14. ハウ・クレイジー・アーユー。

 これは、数年前にいた学生の話である。落ち続けている科研費の申請書を書いていた、とある9月の後半の話。

「なーセンセーよ、日本語で "crazy" ってなんて言うんだ?」
てな内容のことを英語で聞いてきた。
「はあ? "kichigai" だと思うが、お前は何が聞きたいんだ?」
てな内容のことを、当然英語で返した。

どうやら彼は、ラブレターを書きたかったらしい。ラブレターに"きちがい"はダメだろう。

彼は、そのさらに3年ほど前に、イギリスから留学してきた。インドネシアだったかマレーシアをルーツにしていたが、イギリスで生まれ育ったせいで全くイスラム教を信じておらず、酒は飲むわ、豚は食うわ、どこにそんな元気が……ガーッハッハ、というCMが1990年頃に有ったのだ。音が割れて、テレビが壊れたかと思った。いや、カキ肉エキスのCMは関係ない。彼は来たときから異様だった。来日して空港から直接研究所を訪れた彼は、1本のアコギを持っていた。しかも、ケースなしで。

さすがの異様さに、初対面で思わず話しかけた。
「何やお前、なんでギター持ってる?」
「おー、はじめて聞かれた。誰も聞いてくれなかった。日本はギターを持っていても普通なのかと思った」
「そうか、それ、イギリスから持ってきたのか?」
「ヤー。これがない人生なんか無い」
「でも日本は湿度が高いから、ギターには良くないと言われているぞ」
「イギリスも湿度が高い。大丈夫だと思う」

まあ、研究所でこれから研究をしてみたいという人間には見えない。彼が聞いてきた。
「オー?あんたギター弾くのか?」
「少しね」
「アコースティック?」
「今はエレキギターしか持ってない」
「そうか、残念だ」

何が残念なのだろうか。
「お前、ロック聴くな?Weezerを知ってるか?」
「Weezer? 当たり前だ。日本でも人気がある」
「本当に? イギリスでは知ってるやつが一人もいなかったんだー。 "Island and Sun"がめちゃくちゃ好きだ」
「えーっと、Green Albumに入ってるやつ?」
「イエスイエス!オメースゲー、オー、お前友達」

そこまで盛り上がって握手を交わしたが、それっきり彼のギターを弾いているところも、Weezerを聴いているところも見なかった。幾度となく酒を飲んで楽しそうにしているところと、「ワサビうめー」と、すしざんまいでワサビを直でつまんでいるのしか、プライベートは覚えていない。音楽は、別の留学生の影響で、モーニング娘。が気に入ってよく聴いていたと、彼が帰国したあとから聞いた。

ラブレターの話だった。
彼女とは、夏に花火大会で出会ったのだという。とはいえ、花火大会で突然出会うわけはないので、他の留学生のガールフレンドの友達とのこと。

「あー "kichigai" はまずいな」
「なんで? 英語だと "I'm crazy for you"って普通に言うよ」
「日本語の"crazy"の意味の単語は、悪い意味ばかりなんでね」

そういえばそうだ。"crazy" は「きちがい、狂ってる」だし、 "mad" もそうだ。"insane"に至っては、このまま放っておけば、窓をぶち破って飛び降りて死んでしまうかもしれないような印象だが、結構やつらは"It's insane" なんて言うな。我々が日本語で言った場合、下手したらクビが飛ぶ。

「まあ、言うなら"muchu"かな」
「m・u・c・h・u ?」
「そうそう」
「キミ、ニ、ムチュー?」
「オーナイス。で、それ、渡すの?」
「ノー、歌うんだよ。彼女の前で」

「…ぶはっ、ハハハハハ、ノーノー、やめとけよ」
別の席の日本人が思わずツッコミを入れた。
「…でも、言いたいんだよ」
「うーん、手紙か…どうだろう?」
「そうねー、彼女の知ってる曲を歌ってから、後でいうか、替え歌にすれば」
「オー It's good idea ! お前天才」

そうそう、"good idea" は彼の口癖なんだ。「いいね」くらいの意味だけど、「いいね」よりも言われて嬉しいのはなぜだろう。

"It's good idea"

ぜひ使っていきたい言葉である。むずかしいけど。

(仕事納めから年始まで更新を休みます)