心理系大学院に行くまでの勉強

中心語
ある人に対する印象が形成される際、たとえば「温かい」とか「つめたい」という情報はほかの情報よりも最重視される。こうした中心的な働きをする言葉をアッシュは中心語と呼んだ。そして、中心語が形容する特性がほかの特性を打ち消すどころか、意味をも変えてしまう効果を中心的特性効果という。



以下、最近の愚痴というか悩み。
職場のパートさんの愚痴を聞いたところからただの世間話だったのが、どうやらその後ろに大変なものがかくれていたみたいでどうにかして公的サポートに移れないかを中学時代の恩師とあくせく動いてみている。が、どうにもうまくいかなくて、なんか、今回恩師がいてくれてるからどうにかなっているけれど、もし私がカウンセラーになったとして、私一人でケースを持つのは出来るのか?と不安になってきた。もちろんカウンセラーにはスーパーバイザーがついてるし、医師とかPSWとか色々な人がいてまわっているんだろうけど、その時現場にいられるのはカウンセラーだけなんだよな。ふたりの空間でその背景にある色々に立ち向かえるのか、とか。あとはやっぱり「カウンセラーは自分の傷が癒えてからでないもなれない」という言葉を痛感していて、私は今回のことでかなり疲弊しているしクライエントサイドにいるあの子のことを考えて過去のことがフラバしてパニックおこして号泣してしまったり、色々考えて昨日もよく眠れなかった。知識がいくらあっても、向いているかいないか、と言われると向いてないのかもしれない。それでも大学院には行きたいし、やっぱりなりたい。という気持ちはある。うーん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?