52. ぼくの、あの夏休み。

 世間は夏休みである。とはいえ、今年2020年の夏休みは、件の影響で短いらしく、小・中学校は8/16までの2週間。高校は8/6から2週間程度ということだ。そこに宿題が出るんよね?と思うと気が滅入るが、そもそも春の自粛休暇期間に、自主的に勉強する人と、しなかった人の差がグンと開いているだろうから、仕方がない。

普通に通勤している我々からすると、電車が平和なこの貴重な期間が、たったの2週間で終わってしまうのかと思うと、非常に寂しいものである。

あまり関係はないが、2019年度から、働き方改革なるもので年次休暇5日間が義務付けられ、元々ある夏休み6日間を消化しようにも、事務や上司のプレッシャーで、普通の有休に差し替えられてしまう。これはパワハラではないのか?夏休み消化も義務化を。

ところで、子供の幼稚園はと言うと、いつもよりも短いながら、4週間ほどの休みがある。ただ、友達の家に行くわけにも行かず、関西の実家に帰ることもままならない。子供はというと、ひらきなおって、Wii、DS『どうぶつの森』である。セミは7月初日に全部集め、タマムシ、カブトムシなどを乱獲する。『どうぶつの森』は、晴れた昼間にプレイを続けると、キャラクターが日焼けをするようで、あっという間に真っ黒になってしまった。「こんなのやだー」と言われるが、そういうシステムだから仕方がないだろう。

「そういやさ、夏休みのゲームってあったよね?」
妻が聞いてきた。

「『ぼくのなつやすみ』やな」
「「キレイキレイ」の絵の人の」
「えーっと、上田三根子」
「そうそう」

調べてみたところ、『ぼくのなつやすみ』は、プレイステーションのソフトなので、我が家の機種では動かない。スマホ版ももう無いようだ。

「幼稚園の課題がね、こんなんなんよ」

見てみると、「ヒマワリのはなとかおのおおきさをくらべてみよう」「かぶとむしにさわってみよう」「ヤドカリをもってみよう」などと書かれており、何か記入するようになっている。

「こんなん、我々が子供のときでも、出来たんは一部だけやで」

実は、私はその「一部」だった。
両親が日本海側出身で、京都に"上京"就職して、定住したクチだ。夏に田舎に帰ると、冷たくて砂もきれいな海、ヤドカリやカニ、アワビにカキまで取れた。そして美味しいイカ。海から2kmも山の方に登れば掃くほど取れるノコギリクワガタやカブトムシ。そんな夏休みを過ごしたことがある。昆虫採集なんか、甲虫で全部埋められるレベルで取れ、夏休み明けに「自由研究」と、友人たちがタミヤの木工キットやペーパークラフトを提出していのが不思議で仕方がなかった。

しかしそれは、仕方がないことだったのだ、とわかったのは、大人になってからだった。高度経済成長期に、都会に出てきた山陰、山陽、北陸、東北の両親を持っていない、2世代以上を近畿地方や首都圏に過ごした家庭には、「海や山」は、大きめの旅行でもしなければ触れることの出来ないものだったのだ。いまだにその価値観で、幼稚園から課題が出ているのである。

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さて、"あの夏休み"というと、小学校1年の夏休みだ。
小学校までは、保育園に通っていたため、夏休みらしきものはほんの一瞬しか無かったのだが、物心がついて初めての、40日あまりの連続した休みとなった。

小学校に入って、なんとなく、自分は残念な側の人間であるということは、薄々感じていた。というのも、夏前にクラス全員で初めたアサガオの観察。各自1つの鉢に2粒ずつ種をまいていった。

「お、出てた」
「2つとも芽が出た」

そういう同級生の反応を尻目に、自分の鉢からは何の音沙汰もないまま、夏休みに突入していった。2つとも芽がでないというのは、クラス40人中で1人だけであった。

*

さて、初めての夏休みである。
両親が共働きであり、小5の兄はともかく、小1を家に置いておくのはどうかということで、学童に預けられることになった。つまり、毎日朝学校に通い、荷物を置いて本を読んだり校庭で遊んだりしていた。学童の書架に置かれた『はだしのゲン』で、原爆がトラウマになったのも小1だった。

そんな夏休み、しかも初日。同じ学童の1~3年生たちと、炎天下の校庭で野球をやり、虫を取って、汗だくで水飲み場、正しくは足洗い場に向かった。水飲み場には、5つずつの蛇口が繋がった、パイプだけの水道が3セット、縦に校舎に向かって並んでいるのだ。

我々の時代には、水道から出てきた水を「生水(なまみず)」と呼んでいた。曰く「生水を飲むとお腹を壊すので飲まないこと」であったが、水筒に入ったぬるいお茶はおいしくないし、校舎の中庭にある飲んでも良い蛇口からは、熱々のお茶が出るという仕様であった。これが土地柄であったことを知るのは、30年以上後になる。

したがって、可能な限り冷たい水は、水道の蛇口から直で出てくるものである。校庭から最も近く、最も冷たいのが、「生水」の水道であったのだ。

「生水」の水道は、今のように蛇口が360度回転するようには出来ていない。栓をひねると上から下に、叩きつけるように水が出る。それを下で見上げるようにして、直で飲むのが小学生らしさというもの。うまく口に入ると、左の頬にしびれるような感覚を覚えるその水圧は、校舎から5つ目、そのかたまりでは、一番端の蛇口であった。

最初の熱い水を避け、心持ち冷たくなった水の柱に、横からガブッと噛み付く。なんとなく鉄のような、塩素のような味がするのも、冷たさを引き立ててくれているようで心地よい。3口目を噛み付いたあたりで、後ろから3年生に呼びかけられた。

「おい」

次の瞬間、水の柱が口から遠ざかっていく。
スカスカの水道のパイプの脇を頭が抜け、ツツジの茂みが目の間に。

夏休みの間、プールの授業だけは友だちに会えるんや。楽しみやなあ。
そういえば、アサガオは誰が毎日水をやってるんやろう。

「生水」足洗い場の縁のコンクリートが目の前に迫ってくる。

あ、誰かに押されたんやな。
あかんあかん、こけとるで。

光が飛んだ。

しばし沈黙。


……
………

「…ギャー!」

頭を触ると、手に血がベッタリとついている。熱い。
周りにはだれもいない。

そこからはよく覚えていない。アイスノンで冷やされ、当直の教師の車に乗せられて、学校近くの、当時小学生からヤブ医者と恐れられていたE医院に連れて行かれた。

まだ怪我というもの、特に頭の怪我のことなど一つも知らない小学生。『はだしのゲン』で見た人たちの「頭がやられてヨイヨイになっとるんじゃ」「もう死ぬしかないんじゃ」というセリフを思い出す。

頭を打ったから、もう死ぬのかもしれない。こんなことなら、夏休みなんか無かったら良かったのに。そう考え始めたら、なんか悲しくなってきて、また泣いた。

「あーこれ、ヒビいってるねー」

ガーゼのようなものを押し付けられ、重い何かで患部を押さえつけて、頭を包帯でぐるぐる巻きにされる。

「しばらく、プールもあかんよ」

やった、スイミングスクールに行かんでええんや。でも、習い事の中では一番好きなんやけどな。

小学校1年の夏休み。
初日に重傷。
夏休み中、プールおよび運動は禁止。
しばらく頭も洗えない。
重いギプスをつけていないといけない。
学童は退所。
週1回、E医院に通う。

何という人生か。
小1の夏、1日で終了。