おぼえがき

『パリの灯は遠く』という映画を観た。
第二次大戦中、ユダヤ人から買い叩いた美術品で荒稼ぎしていた古美術商がひょんなことから同姓同名のユダヤ人と間違われ、身の潔白を証明しようと奔走するうちにアイデンティティ・クライシスに陥る……という物語なのだが、その中に非常に印象的なシーンがある。
家宅捜索に来た警察を横目に、アラン・ドロン演じる主人公は音符のみが記された楽譜を見つけ、ピアノで弾いてみせる。こともあろうにその旋律は「インターナショナル」だったのだが、何をしているんだ!と慌てて止めに入る友人をドロンはぽかんと見つめる。

だってこれはただのメロディじゃないか、人種にも国籍にも自信を持てなくなった自分が何者か分からなくなったように、白線の上の音符に後から意味を付与するのは社会であり人間ではないか、と。
秀逸なシーンだと思う。

人間、生きていれば人種・国籍・ジェンダー・階層・職業・渡世の義理などで雁字搦めになるのが普通で、意味の付与される前の音符であっても純粋に接するのは事実上不可能だ。ただ、付与された後の音楽であっても、それを尊重しながら極力剥ぎ取るということはできるかもしれない。
たとえばあなたが演奏家だったら、気の置けない仲間と同じキーでひたすら曲を回してみるとか、だ。ローリング・ストーンズも長渕剛もディジー・ガレスピーも荒城の月もビリー・アイリッシュも君が代も、同じGというコードの地平線上にひたすら並べてみる。5分や10分じゃダメ、2時間でも3時間でもひたすらやる。酒の力を借りてでもやる。その無限回廊から見えるものは案外、ドロンの見たものより興味深いかもわからない。

ということで、我々はこの上なく非生産的なようでいて、なかなか悪くないことをやっていると思うよ、同志。

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