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『ラストムービー』について

『勇気ある追跡』('69)という映画がある。

主演がジョン・ウェインとグレン・キャンベルで監督がヘンリー・ハサウェイ、当時流行のマカロニ・ウェスタンに背を向けた長閑なオールド・ハリウッド西部劇である(コーエン兄弟によって『トゥルー・グリット』としてひどく殺伐としたリメイクも作られたが)。

そこに脇で出演しているのがデニス・ホッパーだ。何かの盗賊だったということくらいしか覚えていないが、今英語版Wikipediaで確認したらチンケな悪党というだけでなく、ウェインに拷問されて殺される役だったらしい。あんまりである。しかし映画史に通じた人ならちょっと意外に思うはずだ。

なぜなら、1969年というのはカウンターカルチャー全盛期であり、その最高峰を飾った『イージー・ライダー』で監督・主演を務めたのが紛れもなくそのホッパーだからだ。ちなみに公開時期はほぼ一緒である(1ヶ月差くらい)。

長年そのことがなんとなく心の隅に引っかかっていたのだが、今日同じくホッパー監督・主演作『ラストムービー』('71)を観て確信した。チョッパーバイクに乗ったカウンターカルチャーの英雄ではなく、5分くらいの出番で殺されてしまうチンケな悪党こそ彼の本質であり、本人もどこかでそれを望んでいたんだと。

『イージー・ライダー』の世界的成功から作られた『ラストムービー』は基本的には駄作である。『イージー・ライダー』からロック音楽のPV的要素を全部抜いて、ダラダラした締まりのない会話だけ付け足したというと分かりやすいかもしれない。だけどどことなく人を安心させるところがあって、しかもそれが自己憐憫を大いに伴っているという点があまりにニューシネマ的なのである。

劇中でホッパーが演じていたのはサミュエル・フラー監督の西部劇ロケのためにペルーにやってくるスタントマンである。彼は映画の撮影が終わった後も何となくロケ地の村に居残り、村人たちが演じる「撮影ごっこ」に付き合い続ける。

山間の村で演じられるその「撮影ごっこ」の異様さがこの支離滅裂な作品の(おそらく唯一の)見所なのだが、これは見方によってはハリウッドで西部劇のスターになることを諦め、彼の感覚からすれば「ニセモノ」のB級映画の世界で生きていくことの決意表明ともいえる。

耳を疑うだろうがホッパーはジョン・ウェインのような「真っ当な俳優」としてハリウッドに受け入れられたかったのだ。おそらく本気で。本当にハリウッドに砂をかける気なら『エルダー兄弟』('65)で一度は絶縁したヘンリー・ハサウェイ監督に詫びを入れチンケな悪党役にカムバックするわけがない。だが時代的にもパーソナリティ的にも、自分にはウェインになることは不可能だということにどこかで気付いていた。

彼はおそらく、『イージー〜』の大成功にもかかわらず、というかその程度では自分が一度はハリウッドを放逐されたヒッピー紛いの男という扱いを出ることがないことを知ってしまった。所詮はウェインに撃ち殺されるチンケな悪党のままだということを。なので、会社に期待された『イージー〜』の二番煎じを撮ろうと思えば撮れたが、そういうイメージで「世間」に受け入れられるのはまったく望むところではなかったので、自己破壊の手段として予算とフィルムを浪費した末もうあと20年はメジャー会社から声がかからない程度の念入りさで全部ぶち壊してしまった。

そこがもう1人のライダー、ピーター・フォンダと違うところだ。彼は有名芸能人の二世であり、あらかじめショービジネスの道筋が用意され、ビートルズやバーズとの交流を楽しみ、二世仲間のナンシー・シナトラと一緒にお仕着せのバイク野郎像を受け入れ、ニューシネマの「看板」として『イージー〜』のあともアウトロー像を模倣し続けた。生まれながらに承認欲求が満たされることが決定していたからこそだ。

ホッパーは違う。中西部のカンザスから身一つで出てきたカウボーイで、後半生のイメージからは想像できないほど保守的な青年である。なので彼がハリウッドやその象徴としての大スター・ウェイン、また何度も衝突したハサウェイ監督に父親としての愛情と承認を求め続けた。そして、それが思い通りの形で得られないことに気付いた瞬間に全て「投げて」しまった。

しかしそれはある種とても誠実な生き方ではないだろうか。彼は映画会社やヒッピー像を欲しがる世間の期待は裏切ったかもしれないが、10代で出逢って薫陶を受けたジェームズ・ディーンは裏切らなかった。彼が演じ続けた父親の愛に飢える青年、また若死による落伍者としてのイメージを礼儀正しくその後の人生で模倣し続けた。チンケな悪党であることに忠誠を誓うかの如く。皮肉なことに彼が仰ぎ続けた「父親」の方はその後程なくして臨終を迎えることになるのだが。

だから『ラストムービー』はとてつもなく金のかかった、自己言及的で、だけどどこか安堵の地を見つけ出したような緩さを感じる映画である。こんな映画が一瞬でも公開されたこと自体、内省を極めたニューシネマ時代の奇跡といって言えるだろう。


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