ひねくれ者のマタニティフォト

“思い出づくり” という言葉に違和感がある。
“友達をつくる” ”子どもをつくる” もあまり好きではない。
「それって、つくるもんじゃなくない? 」と思ってしまう。

最近、「マタニティフォトは撮る?」という話題がたて続けに出た。
私はあまのじゃくだから、皆がやってることはやりたくない。
少なくとも白ワンピに花冠みたいな写真は絶対ない。

確かに、お腹が膨らんだこの姿は今しかないものではあるけれど、別に突き出たお腹の写真なんて、面白くも何ともない。
なんといったらいいか、“女性の神秘を撮る”的なアートな写真とか、何だろう?おへそがなくなっていく過程の連続写真とか、何かしら表現のある写真なら面白みもありそうだけれど、ただの記念なら別にいいかなと私は思う。

人が撮るのは勝手だし、撮りたい人を批判するつもりは毛頭ない。もし誰かが写真を見せてくれたら、何のためらいもなく「かわいいね」と言うと思うし、幸せそうな写真を見たら普通に「素敵だね」と思うだろう。
でも、私は、自分の妙に血管の模様が目立つパンパンのお腹を撮ることには、あまり興味を感じない。

検診の度にくれるエコー写真も若干、持て余し気味だ。
先日、たまたま読んでいたプレママ向けのネット記事に「きれいにスキャンして撮っておきましょう」と書いてあって驚いた。
あれを子どものため、もしくは記念に長く保管しておこうという発想はなかった。
たしかに「これが自分の子」と思うと不思議だし、感慨深い。でも、冷静に見れば、何だかよく分からん白黒写真で、後に子どもがそれを見て嬉しいと思うのか、私にはちょっと謎だ。

昔のしきたりでは、へその緒を箱に入れてとっておくという習慣もあったようだけれど、それも正直、気持ち悪いと思ってしまう。ちょっとグロテスクというか。

そうやって記念に何かとっておこうとする習慣には抵抗があるけれど、この瞬間を残しておきたい、後々まで記憶にとどめたいという気持ちは分からないでもない。
今、とても貴重な時間を過ごしているという感覚は私にもある。
妊娠なんて珍しくも何ともない事象だけれど、自分の人生のなかでみればまず間違いなくハイライトだ。

ここに記録をつけ始めたのも、そう思ったから。
時間が経ったら、妊娠中に何を考えていたのか忘れてしまう気がして、今の気持ちを書き留めておこうかな、と考えたのだった。
それこそ、マタニティフォトの代わりだ。

「あの時、こんなこと考えてたのか」というのは、ふり返って読んだら面白いんじゃないかと思う。
中学生の頃の交換日記とか、数年前のスケジュール帳とか、小さい頃にやり取りしていた手紙とか、そういうものは今、見ても面白い。
若かった自分がリアルによみがえって、ちょっと痛くもあるけれど。

たぶん、私がありがちなマタニティフォトを撮りたくないのは過剰な自意識のせいだ。自分をカワイイと勘違いしてるヤツ、マタニティハイで周りが見えてないヤツ、流行に踊らされてるヤツになりたくないという。
よくよく考えれば、素直に思い出づくりを楽しまずに、「へん!マタニティフォトなんて!」という気持ちを書き留める方がよっぽど恥ずかしいような気もするが。
まだまだ私の心は思春期なのか。
そんな恥ずかしい代物を後で読み返して楽しもうなんて、自分はどんな変態なのか。

まあ、いずれにせよ、今、珍しい体験をしていることにはかわりない。
どんな形であれ、今を残しておくのは悪くはない、と信じたい。



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