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書く行為は全然楽しくない

noteを連続で書き始めて3日目になった。
時々「note書いてるけど、文章書くことは好きなの?」と聞かれることがあるけど、文章を書く行為は全然楽しくない。だけど書いている。
いやむしろ「書く行為それ自体は楽しいことではない」なんなら「表現する行為それ自体は楽しい行為ではない」と最近気付いたからこそ、面倒くさいけど書くようにしている。

これまで「自分に合っている表現方法は何だろうか?」という問いを立てて、楽しいと思えるものはないか色んなものを試してみた。
写真を撮ったり、動画を編集したり、絵を描いたり、マンガを描いたり、ピアノを弾いてみたり…etc 色々してみたが、どの手法もしっくりこなかった。

そして最近、斎藤孝さんの『書ける人だけが手にするもの』という本にこんなことが書いてあった。

「書く」と「話す」はまったく別の能力と思われがちですが、実はひとつながりの能力です。
人に「話す」ことができれば、ほぼ「書く」ことができるのです。

『書ける人だけが手にするもの』

書く行為は1つの表現手法と捉え「書くことが好きなひとが文章を書いている」と思い込んでいたが、話す行為自体に苦手も好きもなく何の感情も抱かず自分が自分自身のことを話す(表現する)ように、書くという行為自体には快楽も何もないのかもしれないと思ったのだ。

書くことが好きだと思っているひとは、書いた文章を褒められたことがあったり、文章に対して良い反応をもらえたことが嬉しくて、好きになったと言っているだけであり、書く行為それ自体には何も感じていない。むしろ書いている最中は辛かったりする。

それは絵を描くことも、動画を編集することも同じだろう。その行為自体に快楽はない。もちろん得意不得意はあると思うが、面倒なのは変わらないんじゃないだろうか。

つまり「自分に合っている表現方法は何だろうか?」という問いを立て、無意識に「これをやってたら楽しいというものが、自分に合った表現手法である」と思い込んでいたのだが、その思い込みが間違っていたのだ。
表現行為それ自体に楽しいも快楽もない、ただ粛々とコトに向かうものなのだ。

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