見出し画像

第一話 『ムッコちゃん』(上)

 さて、6冊買ってしまうか、行ってしまうか、どうするか。ブックオフの100円の本「ま」の棚の前で一人悩むおれ。宮部みゆき『ソロモンの偽証』が全6巻、『模倣犯』が全5巻。両方が全巻揃って100円コーナーに並んでいるのは珍しいが、これを買ってしまうと、ひと月5冊のペースで読んでいるのであるからして、一シリーズは積んでおくとしても、1ヶ月、いやこの分厚さからすると2ヶ月は同じシリーズを読み続けることになる。そして、今は2月半ば。ということは、春が来て桜が咲いても『模倣犯』を消化している、そう考えると辛い。

その横の「は」の棚の、東野圭吾『白夜行』に『幻夜』も厚いな。京極夏彦並みだ。京極夏彦の本は、古本だと背中がへの字に折れているからすぐわかる。噂には面白いらしいが、手を出しづらい。

うむ、ここは無難に、宮部みゆきか東野圭吾か。誉田哲也も堅いし、イザとなったらの伊坂幸太郎、なんちゃって。「ひ」…東山彰良?なんか聞いたことがある。この人の作品、何か映画化されていなかったかな。それでもいい。東川篤哉?

本棚から少し取り出してみる。タイトルは『探偵さえいなければ』。

漫画のキャラクターの表紙で非常に読みやすそうだな、これでもいいいか、いや、ちょっと子供っぽいか。って、誰に気兼ねしてるんだ。東直己『探偵はBARにいる』って、これ、あずまちゃうんかい。ひがしなのか?「東あずま」っていう、すごい駅名があったな。頭痛が痛い。

*

などと考えているおれは、読書は初心者である。いや、3年ほどで、おれが読書サイトに書いたレビューが3桁をようやく超えて150冊が見えてきた程度なので、世間ではまあまあの読書家かもしれない。

大学進学でT県の実家を出たおれは、地方国立O大学の修士を卒業し、某化学系企業に就職したが、深夜までの激務にやられて5年足らずで退職。少し遠かったがS県の中小企業の中の上くらいの大きさの薬品系の会社に再就職した。

再就職した後は、定時出勤・定時出社を心がける、ごく普通のどこにでもいる独身平凡優良サラリーマンである。しかしおれは、転職後しばらく通勤をしていて気づいたのだ。行きも帰りも電車で普通に座れてしまうのである。

激務だった前職の頃なら、スキさえあれば睡眠を貪っていたおれだったが、定時にあがって23時には就寝、6時起きのサイクルにしたら、通勤時にはさほど眠くもない。スマホを眺めるのにも飽きた。そんなとき思い立ったのが、読書だったのである。

読書なんて、真面目に取り組んだのは高校以来だと思う。中学の頃に図書館で本を借りまくったのは遠い昔、高校も3年間で10冊は読んだだろうか。父親に「そんな役に立たないものを」と言われて冷めてしまった。大学はテニスサークルと対戦ゲーム、大学院に入ると実験実験また実験の日々で、本を読む暇など微塵もなかった。

再就職した29歳、おれは大宮駅の上層階にある本屋を訪れた。「ルミネ26階」とネットに出ていたので恐る恐る訪れてみたところ、「ルミネ2」の「6階」だった。その6階の雰囲気のいい本屋で、読みやすそうな、映画化されたような文庫本を3冊見繕って、レジで精算の段になって驚いた。

「2840円です」
「はっ?」

文庫本がたったの3冊で3000円?予想していた金額のほぼ倍、さらに倍、倍率ドン。
おれも一応は社会人なので、財布にはいつも諭吉さんをお守りに1枚入れているが、諭吉さんに羽が生えて飛んでいってしまった貴重な瞬間だった。瞬間などどうでもいい。おれにとって、貴重なのは諭吉さんだ。

そこからおれは、ブックオフ信者になったのだ。過去に映画化されたような作品の文庫本は、きれいなものでも100円で売ってくれる。以前は剥がしにくいと言われていた値札シールも、最近は大きめのものになって一瞬で剥がれるようになった。

*

ま、今日は宮部みゆきかなー。

そう思って少し目線を下げた。

ググー。

なかなか豪快な腹の音。
おれの左に立っていた、女子高生?中学生?おばちゃんと言われても違和感のない見た目の、女子?

そう考えていたところ、その女子はヘタヘタと崩れ落ち、床に座ってしまった。
「…じで、うわー、…れならん」
その女子は、なにかぶつぶつとつぶやいている。うわー、ちょっと危ない人かもしれない?

汚れた白いスニーカーと白い靴下。デニムのロングスカートに、ダボダボの茶色のパーカー。肩からはストラップの長い布のトートバッグ。細い金属フレームのオーバルのメガネで、髪はいうなればボサボサ。後ろをくくっているが前髪はザンバラだ。

少し眺めていたがいつまでたっても立ち上がる気配がないので、おれは手を伸ばした。

「大丈夫?立てる?」

グー。

返事の代わりに、もう一度大きく、女子の腹が鳴った。
立ち上がった女子は、伏し目がちで言った。

「この中で、あたしに読める小説って、どれですか?」

-----
登場人物
大井夏樹 おっさん。昔ブラック企業に努めていた
山本睦月 変な女子。はらがへった

新シリーズはじめました。1回を2~3部構成で、第1回は書き上がっていて、次回は3/25夕方の予定です。不定期連載です(全部だ)。