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【桜のある景色① -桜下で幸せを舞う-】

小学校低学年の春休み、山口県の祖父母宅に帰省していた時。
スーパーからの帰り道、祖母に手を引かれて川沿いの桜並木を歩いていると不意に桜を見上げて祖母が立ち止まり、

「やっちゃん。良いことを教えてあげる。
 舞い降りてくる桜の花びらを、地面に落ちるまでの間に連続して5枚取ってごらん。
 その年はきっと、良いことが沢山あるよ。」

そう言われて桜を見上げ、

「ホント?」

目を輝かせ、桜の舞う中を花びら相手に、

「はっ・・・ほっ・・・やっ!」

一生懸命に挑戦した。桜の花はわずかな空気の揺れも繊細にとらえるからその動きは複雑でなかなか捕まえることはできない。取った!と思っても実は小さな手の平からこぼれ落ちていて気付くと既に地面へ落ちている。5枚連続で捕まえることなどなかなか叶いそうにない。穏やかな春の陽ざしを浴びながら桜の下で私は踊るように花びらを追いかけ、惜しい!どうだ!取ったか!ダメだっ!悔しい!祖母は私のその姿を見て笑った。東京と山口。遠く離れてなかなか会えない幼い孫が桜の花びらに翻弄される姿は可愛らしかっただろうから随分と長い間祖母は私にその遊びを続けさせたが、私の方ではあまりに取れないものだからだんだんイライラを溜め込んでしまい

「もう!そんなに笑うならおばあちゃん、やって見せてよ!」

言い出して、今度は祖母が買い物袋を置いて桜の花びらを取り始める。
大人でも花びらを空中で器用に取るのは難しい。クルッ、クルッ。空中で予測できない方へ向きを変える可憐な花はまだ若かった祖母をかなりてこずらせ、はたから見るとそれはまるで不器用な日舞を踊っているようだ。

「なんだ!おばあちゃんだって取れないじゃん!」

プンプンと腹を立て怒り口調で言いながら私も隣りで楽しく花びらの空中採取に頑張った。
祖母と孫が二人そろって川沿いの土手に咲く桜の下で花びら相手にかなり不器用な日舞を踊っているのだから、はたから見たら「なんだありゃ?」と思う光景だったろう。結局のところ、かなりの時間頑張って二人でやっと5枚の花びらを捕まえた気がする。「連続5枚」なんて神業に近い。

「今年は、良いことがきっとたくさん来るよ!」

呼吸を乱して顔を紅潮させた祖母から笑顔で5枚の花びらを渡され、この幸せを逃すまいと本に挟んで大切に東京へ持って帰ってきた。

このことをきっかけに、毎年ではないが、私は周りをよーく確認した上で、誰もいなければ桜の花びらを5枚取ることを試みている。私には家の近くに好きな桜があって毎年明け方その桜の下に出かけていく。
朝まだき、ひとり桜の下に立つ。
桜の花びらを、50になる「お茶の水博士」みたいなおじさんが必死に汗を流して追いかけ回す姿を見られるのはとんでもなく恥ずかしいから人が見ている前では絶対にやらない。「そこで何をしているんだ!」と警官に職務質問を受けた時、「今年一年が幸せになるかどうか占うためです」という答えは、船橋警察署に連行されるかされないかギリギリのラインだ。

「はっ!ほっ!・・・だっ!・・・どうだ!!」

一年前。2020年。
緊急事態宣言下の春も私はそっと挑戦して5枚の花びらを取った。
2020年は、私にとって良いことも悪いこともあった年だったが、悪いことの方が多いような年だったと思う。大人になれば、「良いことが沢山あるよ」という祖母の教えをそのまま鵜吞みにすることなどできはしない。これまでに経験してきたどんな一年を思い出してみても、それは良いこともあれば悪いこともあった一年だ。良いことだけしかなかった一年など存在しない。だからこそ、これからの一年がどんな一年になるにせよ、決まって春に花を咲かせる桜の下に立つときは必ず、前向きな気持ちでいたいと思っている。少しでも良いことがある年にしたい。私の一年はここから始まる。最初が肝心なのだ。
桜の散華に立ち、舞い落ちる花びらを取る楽しさが私の一年の幸せに結びつく。桜咲く幸せを楽しい遊びに結び付けてくれた祖母には感謝しかない。


2021年も、世の中は厳しい状況が続く見通しだ。
ワクチンが普及し始めているからコロナの終息にはあともう少しという気もするが、これまでがこれまでだけに楽観はしにくい。
ただ、

「悪い状況でも、きっと良いことは沢山あるよ」

と思いたい。

今年も私は、お気に入りの桜でそっと5枚の花びらを取ることに挑戦するだろう。

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