85. 飲み会の孤独。

 最後に飲みに行ったのはおととしの忘年会である。その年末年始が過ぎた頃、世界的に新型肺炎が蔓延して、外食というものができなくなったからだ。

その一方で、飲み会が無くなったことを喜んでいる人だっている。かくいう私もその一人である。元来、飲み会というものが好きでない。最初の一杯を飲むのは好きだが、そこで頂点に達し、ズルズルと気分は下がっていく。下がりきらないように、自分の中でエンジンを掛けてはフラップを調節して、ちょうど良さそうな高度を維持する。

飲み会の中での高度の維持は、その飲み会の雰囲気などに依存して変わる。勝手に話が進む会なら、ほとんど苦労もなく高度を決定することができる。仕事周りなどで、偉い先生方を囲む会では、場合によっては、私の高度が会の後半の雰囲気を決めたりするので、気が気でない状態となる。

飲み会における、私の高度調整の最大の敵は"注ぎ魔"である。注ぎ魔は、一口でも口をつけたグラスを見つけると「おっとー、飲んでないじゃない。ほら次の来てるから飲まなきゃー」と言いながら、自分は飲まずに注いで回る人間である。ああいうのが、世間ではうまく立ち回る人間とされているが、私に言わせれば、単なるハラスメント人間である。私は、私なりの飲める量というのを把握している。最初にビールを中ジョッキで2杯飲んだら、あとはビールが2杯か、ハイボール1杯で限界である。

私の場合、限界を超えると突然意識が飛んで、寝る。大学院時代からの知り合いは「武井はすぐ寝るからなあ」とわかってくれるのだが、世の中には通用しない人もいる。一度は上司であった当時の部長に飲み会の翌日呼び出された。

部長は明らかに怒っている。
「ところで、なんで呼び出されたかわかるか?」
「はあ、いや、わかりません」
本当にわからない。なんだ?実験サンプルを机の上に出しっぱなしで帰ってしまったか?それとも、この間書いた申請書が期日に遅れていた?いろいろなことが頭の中で浮かんでは消える。

「キミ、昨日の夜のアレ、アレはなんだ?」
「は、はあ」
まさかの飲み会についてだ。昨晩は、C大学の准教授のご接待に着いていったんだっけな。そこでいらんこと言ってもうたかなあ。大学時代は飲み会で常にいらんことを言って、毎回、翌日の朝には布団の中で頭を抱えて、二度と飲み会なんか行くか、頼むから忘れてくれと呪ったものだ。不思議と誰も覚えていなかったけれども。

「キミ、なんか病気なの?」
「はあ?」
「急に寝たじゃん」
「あ、はあ、飲みすぎるとそうなるんで」
「なんでそれだったら、ちゃんとセーブしないの?お客さんの前でしょ?」

あ…。おっさん、お前が注ぎ魔で、上司部下だから受けてやってたんやろがい。おっさんが飲みもせずにオレばっかりに注ぎまくってたんやろが、非常階段で一回痛い目に遭わせたろかボケが。一緒に行った学生も一人早々に潰れていたけど、それはええんかい?

などとは口に出せないので、そこから適当にごまかして退散した。このおっさんとは二度と飲みに行かない。その後、その部長は定年退職したので、その決意は無事遂行された。

*

飲み会の席で、ビール瓶を持ってウロウロする人、何も持たずにあっちこっちに移動する人などがいるが、私は基本的に動かない。空気を読むこともしないが、最初に座った席から、トイレに行くとき以外は一切移動しない。確固たる意志が有るわけでもなく、タイミングがわからないわけでもないが、動かないほうがなんとなく良さそうという理由である。

また、流石に年齢を重ねただけあり、自分の体調と飲める量はある程度は理解している。さらに飲み会で往々にして生じる体の変化の一つが、音がよく聞こえなくなるというものが有る。実際には、アルコールで聴力が下がるのではなく、音にフォーカスが絞れなくなるというものだ。

自分の前に座っている人が、私だけにだけではなく、なんとなく数人の中でイニシアチブを持って喋っているとき、私の耳はその話だけでなく、店内BGM、注文の音、隣の席の「ミキのカレシが、今度ディズニー行こうって、ワタシさそってきてー」という会話などを、漠然と拾ってしまう。

この現象を具体的に分析すると、平常時に止めている右耳で音を効く状態が、アルコールによって開放になっているのである。私の場合、左耳が中音部のボーカル、会話などを拾い、右耳は高音と低音を拾う。音楽を聴いていても、右だけだと楽器のメロディーは披露が、カラオケのようになって、ボーカルラインをきちんと聞き取れないのである。これは、左耳が滲出性中耳炎になり、中音部のみ聞こえなくなったことで、他人の会話がまったく理解できなくなったことや、電話のときに左で受けないと内容を把握できないことからも、自分の中で証明されている。

そうなったら、もう会話には生返事と相槌以外打たないようにして、適当に店内に流れるBGMのバスドラムのラインを拾う。小学校の頃、誰もいない家の中の掛け時計の秒針の音を探して、1秒を意識したときに似た気分だ。その状態で分針をじっと眺めると、1秒で0.5度動くところを見ることができる。

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最も嫌いな飲み会は、こちらの上司と、相手方の上司の飲み会に着いていくことだ。上司クラスが2人も集まると、約50%の確率で注ぎ魔が現れる。現れなかったときには、心底安心するが、一方で会話に一切入れない確率は90%を超える。降水確率ならば、傘が必須だ。

上司の世代だけでなく、ビジネスマンの飲み会の会話は苦手だ。理由を一言でまとめると形容詞が固有名詞の会話であるからだ。

「昔いた三守くん、彼に似てるだよ。三守くんは今T大学だっけ、三守くんて山上くんといつもテニスで組んで、強かったじゃない。彼はF大の時はテニスやらずに、田代とずっと実験してたらしくてさ…」

こういう会話が一切理解できない。本を読んでいても

「彼の推理力は江戸川乱歩の探偵というよりも、ポオの泥臭いそれであり、クリスティのポワロほどではないが、とぼけた表情で真相をついていくのはコロンボの最盛期を思わせる」

こういう書き方の文章が出てくると、それらの個々を知っていたとしても、読む気が失せるのとおなじようなものだ。何故か名作扱いされる、中井英夫の『虚無への供物』がまったくもってこういう書き出しなので、非常に嫌いだ。

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毎年、唯一楽しみにして参加していた忘年会は、大学院時代の人たちとの忘年会である。西日本であることもあり、他の季節には行えないのだ。参加者も今や半数は関東在住で、同様に半数が関東が実家であるにもかかわらず、わざわざ勤務先の東京や茨城から、飲み会だけのためにホテルを取って駆けつけてくれるのだ。

彼らとは、大学人時代は、ほぼ毎日何らかの形で飲んでいた。研究室に持ち込み、喫茶店でカクテル、ラーメン屋でビール。夜の8時頃に自然に始まって、夜中の3時頃解散。翌朝11時位に出勤である。

そういう飲み会でも、私はある程度飲んだあとは、ほとんどしゃべらない。しゃべっても、会話か成り立たないから仕方がない。しかし、しゃべらないのなら、しゃべらないなりに、会話をリードすることも可能なのが、彼らとの飲み会の楽しさでも有る。

もう2年前になるが、天神橋のジビエが売りの地ビールブリュワリーで忘年会をした。東京から、名古屋から、茨城から、みんな駆けつけた。関東などから集まった同級生や先輩は、朝まで時間を潰して、始発で戻るのだそうだ。実家が電車で30分とは、気合の入り具合が違う。

「今何やってんの?」
「L社の開発ですわ」
「儲かるやろ?」
「めっっっっっちゃ儲かりますわ。7時には仕事終わって、時間が有るから仕事終わったらジム通いで、テニスラケット10本くらい買い替えましたし」

そんな景気のいい話から、昔話にうつる。その頃には、話を聞いてもよくわからなくなってくる。でも、大学院時代から彼らの性格を知っているので、どういう話を振ると会話がリードできるのか、ということは知っている。

軽く話題を振ってみる。
「子供生まれたんやろ?何歳やっけ?」
関東からはるばる飲むだけのために来た同級生が答える。
「いま3歳なー。うるさいでー」
「お、オレんとこも3歳。何月生まれ?」
他の昔話に入れなくなった先輩が、ここぞとばかりに
「2月」
「お、2月?オレんとこ25日」
「あ、26日ですわ」
「武ちゃんとこは?」
「こんど5歳です」
「へー、トイレとかいつできるもんなん?」
話題を一つ振るだけで、勝手に会話は回っていく。
「えー、藤沢くんとこ、もう3歳なんやー。写真見せてーや」
隣りにいた元研究技術員の丹沢さんが割り込んできた。同級生の野田と藤沢さんは、それぞれの息子の写真をスマホで見せあっている。

この組み合わせなら、多分この話題で盛り上がるだろう、そういうのを雰囲気で察し、起爆剤か触媒となる言葉を間に投げ込んで、自分は最小限しか喋らないのが、私のスタイルだ。大学時代はそれがわからず、最初から最後まで話をリードしようとして失敗して、翌朝深く後悔していたのだ。

「おい武井ー、飲んでるかー?」
「あ、川崎さん。今日は東京から来たんです?」
川崎さんは、大手企業の営業に中途採用され、持ち前の行動力と就職後に身に着けたネイティブ並みの英語力で、世界中を飛び回っている実力派だ。しかもテニスの腕も、周りいわく国体クラスである。

「おう1週間有給取ったから関西におる。でも明日東京に戻って、1月1日からロスやで」
「めっちゃ忙しいですやん」
「ねえねえ、川崎くんはまだテニスやってんのー?」
テニス仲間だった丹沢さんによるナイスフォロー。

「めっちゃやってまっせ。週3回はコート借りてて」
「あ、そういえば、検索したら出てきた3位とかいうのは川崎さんです?」
「そうそう、Facebookから時々漏れてんねんわ」
「仕事が忙しそうなのに、ようやりますね」
「ちゃうちゃう。仕事がサブ。メインはテニスやからな。テニスとうまいもん食うために仕事しとるし」

川崎さんの豪快エピソードが始まる。以前に香港に長期滞在を余儀なくされた際、2週間に1回、東京でご飯を食べるために、週末だけ帰国していたという。

「すごいよねー、やっぱり外資系は儲かるよねー」
「いや、ウチら子供が苦手やから。金だけ有ってもしゃーないでしょ。ていうか、お前とこ、どやねん」
静かに聞いているつもりが、振られてしまった。

「もうS県で10年以上ですしね。子供もまだ幼稚園ですし」
「ふーん、他には」
「あ、最近ドラム買って、ギターもちょっとやり直してるかな」
「あいかわらずやなー」
「ギターはずっと初心者でしたしね。もうちょっとだけできるようになりたいなって」
「教室とか寄ってんの?」
「いや、今はYoutubeで何でもできるんで」
「そっかー。Youtube便利やな。オレもギターやり直そうかな」
「えー、川崎くん、ギターもやるんやー」
丹沢さんが割り込んできてくれた。

「いや、高校のときに兄貴の借りてちょっとやったくらいですけどね。O大のときに武井にCDいろいろ紹介してもろたし、やっぱ、ちょっとは弾きたいですやん。ねえ藤沢さん!」
「ええっ?なになに?」
藤沢さんは、飲みかけたハイボールをこぼして、慌てておしぼりで拭いている。

「藤沢さん、ギター持ってたやん」
「あ、ああ。全然弾けんけど」
「あれ、ちょうだい」
「やだよー。金持ちなんだから、自分で買いなよー」
「えー、あれがええんすよ…」

とりとめのない話が勝手に進む中、声を聞くための私の左耳は仕事をしなくなっていく。高音と低音、店のBGMやカサカサカチャカチャギイといった、環境音を捉えるが、会話は全然入ってこなくなる。ああ、この曲なんだっけな、ちょうど大学院の頃に流行っていて、FM802でよくかかっていた。昔聴いたものとは、アレンジが異なる気がする。今聴いてみると、ドラムがちょっと変わってんなあ…。

気がつくと、会はお開きになっている。酔っているし眠いが、外の冷たい空気に触れているせいか、不思議なほど頭は冴えている。

「今日はよう来たな」「これからは?」「ホテル取ってるから」「お前は二次会くるやろ」「えー」「俺ホテル無いもん」「実家に帰れば」「今から帰れるかい」

そんな中、川崎さんは私の状況を目ざとく見抜いている。
「武井はいつもここで冷めてるよな」
「えっ?」
「二次会な。梅田で。帰れるんやろ?」
「はいはい」

一度はこのメンバーの一部で合コンに行き、なぜか知らない男同士で盛り上がり、梅田で三次会まで突入。始発まで2時間というところで「よし、十三まで歩こう」ということになったことがある。その時も、私が方向を指示していたが、なぜか十三ではなく、同じ路線の柴島(くにじま)という、日本でも有数の難読駅に到着した。途中の淀川沿いで夏の日の出に遭遇し、皆のテンションが上り、大声を出していたところ、河川敷に止まっていた車が揺れていたのがピタッと納まった。
「あれ、やっとったな」「やってたやってた。見たわ」「もっと見てやればよかった」

二次会は梅田の地下街だった。ジントニックを注文しボケーッとしていると、川崎さんや藤沢さんは、会社の経営の話で盛り上がっている。「最近増資がなくて」「景気がな」

「おい、武井、お前んとこどうなん?」
「さ、さあ?あんまり経営とか知らんし」
「そういや、武井は昔から、飲んだら仕事の話せんよな」
「飲まんでも、一歩外出たら、しませんよ」
「ふーん、そうなん」

結局、ジントニックが来たのは、注文から20分ほど後だった。
BGM代わりに友人、先輩たちの会話を流し聞きし、飲み終わったところで2000円を置いて帰途に着いた。

帰りの電車では、思い切り寝過ごした。
K阪電車の特急、快適すぎる。

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連載は3回まで書き上げ、続きを書いています。途中ですが、少し別のものもアップしていきます。