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百年文庫56 祈


祈というテーマにこめられた「切実さ」を感じさせる作品たち。状況はどれも三者三様に切羽詰まったものがあるのに、読後感は不思議と明るい。直接的に祈る描写が主軸にはなっておらず、思索と祈りの中間みたいな作品たち。

春雪/久生十蘭

盟友の娘の婚礼に出席した池田は、人生の花盛りを知らずに夭折した姪・柚子を思うと無念でならない。しかし、生前の柚子には叔父に隠し通したある秘密があった。

柚子の秘密が紐解かれていくにつれて、隠されていた悲しみや裏切られた気持ちというよりやり切った清々しさを感じる。亡くなってしまっているので、やりきっておいてくれてよかったなという気持ちを感じるのかも。
改宗の儀式がもとで亡くなってしまう因果関係は妙に心に残る。「本来そうであった形で周りと歩調を合わせていればもっと生きられたのに」と「短い生でもやりたいことをやりきって生きる」とどちらが幸せかという問いはたびたび見かけるけれど、結婚することと水浴びにより肺炎を拗らせることに因果関係はあれど直接的な繋がりがないので納得しきれないところがあるのだと思う。

城の人々/チャペック

辛く惨めなお屋敷勤めを「明日こそ!」飛び出してやろう、と夢見る住み込みの家庭教師オルガ。

理想を抱きすぎて空回り、みずからの置かれる状況をさらに苦しいものにしてしまうオルガからは若者らしい青さとそれゆえの滑稽さが滲んでいるが、自分にもそういうところが全くないかと聞かれればそうも言い切れないので一概に笑うこともできない。
郷里に逃げ帰ることもできないオルガが最後に青年の足音を待つ時間、どんな気持ちでいたのだろうと思う。性格からして開き直って屋敷での生活を楽しむことに決めたとも思い難いし、やけっぱちで翌朝からより苦しい気持ちになるだけなのではないだろうかと思うと切ない。

死/アルツィバーシェフ

医学誌ソロドフニコフは、突如、見習士官ゴロロボフに科学的には解決できない難問を投げかけられ、思索に耽る。

単刀直入なタイトルと同じように、最低限の小説としての装飾だけで作者の「死について」の意見を聞いているような作品。突き詰めて考えると怖くなるから見て見ぬふりをするような諸々について、正面から切り込まれるのでどきっとする。
終わり方が明るいのが救い、議論の場面で終わる話だったら読後にかなり気持ちが落ちてしまいそう。

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