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type3;行楽の秋

秋にまつわる短編連作マガジン『秋箱』の3編目です。

※絵は『Touno's soliloquy painting』の遠野さんから頂きました。ありがとうございました!

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 夏の残りの、最後のあがきみたいな暑さも過ぎて、近頃では昼間でも、さすがに何か羽織れる長袖がないと肌寒く感じることが多くなった。
 薄い色の空は高い。
 青を見て思い浮かんだのは、俺が大学2年になる春、3人で行ったあの場所の風景だった。
 そうしたらもう、どうにも、その場所のことが頭から離れなくて、翌日バイクを走らせることにした。詳細は伝えないけれど、少し遠出してくることだけ、アカネにもメールを入れておく。
 2年程前からつき合っているアカネは、どうしてだかわからないけれど、俺のことが大好きで大好きで仕方がないらしい。
 その気持ちは伝わってくるのだけれど、その割には、俺に対する執着が驚く程にない。
「え、アカネって俺のこと大好きだったよね?」と、確認したくなるくらい。
 気持ちは本当に、伝わって来てはいるのだけれど。変なカノジョだ。
 そんなカノジョだし、夜中は過ぎるかもしれないけれど日帰りだし、だからもしかしたら、別に連絡を入れる程のことでもなかったかもしれない。
 それでも真っ先にメールを入れたのは、これから向かうその場所が、元カノとの思い出の地である……という、小さな罪悪感みたいなものがあったからだろう。
《気をつけて。行ってらっしゃい!》
 相変わらず、絵文字どころか顔文字さえ使われていない簡素なメールを確認してから、目的地への道のりを確認するべく、俺はパソコンの前に向かった。

***

 出発は朝7時。
 教習で使われてて乗り慣れていたから、という理由だけで数年前に購入したCB400にまたがり出発した。
 ハナ……彼女と俺とは、同じ大学の、同じサークルの仲間だった。
 毎日のようにつるむようになっていた友人がハナを、彼女を、紹介してくれた。友人と彼女とは基礎ゼミが一緒だったとかで、仲のよい様子だった。
 ちっちゃくて、ほそい。
 可愛らしい外見をして、なんだかゆるい空気を身にまとっていて、そのくせファッションにもメイクにも拘りがあるらしく、なんというか、あまり隙がない。
 そして、よく酒を飲む。
 彼女と仲良くなるのにも、大して時間はかからなかった。
 友人と、友人の彼女と、俺と、彼女。
 夏休みは4人で、いろんなところに遊びに行った。結局彼女も同じサークルに入ることになって、学祭もハリキって出店を出して、人気投票で惜しくも2位を獲得し、クリスマスには4人でパーティーをしたし、初詣にも行った。
 そして、2年になる少し前の春休み、俺たちは3人で、少し離れた県にまで足を伸ばして、東京よりも少し早い花見を楽しんだ。
 その年の2月、友人はバレンタインにまさかの失恋をして、それからは、俺と友人と彼女と、3人で遊ぶことが増えていた。
 俺と彼女とがつき合うことになったのは、友人が失恋をした、まさにそのバレンタインの日だった。
 彼女とはつき合うことになるのだろうと、最初からなんとなく思ってはいた。
 俺からでなく、彼女からの告白だったのは少し意外だったけれど、断る理由なんてもちろんなかった。
 友人にそれを報告しようとして、逆に「フラレた」との爆弾発言をされて、2人して困ってしまったのを覚えている。……今から思えばあのとき、俺よりも断然、彼女の方が困惑していたのだろうけれど。

 首都高から別の高速に入って、いくつめかのサービスエリアで小休憩をとる。牛筋の味噌煮込みを買って、少し遅い朝食にした。ここのサービスエリアでは1年中、牛筋を煮込んでいるのだ。だからあまり、季節感は覚えない。
 友人と彼女と俺と、3人で花見に出かけた時も、この場所で休憩をとった。
 その時は車だったけれど、景色も並んでいる店も、今日と少しも変わらない。
 友人が失恋をして、それでも俺たちの仲がいいことも、つるむことも、変わらなかった。
 当然、彼女と2人で過ごす時間も増えたのだけれど、何か機会さえあれば、3人でいろいろなところにでかけた。
 あの花見の日も、今日みたいに、よく晴れた日だった。
 空の色は、もう少し強かったかもしれない。
 日差しももう少し明るかった気がするし、空気の匂いも違う。
 でも、よく似ている。

 煮込みの入っていたパックを捨てて、煙草を吸いたくなるけれど、コーヒーを飲むだけにしてガマンする。
 当時、俺はまだ煙草を吸ってはいなかった。喫煙者は友人の彼だけ。今俺が吸っているのと、同じ銘柄だ。
「……」
 少しだけ思い出して、それからまた、深くヘルメットをかぶって、バイクにまたがった。

***

 俺たちの関係性が変わったのは、3人で花見に行って、5月にはバーベキューに行って、テスト期間中、夏休みはどこに行こうかと話しているころだった。
 そうだ、一人暮らしをすることになった俺が、もう1つ、塾講師のアルバイトを始めることになったころだ。
 梅雨の、雨の日だ。
 駅前のいつも行く居酒屋で、俺と彼女とは別れることになった。情けないことに、そうなることを俺は予想すらできずにいた。
 理由を聞いても、何をしても、彼女は首を振るだけで、話らしい話もできなかった。
「もう、無理なの」と、彼女はそれだけを繰り返した。
 俺と彼女が別れてからはもう、3人でどこかに遊びに行く、ということはできなくなってしまった。
 友人と2人、しばらくは毎日のように飲み歩いて、テストの結果は、ギリギリ単位がもらえる程度のヒドイもので。
 夏休みに入ると塾のバイトも忙しくなったせいで、俺は、友人ともつるむことが少なくなっていた。

 ちなみに、このバイト先で出会ったのが、今のカノジョ。アカネだ。
 個別指導塾だったのだけれど、夏期講習で受け持つことになった。カノジョはまだ、高校1年生だった。
「犯罪だ」とかなんとか言う前に、相手にする気分さえおこらなかった。
 けれどアカネはしつこかった。
 担当講師は、生徒からの指名制で選ばれる。当然アカネは、俺を指名した。
 授業のたびに、帰りがけ、アカネは俺を好きだと言った。
 無表情ではないけれど、どこまでもクールな顔をして「私、じいさん先生のこと好きだからつき合おう」と言うのだ。
 ちなみに「じいさん」というのは俺のあだ名だ。姓の「ヒイラギ」から「ひーちゃん」になり、いつしか「じーちゃん」となったのだが、アカネは少しだけ丁寧に、「じいさん」と呼んでくれている。
……まぁ、なんでもいいのだけれど。
 どうしていいのかわからなかった。
 アカネがもし、もっと熱烈に、切羽詰まった様子で、縋るようにそれを言って来たのであれば、対策をとることもできた。
 例えば室長に相談するとか、迷惑だからと本気で拒否することとか。
 けれどカノジョのクールぶりは、「あーはいはい、ムリムリ」と手を降ってしまえば引っ込む程度で、だから本気なのかどうかさえ、俺はつかみかねていたのだ。
 生徒との恋愛は、学校の教師でなく塾の講師であっても当然、タブー中のタブーだ。
 だからその分、深刻であれば相談なり報告なりもするけれど、そうでないなら、室長に言ったところで面倒なだけだった。
 カノジョとの距離感を俺は、はかりかねていたのだ。

 失恋した、夏になってからあまり会わなくなった友人。
 俺をふった彼女。
 フラレた俺。
 俺に告白してくるカノジョ。
 講習のアレコレに紛れさせて、ちゃんと考えることもなく俺は、その夏を過ごした。
 いろいろ、考えとか気持ちとかを整理したかったのだけれど、その作業はとても面倒で、忙しさにかまけて、今はそんなヒマはないのだと逃げ続けた。

 そのツケがまわってきたのは、後期授業が始まった、その次の日だった。
 生徒の夏休みが終わり、けれど友人とは予定があわずあまり会えなかったから、後期が始まるのを俺は楽しみにしていたんだ。
 そんな時に、俺は知った。夏休み中、友人と俺の元カノとが、つき合い始めていたことを。

***

 2回目の休憩は、湖の近くのサービスエリアだ。ここも、そう、2年以上前のあの花見の日に立ち寄った場所だ。
 地元の名産らしい食い物をいくつかつまんで、やっぱり煙草を吸いたくなるけれど、今回もコーヒーでガマンした。
 ここのサービスエリアには、都内のいたるところに手を広げているコーヒーチェーンが入っていて、俺はそこの、クリームをたっぷりのせた甘いものをオーダーする。
 これは、もとは元カノの好みだったのだけれど、わけてもらったら美味しくて、自分が甘党だったことに気付いた、まさに思い出の一品だ。
 ここのサービスエリアからは大きな湖が見える。花見の地に選んだ、よく言えば穴場の、言ってみれば辺境のその地まで、ここから約1時間。
 3人でテンションだだ上がりで写真を撮ったのが、もう、2年半以上前だ。
 懐かしい気分になるのも当然だ。
 最後はコーヒーに混ぜ込んだクリームも残さず飲み込んで、俺は再びバイクにまたがった。
(あー……煙草吸いてーなぁー……)
 けれどまだ、ガマンだ。
 少しきつめにヘルメットを閉めて、エンジンをかけた。

***

 友人と、夏前に別れたばかりだったはずの元カノとがつき合っていることを知って、当然、俺は荒れた。
「荒れた」なんて言う程にはハデな変化はなかったはずだけれど、それでも、やはりショックは大きかった。
 友人も元彼女も、遠くから目が合っても、俺を避け、進路を変えてしまう。
 2人の方から俺に連絡が来ることはなかった。あいつらも気まずかったのだろう。別に、俺を嫌いになったわけではなかったようだし、ただきっと、どう俺と接していいのか、わからなかったのだ。
 でもそんなこと、俺が気を回してやる義理もない。
 俺はサークルに顔を出さなくなった。だって、いたたまれない気分でいっぱいだったのだ。
 2人とは特に会話をすることもなく、時は過ぎて行った。

 そうして秋が深まって来た頃、ついに、彼女から声をかけられた。授業終わりの時だ。
「少し、話したいんだけど、時間いいかな……?」
「……」
「イヤだ」とか「今日は忙しいから」とか、断ることはできたはずだった。
 実際、その日は塾講のバイトの入っている日で、本来であれば、授業が終わってすぐにバイト場へ向かわなければ遅刻してしまうくらいの時間だった。
 けれど俺はうなずくと、塾にはマヌケにも「腹が痛い」と電話をしていて、1コマ目の授業は振替にして、その日の出勤は2コマ目からに変更を願い出ていた。
 そうしてガラス張りのカフェテラスで、元彼女と話をした。
 彼女の話を聞きながら、俺はずっと、半分は上の空で外の景色を眺めていた。
 いや、眺めてすらいなかった。
 外はもうすっかり暗くて、中庭の芝生を照らす灯り以外、見えるものなんてなかったのだから。
 要は、彼女は元々、俺を好きなわけではなかったのだった。
 はじめから、俺の友人に好意を持っていて、けれど当時の彼にはつき合っている相手がいたから、せめてとばかりに友人として側にいて、そのうち、どうせ叶わないなら……と俺に声をかけたのだそうだ。
 彼女と初めて会って、そう経たないうちから、俺は「この女性と両想いになって、つき合うことになるだろう」と、そう思っていた。
 けれどそんなことを感じていたのは、どうやら、俺だけだったらしい。
 彼女の方には、そんな「一緒にいるのが自然」だなんて感覚は一切なくて、ただ、俺がたまたまた近くにいただけ。それだけだった。
 俺に対しても、情がないわけではなかったらしい。だから友人の彼が別れたその後も、そう簡単に俺と別れることもできずにいて。
 結局、その情の力をもってしても、俺たちが別れるという結果は変わらなかったのだけれど。
 夏休み、俺が参加できなかったサークルの飲み会で、2人はどうやら、そういうことになったらしかった。
 2人とも、俺のことが好きなのだそうだ。
 だから、俺には言えなかったのだ、と。
「……」
 俺のことが好きだ、と。
 友人目当てで近づいて、友人が別れれば結局そっちに傾いてしまう彼女。
 夏の間、俺がまだ彼女と別れたことを引きずっていると知っていて、それでも、彼女とつき合うことを選んだ友人。
 彼女の言葉には、少しの説得力を感じられるはずもなかった。

 結局、俺は彼女には何の言葉を返すこともできず、そのままバイト場へと退散した。
 最悪の気分で、おそらく、本当に少し顔色を悪くして辿り着いた俺を待っていたのがアカネだった。
 アカネは、その日が最後の授業の日だった。
 通っていた進学校を、退学することが決まったのだと言っていた。今はもう、塾に通ってまで勉強する気もないのだ、と。
 そうして最後の授業が終わって、帰り際にまた、彼女は言った。
 最後だよ、と前置きをして、けれどいつもと変わらない様子で。
「私、先生のこと好きなの。もうさ、いいからつき合おうよ」
 ……この日俺が、元彼女からあんな話を聞いていなければ。
 アカネが、塾を辞めるのでなければ。
 でなければ俺は、首を縦には振らなかったはずだ。
 けれどこの日、俺はとにかくまいってしまっていて、彼女とはもう「生徒と先生」ではなくなることがわかっていて、俺が大学2年で彼女がまだ高校1年生であろうと、なんだかもう、どうでもいいような気がしていたのだ。
「あぁ、よかった」
 あまり大きくは表情を動かさないアカネがこの時、最後なのにどうしようかと思ってたよ、と言いながら、顔いっぱいに笑顔を浮かべていたのを覚えている。
 正直、この日はそんなアカネの顔を見ても、何も感じなかったのだけれど。
 頭のいい彼女だ。
 俺がこの日、いろいろちゃんとモノを考えられない状況だったことも、アカネのそんな笑顔を「別に」としか感じられていなかったことも、アカネはわかっていた。
 つき合いだして1年が経った頃、「正直、つけ込むのにモッテコイだと思った」と笑顔で俺に謝りながら、付き合いだしさえすれば、ちゃんと会って話ができる機会さえつくれれば、それから後のことは、時間をかけてやっていけばいいだけのことだから、と。この日、アカネは思っていたらしい。
「とりあえず付き合っちゃえばこっちのもんかなぁと思って」と、そんな言葉でコーティングして。
 結果から言えば、あの日のアカネの行動と頭の回転のよさと思い切りのよさ、のようなものに、俺は頭が上がらない。
 アカネには本当に、感謝しているのだ。

***

 高速を降りて、下道を少し走ってから、すぐに国道へ。あとはただ、進むだけ。
 国道をひたすらまっすぐに走って、1時間ほど経った頃。
 少し前、近くの温泉町と合併をした小さな地区に辿り着いた。
 あまり人気のない駐車場にバイクを止めて。俺は歩き出した。

 国道は、2年半前は村だったこの地区の中央を走っている。その道をしばらくは、ただまっすぐに歩く。
(あと少し)
 10分ほど歩いてから小道に入る。そこは緩やかな坂道になっていて、道なりに下って行くと、今はもう使われていない小学校が見えてくる。
 その小学校の、裏側。少し開けた草原の、その場所。
(__あった)
 2年半前とは、随分違った景色だと思った。
 季節が違うのだから、当然なのだけれど。
 青々と茂っていた草は、細く、冷たく風に揺れていて、満開のピンクを散らせていたはずの桜は、今はわずかに、茶色の葉を残しているだけだ。
 道沿いに1カ所だけ設置されていたあの自販機で、温かいコーヒーでも買ってくればよかった。
 思いながら腰を下ろすと、俺はやっと、煙草に火をつけた。
 まるで違う場所になってしまったかのような景色を眺めながら煙を吐き出していると、白くのぼっていく匂いがやっと、あの時の、あの桜の景色を、思い出させてくれた。

 始まりが最低なものでも、なんでも。
 もう2年、アカネとは付き合いが続いていて、そのことを俺は、とても幸運なことだと思っている。
 そしてこれからも、少なくともアカネが愛想を尽かすまで俺は、その幸運を手放す気はない。

 どうしてこの場所を昨日、あんなに懐かしく感じたのか、わからない。
 いや……今でも懐かしい気持ちはそのまま、あるのだけれど、でも、それだけだった。
 懐かしいだけだ。
 もう、昔の話だ。
(きっと、秋だからだろうな)
 涼しくなって、なんだかいろいろなコトを思い出すにはちょうどいい季節で、それに、久しぶりにバイクにも乗りたかったから。
 行楽の秋だ。そりゃ遠出だってしたくなる。

 来年からは俺も、ついに「学生」ではなくなって、もしかしたらもうこうやって、思いつくままにぶらっと出かけるなんて、できなくなっているかもしれない。
 わからないけれど、大学生活最後の行楽の旅には、たしかに、この場所はふさわしいような気がした。
 短くなった煙草を消そうと、ふと、顔を上げた瞬間、強いピンク色が目の前をかすめた。
(……桜?)
 ひとつ、ふたつと漂ってくる花びらの元を辿れば、あの桜の木の、その少し向こうに、小さなコスモス畑が見えた。
 そりゃそうだ。桜はもう、季節をとっくに過ぎたのだ。
 今度こそ煙草の火を消して立ち上がる。腰掛けていた草むらは少し湿り気を帯びていたようで、ケツのところが冷たい。

 道が混んでさえいなければ、アカネに会えるくらいの時間には帰れるだろう。
 帰って、とりあえず、アカネの顔でも拝んでおこう。

 ケツの部分の冷たさに苦笑しながら、携帯の灰皿に煙草を押し込んで、俺は歩き出した。
(……「帰るまでが遠足」だったよな)
 桜の季節はもう過ぎたけれど、アカネの元に帰るまで、あともう少しの間は、この懐かしい遠出を満喫しようと思う。
 行楽の秋の終わりまで、あと、もう少しだけ。

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