47. ものがたりの食べ物。
「あのーセンセー、スキムミルクがありません」
はいはい。そうか、買わなきゃな。買わなきゃみゆき。冗談はさておき、仕事でスキムミルクをよく使う。なぜスキムミルクなのかは、昔の人が考えたことだから知らない、というのはウソで、もともとはウシの血清を使っていたものが、もったいないし、ウシ由来なら良いだろうということでスキムミルクに変わったのだそうだ。GEの『細胞夜話』のコラムに書かれていた。だったら、細胞を培養する時の血清の代わりに、ウシの乳由来のタンパク質を使えるようにすればボロ儲けだろう。まあ、過去にそういう事を考えた人は数しれずいるのであろう。
研究に用いるスキムミルクは、アメリカならネスレ、日本なら雪印である。ところが、大方のスーパーで売っているスキムミルクは、対抗他社製。雪印製品の売っているスーパーを探すのも、研究者としての重要なスキルとなる。なぜ売っていないかと言うと、20年ほど前に、給食で食中毒を出した雪印のせいなのではあるが。
北海道なんとかいうスキムミルクを買ってくると、使いもしないのに、つい裏のレシピを見てしまう。クリームシチュー、パン、そして、ミルクセーキだ。現状では「スキムミルクドリンクの作り方」となっている。
その瞬間、記憶が5歳ぐらいまで飛ぶ。
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『ぐりとぐら』を読んだ5才児。
『こぐまちゃんのほっとけーき』を読んだ5才児。
『ちびくろさんぼ』を読んだ5才児。
ホットケーキを作りたがるものである。実際に、保育園で小さいホットケーキを作り、美味しかったことを覚えている。
家でも作ろうとするわけである。しかしそこは5才児、正しいレシピなんか覚えちゃいない。親まかせだ。
まずボウルに強力粉と薄力粉を1:1で加え、粉まみれになる。砂糖とベーキングパウダーを加えた後、スキムミルク、卵、牛乳を入れる。泡立て器で混ぜようとするが、表面に水分を含んだ粉というものはなかなか手強く、結構な時間をかけて混ぜ、多少ダマになっていようが関係なくフライパンに投入し、いびつなホットケーキを作るまでが5才児のルーチンだ。
混ぜている間に、ふと目移りするのが、材料のパッケージである。
「小麦粉 フラワー」に、なんとなく花がフラワーというのを知っているので「なんでフラワーなの?」。
ベーキングパウダーのパッケージのおじさん。
そして、スキムミルクの箱に描かれた、なんだか美味しそうな飲み物、「ミルクセーキ」だ。パッケージには、ピンクやみどり、薄い黄色のミルクセーキの入ったグラスの写真が掲載されており、混ぜるのに疲れた5才児は、ついそこに反応する。
「これ、つくって」
母親は、またかと嫌そうな顔をして、スキムミルクをコップに入れ、水を入れてかき回す。
「あんなあ、おいしくないで。ええな」
「うん」
泡だらけのコップをあおると、その白い液体は薄い牛乳のような、なんとも味気のない液体だ。
「うわ」
「ほらみい」
「でもこの写真は、ピンクとかみどりとか」
「わかった、ジュース入れるわ」
100%ジュースが注がれる。
「あ、おいしくなった」
「ほんとに?」
「さっきよりかは」
「そらそうやろ」
コップの底からは、溶け残ったスキムミルクがザラザラと現れる。現代のように、溶けやすい顆粒状にする処理などなされていなかったためだ。
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小さい頃から、絵本や物語に出てくる食べ物を食べたがる子供だった。
初めは『ももたろう』のきびだんごだろう。一つ食べるだけで百人力。「ファイトー」「いっぱーつ」のように、肉体疲労児が食べたら、力がみなぎるパワーフード、だと思っていた。
ホットケーキにいもがゆ、ガチョウのまるやき、たまごやきにピクルス、"甘い"かぶ。絵本の中のよくわからない食べ物は、きっと美味しくて仕方がないだろうと思っていた。
それは、絵本の時代が終わって、小学校に入ってからも続いたのだ。『十五少年漂流記』のビスケット。冒険小説のソーセージや干し肉、豆、そしてとち餅だ。
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とち餅を知ったのは、小学校の3年か4年。例にもれず、斎藤隆介『モチモチの木』である。教科書に載っていたのか、絵を描かされたのか、演劇をやらされたのか、全く覚えていないが、おそらく日本の学校のほとんどで、何らかの形で履修する作品である。作品の後半で、豆太が冬にとち餅を作ってもらうというシーンが出てくる。
「とち餅が食べてみたい」
その願いは、あっという間に餅の本場に住んでいる親戚に伝わった。かき餅がおいしい地方では、とち餅など全く珍しくないということで、その冬には茶色い餅が大量に届いたのだった。
とち餅。おそらく山陰側に縁のない人にとっては、物語の小道具の一つであろう。それが目の前に、大量にあるのだ。色は茶色く、黒っぽいつぶつぶが含まれている。山陰地方の餅なので、かき餅以外は丸だ。
早速焼いてみる。
見た目は全く、普通の餅と変わらない。食べてみると、なんとなく、ちょっとだけ香ばしいような気がする。
おしまい。だいたい、物語に出てくる食べ物なんか、みんなそんなもんだ。
1990年代に、O県のきびだんごが「がっかり土産」として紹介されたことがあるが、きびだんごを食べて、美味しくて感動して人などいないだろう。逆に、ものすごくまずいとラジオか何かで評されたマスカットきびだんごにしても、食べてみたら甘いだけ。うっすらマスカットの風味がついていると言うだけだ。騒がれていても、特段美味しくもなければ、まずいわけでもない。
それから、毎年送られてくるようになったとち餅であるが、普通の餅として食べられる分には良かったものの、冷凍などしない私の実家においては、表面のつぶつぶが、カビなのかとちの実のかけらなのかがわかりにくいということで、少々不評を買い、数年で届かぬよう手配されたのである。
一方で、クッキーなどを作る際に出てくるスキムミルクの箱に掲載されたミルクセーキについては、私は7歳までの間に3度、同じ失敗を繰り返し、全く学習しなかったのであった。