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こどもの頃は我が家がきらいだった

私は物心ついた頃から自分の家が嫌いだった。

学校が好きだった。

勉強もどちらかというと好きだった。

できるだけ家にいる時間が少ないように

小学校の時は鼓笛隊に入ったり合唱団に入ったりスポーツ少年団に入ったり習い事に行ったり

小学生のくせに忙しい日々。

なぜ私は家にいたくなかったんだろう。

家は居心地のいい場所、くつろげる場所、

そんな場所であったはずなのに・・・

そんな場所であるべきものなのに・・・

まだ小学生の私はなぜ家を嫌っていたのか。



私は2歳差の妹と両親と4人暮らしだった。

父はサラリーマン。

母は内職をしていた。

だから学校から帰ると母は必ず「おかえり」と言ってくれる存在だった。

母親の事は好きだった。

父親の事はずっと苦手だった。

嫌いという程ではないけれど父親の性格は苦手だった。

怒られたり手をあげられたりした(←今でいう虐待だな)のは母だけ。

それでも母は好き、父は苦手な存在だった。


父と母はずっと仲が悪く、いつもけんかばかりしてきた。

真剣な話、「ふつうの会話」を見たのも数えるほどしか記憶にない。

本当に本当に仲が悪かった。

けんかの内容で一番つらかったのは子どもが原因でのけんか。

母が私や妹を叱っていると父が母を怒る。

母は少々・・・いやかなりヒステリックなところがある。

だからそれを見て許せない父がかなりの勢いで母を怒る。

それでけんかになる。

ひどいときは父は家を出ていこうとした。

私は大泣きしながら引きとめた。

「おとうさん、好きだから行かないでぇ」って。

苦手な父に対してそう引きとめたことが何回かある。

あんな家庭環境でよくグレなかったな。(←死語?!)←いやこれもナシ?

とにかく家を早く出ていきたくて、中学生の頃から早く高校を卒業したかった。

高校生でのアルバイトは民宿の住み込みのバイト。

毎週末住み込み、年末年始も住み込みのバイト。

楽しかった。

家族とお正月を過ごすよりもバイトの仲間と過ごすことが何倍も楽しく幸せに感じた。

長野県の田舎の高校を卒業してからは、都会デビューをすっ飛ばしてアメリカへ。短大を卒業した。

経済的な支援はもちろん父頼み。

だから父親は苦手だけど感謝はしている。

でも性格はいまだに合わないと感じている。

とにかく私が小中高校生の時は家が嫌いで

家が好きな友達、家族が好きな友達はとてもうらやましかった。

私は40代だが、母親とは10年以上会っていない。

そのいきさつも次回つづっていこうと思う。

最後まで読んでくれてありがとう。

是非また読みに来てください。




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