇〇の席に行かなきゃならないんだけど、遅れたんだ。いいカメラだね。撮ってくれるか?」
「オフコース」
撮ったところで、「写真を送ってくれ」という人は、10人に1人もいない。でも、これがコミュニケーションの緒になるなら安いものだ。

他愛のない話をして、ワインを二口ほど口にしたところで、ディビッド教授はステージ近くの席に移動していった。彼が向かった先は、どう見ても来賓席だった。

次に、遅れてきた肌の色の濃いドレスの女性と話す。

「私はイスラエルから来たの。ドレスに着替えてたら遅れちゃった」
身長は180cmくらいあり、私よりも10cmほど高く、話すと見上げる形になる。

「じつはね、ハワイに婚約者がいて、今日は教授と来たから一人なの」
酒も入ってないのに、個人情報が惜しみなく披露される。

「ねえ、日本人?日本人と韓国人って、ビールを1杯しか飲めないんでしょ?」
アルコール脱水素酵素の話か。

「よく知ってるね、アジア人の一部は、ミュータントなんだよ。私も弱いよ」
「じゃあ、ワインじゃなくて、水がいいんじゃない?」
私はからかわれているんだろうか。

「ねえ、これ、つけてみて」
細い鎖のブレスレットを渡される。どうすればいいんだ?
「me ?」
自分の腕を指差す。
「HAHAHA、なわけ無いでしょ。こっちに。自分で着けられないのよ」
結局、彼女の冗談だったのか、私の返しが冗談になったのか、よくわからないまま、ブレスレットを付けてやる。そこに、別の女性がベビーカーを押して現れた。

「Oh! キャシー、久しぶり、遅れてきたの?」
「今日ついたばっかりで」
ハワイの婚約者の友達の研究者という話を聞くが、そこらへんで興味がなくなって、適当に周りの写真を撮っていた。すると、ディビッドの座っていた席の向こうにいる、貧相なヨーロッパ系の男性に気がついた。誰とも喋らず寂しそうだったので、声をかけてみることにした。

「ハーイ。コンニチハ。わたし武井、日本から来た」
「…ハーイ、私はXXXX、XXXXから来た」
全く聞き取れない。声が小さいのではなく、聴いたこと無い語感の言葉だ。

「ごめん、わかんない」
「チェ・コ。東の方に有る小さい国、知らない?名前はマレク」
チッコやチックと聞こえるが、チェコスロバキアだなとなんとなく気がついた。

「ああ、チェコ!もちろん知ってる」
「良かった。ここまで、鉄道で10時間かかるんだ」
「へえ、日本からも同じくらいだよ」
英語ネイティブでない人と話すと、お互いに聞き取れる言葉を探り合って、波長を合わせていく感覚になる。日本語に逃げるわけにもいかず、パーティーで筆談もできない。自分の語彙力のなさが不甲斐ないが、そこはお互い様だ。

「チェコは貧乏なんだ。今日も10人くらい来たがっていたが、私だけが来れたんだ」
「そうなんだ」
「ドイツは初めてか?ホテルもとっても高いけど」
「うん、初めて。そうだね、ホテルは高いけど最近はどこもそうだよ」
「日本もか」
「そうだ。京都でも、前は1日50ドルくらいで泊まれたのに、今は100ドル以上出さないと無理だ」
「ひえー、一度日本に行ってみたいのに、たくさんお金を貯めないといけない」
ある程度になると、ゆっくりではあるが、会話になってくる。歯車が合うという感覚だ。

「お、次のメインディッシュは"TERIYAKI"だってよ。日本の食べ物だろう?」
マレクはテーブルに置かれたコースメニューを指差して言う。正直なところ、そこまで出てきた生の野菜はともかく、スープは冷めていて得体の言えない味だったのもあり、料理は全く期待できない。

「お、来たぞ」
マレクはナイフで肉を切り、頬張った。私も手を付けるが、そもそも冷えた肉がうまいはずもないのだ。

「面白い味だな。これは日本と同じ味なのか?」
マレクは聞いてくる。しかし、これは、この味は、どう考えても、カレーだ。

「あー、これ、カレーだわ」
「カレー?日本料理か?」
「いや、えーと、インディアか」
「なんで日本料理がインドなんだ?」
知らんがな。

「あー、そうね、街なかに行けば、"カレーブルスト"ってソーセージを食べられるよ。3ユーロくらい?それと同じ味」
「へー、ドイツではそれは日本料理なのかもしれないな」
私はドイツ人の味覚が信用できなくなった。駅の売店に売っていた、やけに緑色をした"Sushi set"や、その横に置かれていた"Kimuchi"はどういう味なのだろう。

「でもさ、ドイツってパンが美味しいと思うよ」
「そうかなー、チェコでは、もっと固くて黒いパンを食べるんだけど、それも美味しいよ」
「いいね、一度食べてみたい」
「そうか、ぜひチェコにも来てくれ」
結局、その後も美味しいパンが出てくることもなく、マレクとダラダラと喋っていた。大してお腹が膨れるでもなく、かといって酔うわけでもなくという中途半端なまま、会は終わった。マレクは私と喋っている間、オレンジジュースを5杯は飲んでいた。

「俺、あした発表なんだよ。よかったら聞いてくれ」
マレクは言う。

「ええ、あしたは飛行機で日本に帰らなければいけないんだ、発表は何時?」
「夕方だ」
「ごめん、その時間はフライトだ…あ、そうだ」
私は、マレクになにか日本ぽいものをあげようと思い、カバンを漁った。幸運にも、財布から日本の硬貨を見つけた。

「これな、日本のコインで、"relationship"って言う意味があるんだよ」
「おお、金色。これはとても勝ちがあるのか?何ドルくらい?」
「ええと、5セントくらいかな…」
5円玉だから、言うほど価値はない。

「これはジャパニーズキャラクターだな。なんと書いてある」
「Five、Yen。あと、こっちはジャパニーズトラディショナルイヤー。fifty four」
「おお、いいものをもらった。チェコで自慢するよ」
自慢になればよいが。

次の朝、学会会場に行くと、マレクが企業ブースのキャンディーを、片っ端から全部、鞄に放り込んでいるのを目撃した。私は他人のふりをして、クロークで荷物を受け取り、帰途についた。