祖父の戦時中の思い出話
8月15日、今日は終戦記念日です。
祖父の戦時中の思い出話を投稿します。
祖父は幼い頃に両親を亡くし、親戚筋の大きなお家にお世話になっていました。祖父の兄、祖父、祖父の妹の3人兄妹。「親戚の家では良くしてもらった」と、祖父はその家のお墓の掃除を定期的に行い、よくお花を供えていました。
第二次世界大戦末期、祖父は飛行予科練習生となり、家を離れました。
同じ年頃の子達と共同生活。祖父はおしゃべりで人懐っこい性格だったので友達もでき、それなりに生活をしていたそうです。(もっとも戦時中なので多くの制限や食料不足、厳しい教官に監視、指示される生活ですが)
その頃、同じ部屋で毎晩泣いている子がいたそうです。(ここではA君とします)話を聞いてみると、どうやら「いいところ」(裕福なおうち)で大事に育てられたお坊ちゃまだったようで、訓練所での生活に寂しさや怖さ、家族への思いを感じ、夜になるとしくしくと泣いていたようです。そして精神的な要因からおねしょをしてしまっていたそうです。
(それはそうですよね。10代で親元を離れ、「もう2度と家に帰れないのではないか」「近いうちに死がやってくるのではないか」という思いがずっと心にある中での訓練。今自分がそうなったら?と考えても、想像が及びません。)
ある朝、同じ部屋の子達が並ばせられ、教官に怒鳴られました。
「寝しょんべん(おねしょ)をしているやつはだれだ!!」
祖父はそっとA君の様子を伺うと、顔面蒼白で少し震えていました。
誰も名乗り出ずにいた時、
「僕です」と祖父が手を挙げました。
その瞬間、「この馬鹿野郎!!」と教官におもいっきり殴られました。
きっとA君は叩かれたことなんでないだろうし、かわいそうに思ったと祖父は振り返っています。
A君のことを祖父がかばったのでした。
その出来事があってからA君は夜泣くことも、おねしょをすることもなくなったそうです。そしてもちろんA君から祖父にお礼があり、仲良くなったそう。
「ひとりじゃないって気持ちになったのかもしれないね」と祖父から話を聞いた母が言いました。
戦争が終わってそれぞれの家に戻った時、A君がお母さんと一緒に祖父の家までお礼に来てくれたそうです。A君が自分の母親に祖父のことをはなし、とても嬉しかったと、ありがたかったと。丁寧にお礼をしてくれました。
A君が会いに来てくれたことは、祖父にとっても、とても嬉しかった出来事だったようです。
この話を祖父が母にしたのは、祖父が末期ガンになり、入院していた時の頃。A君と同じ苗字の看護師さんを見つけると「あなたの出身は○○(A君の家がある地域)かい?」と聞いていたそうです。
きっと祖父はA君にもう一度会いたかったのでしょう。
今もしA君がご健在ならば、85~90歳頃だと思います。
A君の氏名は母に聞けば分かるかもしれませんが、分からないかもしれません。祖父は正義感が強いとか、そういったタイプではないけれど、放っておけなかったのだと思います。
戦時中の話のなかでは少し毛色が違うものだと思いますが、ふと祖父を思い、upしました。
曖昧な点や名称等が違うこともあると思いますが、もう祖父がいないので、もう一度聞くことが出来ません。ご容赦ください。
祖父の代わりにA君とそのご家族が幸せであることを祈ります。
そして2度と戦争がおこらないよう願います。
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