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Keep The Faith, You Have No Time To Laugh

昨年の初め、お誘いを受けて『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』なるドキュメンタリー映画を観に行った。俳優のマイケル・ケインがナビゲーターとなり、60年代中盤のスウィンギングロンドン華やかなりし頃の英国ポップカルチャーを振り返るという趣旨の作品である。

そこで描かれた内容はこの時代のファンである私にとって特に目新しいものはなかった。いっぽうで、その文化を形作った若者より少し年嵩にあたるケインが振り返るそれ以前の英国文化の方は非常に興味深いものであった。

曰く、少年時代にデヴィッド・リーン監督の『逢びき』が話題になって観に行ったが、アクセントが違いすぎて肝心な場面の台詞が聞き取れなかった。曰く、「怒れる若者たち」ムーブメントで出てきた数々の映画におけるリチャード・ハリスの台詞は訓練を受けたキングズ・イングリッシュに近く、描かれている労働者の境遇とはミスマッチであった、と。そして、そのケインが違和感を抱いたような映画のコラージュの中、最も私の目を引いたのが1915年生まれの俳優デヴィッド・ニーヴンの姿であった。

デヴィッド・ニーヴン。口髭を生やしいつどこでもタキシードが似合い、ベストのポケットに懐中時計を忍ばせた英国紳士。『80日間世界一周』では気球の上でシャンペンで乾杯し、『悲しみよこんにちは』では年頃の娘を困惑させる初老のプレイボーイ、『ピンクの豹』第1作目の主演俳優にして番外編007『カジノ・ロワイヤル』ではジェームズ・ボンドその人を演じた粋の化身。ユーモアというよりは今や死語となったウィットという言葉の体現者。

マイケル・ケインは彼の名前を出すことこそしなかったが、私はニーヴンの顔が映った瞬間、ケインがなぜあんな共感性に欠ける冷たいキャラクターをひたすら演じ続けてきたのかはっきり理解したし、一回りは年下のはずのモッズがケインを一種のアイコンとしたのかがよく分かった。彼らは、階級闘争をしていたのだ。

ケインやモッズの少年少女にしてみれば、ニーヴンや喜劇俳優の同輩アレック・ギネスは単なる解らずやの大人ではなかった。単なる解らずやの大人とは、「レディ・ステディ・ゴー」にザ・フーが出演しフィードバック奏法をやった時にテレビが壊れたんじゃないかと慌てて電話を入れるような親たちのことであり、そういう手合いは笑っておけばいいのである。しかしニーヴンやギネスたちは自分たちの時として理解のできないような言葉で笑いを取っていた連中だ。しかも明確に社会の、上の階級を相手にして。

そんな奴らは許しておくわけにはいかないし、音楽シーンで似たような媚びた笑いを取っているサウンズ・インコーポレイテッドやフレディ&ザ・ドリーマーズも同罪。しかしいくらベスパや三ツ留めスーツで武装し、週末にはそれぞれの町のクラブで踊り狂っても、彼らにはニーヴンやギネスの世代が築き上げたブリティッシュ・ユーモアに対抗する術がなかった。なので彼らは、取り敢えず黙ることにした。だから私は当時のモッズと言われたバンド、ピート・タウンゼントの楽器破壊やムスッとしたスティーヴ・マリオットの叩きつけるようなプレイを見るにつけ、彼らは若気の至りではなく好んでそうしていたように見える。笑わないその瞬間だけ彼らは自分を縛る社会や国家、そして上の世代から切り離された存在でいられた。それはのちにロックと呼ばれる音楽が、初めて階級闘争という概念を取り入れた瞬間でもあった。

だがそんな先鋭的に過ぎるムーヴメントは長く続く訳もなく、マイケル・ケインはその冷たい個性を生かしてハリウッドで軍人役を多く演じるようになり(映画内で60's末期への言及が少ない気がしたのはそのせいだ)、モッズはより「物分かりがよく」、既存の大資本との親和性も高い若者の反抗形態であるフラワームーヴメントにお株を奪われて衰退していく。誰が悪いということでもなく、なるべくしてなったのだろう。だから私はケインの「スウィンギン時代」最後の傑作『アルフィー』のあのラストシーン、あの寂しげな後ろ姿にモッズに青春を燃やした無名の少年少女たちを重ね合わせてしまう。中産階級のヒッピーのように自分たちの文化を語る言葉を持たず、そもそも自分たちが何と闘っているのさえよく解らないまま刀折れ矢尽き、散っていったモッズたちの。

私自身はニーヴンやギネスに007、バート・バカラック側の文化に育てられた人間だ。あくまで上品なユーモアで、澄まして、礼儀正しく。ケインの『国際諜報局』の冷たさやどこか野卑な感じには馴染めなかったし、そもそも突き上げられる側なのだからこれからモッズ的な何かの真似をすることもないだろう。だがそうやって自分たちの分析などと小賢しい真似をすることのないまま、僅か2〜3年で燃え尽きた文化に対しては純粋に敬意を禁じ得ないし、滅びの美学という点で何年か後のアメリカン・ニューシネマに決して引けを取らないのではないか。ニューシネマは個々にすぐれた作品はあっても結局、商業化しすぎてグダグダに終わったのだから。

だから私はもし今、遠く離れた地で彼らのお鉢を継ごうとする人々がいるなら、誠におせっかいだとは思うが、年齢も階級も問わない代わりにせめて笑わないでほしいのだ。笑うことは彼らが感じていた「何か」に対する阿諛追従への一歩、怒れる個人ではなく馴れ合いの共同体に堕する為の一歩だったはずなのだから。

それが「オリジナル」の少年少女たちに対する唯一の敬意の表し方だと思う。

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