私のルーツ探し
36年ぶりに、昔住んでいた家を訪ねる。
なんて事ない、寂れた地方の住宅街である。
19歳の春に両親が住み替えのため、家を売却し、新しい家を建て、引越したから、それ以来訪れた事は無かった。
36年ぶりに、その場所を訪れた。
昔住んでいたその家は、赤の他人が住んでいて、外からそっと覗くぐらいしか出来なかった。
それでも昔の家も 周りの道路も、すべては、変わらず存在していたことに、感動を覚える。
「変わらない」じゃなく、そのまま朽ち果てているといった感じか。
道路整備も最低限でされておらず、殆どのいえは、築50年ぐらいになっているらしく、薄汚れている。
中には、空き家らしい家もみられた。
破れた網戸や薄汚れた外壁は、適切なメンテナンスも行われていないようである。
子供の時は、賑やかな遊び声が響いていた、通りもひっそりとして誰もいない。
坂道なのに、狭い最悪の道路事情。
この道路しか、大通りに抜けれないので、父は、車の運転に不便なこの場所を売却して、住み替えようと決意したらしい。
そんな良いところ一つも無い、昔の家だが、私の夢に頻繁に出てくる。
私の頭の中には、家の内部もありありと蘇り、部屋の間取りも、しっかりと覚えている。
私の部屋は、2階で北側の部屋だった。
南以外の壁には、全て窓がついていて、思いの外明るい。
夕方の西陽は、美しく部屋のなかを照らす。
北の窓からは、山々が見え、それは季節毎の彩りを見せてくれて、子供ながらに美しさに見惚れていた。
秋の紅葉も美しかったが、数年に一度程積もる雪を纏った山の美しさは、忘れられない。寒かったが窓を開けて、ずっと見ていた。
およそ15年程住んでいたので、私の心のルーツでもある。
朽ち果てても、ずっと心の中にしまって置きたいと思っている。
自宅だった周辺も、歩いてまわる。
かつての友人の家や、習っていたピアノ教室なども見て回る。
変わりなくあり、当時を思い出して、懐くなった。
友人とは、些細な事で関係がきれてしまって、今どこにいるのか知らない。
ピアノ教室は、まだ教室を運営しているようであった。
こちらも、友人と同様、教室を辞めてからの付き合いが全く途絶えてしまっている。
外から、見る事しかできない。
先生を訪ねて、「ご無沙汰しております。」とか絶対できない自分自身の不甲斐なさに、苦笑いする。
昔も今も、自分のコミニティー能力に問題ありだな。
でも突然尋ねられても、困るだろう。
55歳のおばさんが、突然「教え子です!」と現れてもね。
それも全然教えがいの無い、劣等生だったから。
でも、私は、ここに住んでた。
それだけだが、ここの全てのモノに愛着を感じ、私の血となり肉となり、これからの私が作られているのを感じる。
例え、それが朽ちていようとも。
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