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どうしてもあそび家がほしかった理由

3月にやっていたあそび家くまくまを再び開くことができました。初日から緊急地震速報がなるというハプニングがありましたが、初日から子どもさんたちが「また来たい!」とニコニコしながら帰ってくれてよかったです。

「また来たい!」という声があったのも再開の理由です。が、実は個人的にこれは一番やってみたいことでした。

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成績の見込みによる差別や、全生徒の前で謝罪を強いていた自分の高校では、安心して学べる場がないと「自習室難民」という言葉がありました。友人は毎日トイレで「死にたい」と泣いていました。ちょうど3年前にこのような思いを子どもさんにしてほしくないと、活動をはじめました。

(書けば長くなるので詳しくはこっち👇)

これまでは主に子ども食堂や学習支援での活動を主にしていました。
子どもさんとは交流を通じて、まずは人の温かみやつながる楽しさを知ってもらうこと。そのきっかけとして食をともにする機会。そうして安心できるつながりをつくった上で学習や生活・進路などといった相談を受けていました。所属していたLinksなどの団体や、一緒に活動しているサポーターさん(にほとんど教えてもらった)、周りの団体さんからはかなりの理解をいただいて活動していました。


しかし学習支援ということもあり「ちゃんと勉強させろ」など理解いただけない場面もいくつかありました。所属している各団体や龍谷大の方は、私がゲームを持ち運びしているところをみた人は多いと思います。そんなゲームも「使わないで」と言われることがあります。子どもさんにも、大人にも、気分とか、今必要としていることって、それぞれ変わるんですよ。だから向き合っているのに、必要なことができない..という場面もいくつかありました。

スーパーに行っても今でも多くの生徒さんが自習しています。
いろいろモヤモヤしていた時に、安倍首相による学校の休校要請を迎えました。その時に熊川さんとあそび家をつくりました。

開いてみたら、「スマホはあかん」って言ってた人が、大人をおもしろおかしく写真にとって大笑いしています。子どもさんは、静かに自習したい時は、自習しています。それが終わったら、折り紙をしたい子は折り紙が得意なおじさんに、おじさんがつくった川柳やかるたが気になる子は、そのおじさんと。僕はLL教室でおなじみのサポーターと、1年生の子と、楽しくカルタをしていました。子どもさん一緒で、いつもおなじみのメンバーとのカルタはとても楽しかったです。さらには「公園へ遠足いこう!」ってなって、公園で鬼ごっこしてました。子どもチームと大人チームで別れたら、間の中学生が「私たちは子どもでしょー」「ボクコーヒーのめるから大人」とうまく立場を変えていきます。

それをみた時に、「あ、自分がやりたかったことってコレだ!」って思ったんです。
子どもも、大人も、その時にしたいことができる。一人でもできるし、一緒にしたいなら仲間をゆるゆると募ることができる。いろんな年齢の人がいるから、いつもと違ったことができるし、ごまかしもきく(笑)
来る来ないはもちろん、中でもほとんど制約がない。でもみんながそれぞれで、今やりたいことで、いろんな文化やコミュニティをつくってくれる。
そんな「地域のたまり場」を、緊急事態宣言が終わったら絶対やろうって思っていました。


4月に入り、大学など学校でのクラスターが明るみになると、3月からやってた活動は次第に批判されるようになりました。子ども食堂でも学習教室でもない、ふわっとした地域のたまり場。なかなか理解いただけない場面も多かったです。
それでも最後まで、一緒に場をつくってくれた人、協力してくれた人、応援してくれた人には本当に感謝しかありません。27日の終わりに会場の西覚寺さんの坊森さんが「今日はたくさんの人がにぎやかにしてくれて楽しかったですね。」と阿弥陀さんに御礼してくださったとき、私は涙が出そうでした。(泣かんかったで)

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27日は10名の子どもさんと、10名ほどの大人の方に来ていただきました。
のびのび、宿題できたり、外で遊べたりして楽しかったです。
くまさんのパンもおいしかったなー!
最後、子どもたちはお寺の鐘の台(「鐘楼」っていうらしい)に登って「帰りたくない」と降りてきませんでした。みんなが楽しそうに鐘楼に登っているところをみて、やっぱりやってよかったなって思っています。

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それぞれの「いろ」が輝く、そんな場になっていきますように!

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