『奇跡の人ヘレン・ケラー自伝』 著ヘレン・ケラー

ヘレンケラーと言えば小学生や中学生など義務教育期間に学んだ人も多いだろう。小学館や集英社が出版している漫画シリーズの中で奇跡の人と書かれ、三重苦を患いながら、生きる姿はどこか私たちの心に響くものがあるのではないか。その反面、自然に対しての寵愛や人生の舵取りを自分で行い、未来を切り拓いた姿から、どこか私たちとはかけ離れた孤高の存在と感じ、距離や隔たりを感じてしまう人も多いだろう。実際に彼女の生き様だけでなく、ストーリーに出てくる彼女の家庭はかなり裕福であるはずだ。数多くの文学者や偉人と出会うその人脈そのものは彼女を取り巻く環境を顕著に示しているのではないか。しかし、それはあくまで環境であり、活用するのも、捨てて悲壮に暮れるのも自分である。ヘレン・ケラーは自分の運命を受け入れ、世界を自分の手で拓くことを決断した。まずはそこへの素晴らしさ、美しさというものを理解することがスタート地点である。

1880年6月27日に生まれた元気な少女、ヘレン・アダムズ・ケラー。名前は父と母で意見を出し合い母の意見で付けることになったが、父が牧師に間違えた氏名を伝えたことでこの名前になったと言われている。生後6ヶ月で「How d’ye?(こんにちは)」発音し、周囲の大人を驚かせる程の成長だった。しかし、一歳の頃、熱病を患い、三重苦になる。しかし、彼女の好奇心や情熱は心に宿ったまま育っていく。サリバン先生やアナグノス校長など沢山の大人の教示を受け、自分の人生に光を注いでいく。指話や点字など既存の意思伝達方法や聴者の唇の動きから音を推測する、さらには発音を行うという幅広い伝達手段を取得した。また、自然、歴史、文学など幅広いものに興味を示した彼女は知的好奇心の追求に精を出した。語学は英語、フランス語、ドイツ語に堪能で、ギリシア語、ラテン語を読みこなす能力を身に付けた。ハーバード大学の女子部であったラドクリフに入学し、試験方法や講義のやり方など様々な困難に直面するも、乗り越えてきた。これは彼女が心に向き合い、言葉を綴った、素敵で偉大な自伝である。

感想
生きるとは何かと少し深い部分について考えさせられる本であった。実際に私は目で見て、音で聞き、言葉で相手に意思を伝える。これは私にとっては当たり前のことであり、不思議なことではない。しかし、視界、聴覚、発言が失われたとしたらどうなるだろうか。正直、不安で人生を悲観するだろう。何もかもが怖いし、辛いし、どうしていいかわからない孤独感に苛まれると思う。それは今、健常者として生きている方も同じなのではないだろうか。しかし、それは生きることとは少し違う気がする。ヘレンがそうだったように一番大切なのは心が動かされること、心に向き合うこと、考えること、学ぶことに本質があるように思える。彼女が大学に入学した時に詰め込まれる学びに悲痛を感じたように、もっと自分の頭と心をフル回転させて生きることが自己の充足感や社会への貢献というものに繋がっていくのではないか。最後に私の心に刺さった言葉を紹介して結びたいと思う。

・愛情とは愛にふれるの言葉や行為に接し、人と心が結ばれて初めて芽生えるもの。p24

・知識は愛であり、光であり、未来を見通す力なのだp30

・大学の門をくぐると人は最も大切な楽しみー孤独、読書、想像に遊ぶ時間ーを風に吹かれるマツの木とともに、外へ置いてこなくてはならない。しかし、私には先のことなどどうでもいい。今この時の喜びを味わいたい。p135

・真の知識を手に入れたい人は誰でも、険しい山を1人で登らなければならないものだ。私は自分なりにジグザグに何度も足を滑らせては後退し、転び、立ち止まる。それでも気を取り直し、意気高らかに進むのだ。p137

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