見出し画像

「わたしが」書くことに意味があるので、自分でこの人生を選びました。

三十数年にわたり構築されてきたわたしの世界は、たくさんの思考や具体化されていない「何か」で溢れ、底の方は黒く淀んで澱が沈んでいる。

絵やファッションなど一目でわかる方法でその世界のありさまを訴えるには、あまりに混沌としている。それでは表面的なことしかすくい取れていないといつしか感じるようになっていた。深く潜り、そして沈殿する澱を取り出して浄化してゆくには、どうしても言葉がいる。

わたしは余すことなく伝えたいのだ。わたしがわたしの中に抱えている世界を。最下層の汚れた部分をもさらけだすことで、救われる人がいると信じている。


幼い頃、絵を描くことが好きだった。公園で遊ぶことよりも描いている方が楽しく、画用紙の上ではわたしは鬼ごっこをするときよりもよほど自由にかけまわっていた。

クレヨンや絵の具のケースの中に、たくさんの色が並んでいるのを眺めるのも楽しい。小学校入学のお祝いに、両親から色えんぴつの60色セットをもらった。わたしのお絵かき熱はますます高まり、紙の上に色をのせて自分の愛する世界を描き出すことにさらにのめり込んでいった。

好んで描くのはお姫さま。フリルやリボンが嫌いな母に買い与えられることはなかった「女の子らしい」装いへの憧れが、そのまま何十枚もの画用紙に塗り込められていった。


お姫さまといえば、若いころにはロリィタファッションに傾倒していたこともある。

パニエで大きく膨らませたジャンパースカートに、フリルとリボンでデコレーションされたブラウスを合わせる。レース付きのニーハイソックスに、厚底おでこ靴。目をとにかく大きく見せ、重心を下にもってくるメイクで、わたしはロリィタとして生きることができる。

子どもの頃に憧れたお姫さまの装いを、大人になってからも体現できる。元より人目を気にしない性質たちでもあったため、ロリィタファッションに夢中になった。大好きな世界を自分の姿かたちで表現できるのは楽しい。

「自分のこと可愛いと思ってんのかな」
そう、わたしは可愛い。世界でいちばん可愛い。
「コスプレ?」
いいえ、これはわたしの矜持。大好きな世界を体現してるという矜持。
「恥ずかしい。みっともない」
あなたはそう思うのね。わたしはそうは思わない。

街ですれ違う見知らぬ人に、家族に、どんなことを言われても平気だった。大きく膨らんだスカートの裾を揺らしながら、大通公園を胸を張って歩いていた。

30代も後半になった今、さすがにロリィタは卒業したが、
「その服を着る勇気はないわ」
「どこで買うの?」
と言われる程度には派手な柄物を好んで着ている。ショッキングピンクやヴィヴィッドなイエロー、ゴールドラメなどの鮮やかな色使いも好きだ。

わたしの世界は、様々な色で満ちている。その色を表現したくて、好きなものを描き、好きなものをまとってきた。そんなふうに生きているうち、どんな意図をもって言われるのか測りかねるが「個性的だね」と評されることも、人よりは多いだろう人生を歩んでいる。


「人間はその個性に合った事件に出逢う」

そんな一節に、先日読んだ本の中で出会った。わたしも「自分の個性に合った事件」にいくつか心あたりがある。


おたる水族館というところがある。わたしの住んでいたところからも比較的行きやすい場所にあったため、幼い頃によく連れて行かれた。生き物好き同士が夫婦として暮らしているという事情もあって、大人になってからも何度か訪れていた。

そのおたる水族館には、「オタリア」というアシカによく似た生き物がおり、日々ショーを披露している。子どもの頃に観たショーでは、オタリアがピアノを弾いたり、かんたんなたし算やひき算をしたりしていた。

あるとき、わたしはふと気がついた。

「おたる水族館にいるアシカだから、本当はアシカだけどオタリアという愛称で呼ばれているに違いない」

そう思い込み、また自分で調べるということもしないので、気が付けばそのまま大学生になっていた。その間、中学校や高校の同級生に「オタリアはおたる水族館のアシカの愛称説」を吹聴してまわっていた。彼女たちの反応がどうだったのか記憶にないが、思い込みが是正されなかったところを見ると、信じられてしまったか軽く流されたかのどちらかだろう。

この誤解を解いてくれたのが、のちに夫になる人だった。いつものように「オタリアってねぇ」と話し始めるわたしの話を真剣に聞き、「それは違うと思う」と言いながらパソコンでWikipediaの「オタリア」の項目を検索して見せてくれた。

モニターには、

「オタリア(学名:Otaria flavescens)は、オタリア属に属するアシカ科の海棲哺乳類である」

という説明が映し出されている。

彼が進学のために一人暮らしを始めたばかりの、ロフトつきの小さなアパートでのことだった。


同じころ、電車の中に忘れ物をしたことがあった。

わたしは親から提示された

「自宅から通えて、予備校に行かず、現役で合格できる国公立大学」

という地方在住者にはもはやイチャモンとしか思えない条件で大学進学を決めた。多い時には二回乗り継ぎをし、往復四時間かけて通学していた。

彼氏が一人暮らしを始めたので、何かとそういう・・・・機会も多くなる。いつまでも母親に買ってもらう綿のぬぼっとした下着ではいられない。

そんなことを思い、大学の帰り、乗り継ぎついでに札幌駅で下車して地下街でレースやフリルのついた下着を買った。当時はショッパーが無料だったので、黒い文字のロゴの入った濃いピンク色の袋に入っていたことを覚えている。学生でも買える安物だったが、初めて親の介在なしで下着というものを買ったという事実に高揚感と背徳感を覚えた。

次に会う日が楽しみだな。そう思いながら自宅へ向かう電車に乗り込み、いつものくせで文庫本を開いたのが運の尽き。

読書に夢中になり、下車する駅に停車してからあわてて荷物をまとめることがたびたびあった。この日もあわただしく電車から飛び出したところ、通学に使っていたVivienne Westwoodの黒いバッグは肩にかかっていたものの、ピンクのショッパーが見当たらない。まずい、と思ったものの後の祭りで、買ったばかりの下着を乗せて電車は走り出してしまっていた。

下車駅で相談したところ、車内の忘れ物は終着駅で一定期間保管するので問い合わせてみてと電話番号と駅到着時間を書いたメモを渡された。あとから電話をかけると、男性の声でピンクの袋が届いている旨が伝えられた。

取りに行きます、と言ったのだが、中身を尋ねられ「下着です」と白状する羽目になる。向こうも気まずかったのか一瞬の間の後、すぐに女性スタッフに替わってくれたが、色や柄、サイズを言うことになり、ずいぶんと恥ずかしい思いをした。


思い込みが激しくなく、好きなことにのめり込みすぎず、先々を読んで動く性格だったらこのようなことは起きなかっただろう。

人生で遭遇するあらゆるモノやコトは、自分自身が引き寄せている、という話もよく聞くが、あながち間違ってはいないと思う。


大したことは起きていないわたしの人生だが、今のところ最大の「事件」といえば、不妊治療に挑んでも子どもが生まれなかったことである。

日本で受けられた検査はすべて受け、治療も行き着くところまで行った。授かりはしたけれど、その子は生まれることなくあっという間にわたしの手からこぼれ落ちていった。

どうしてそのくじを引いたのが自分なのだろうと思い悩み、夫の隣で寝たふりをしながら密かに泣いていたことも1度や2度ではない。夫は多分、気づいていない。わたしが泣くのは、夫がいびきをかきはじめ、「わたしひとりだけが取り残されている」とジャンクな孤独に浸っているときだけだったから。

夫とこの涙が共有できていたら、もう少し立ち直りも早かったのかもしれない。だが、夫に弱っている自分を見せる行為は、何だか彼を責めているような構図になる気がしてどうしてもできなかった。

医師から新たな治療の手立てが提案されなくなったが、毎日2錠飲む1錠1000円の薬は増量になり出費ばかりがかさんだ。やがてコロナ禍がやってきて、その種の薬を飲んでいると新型コロナウイルスに感染したときに重症化しやすいと報道されはじめた。

クリニックに向かう気持ち、我が子を抱いてみたいという気持ちは、自分で終わりの決断を下す前に、なんとはなしにしぼんでしまった。20代のころから抱えてきた「産めない自分」というものに疲れ、いつまで続くのか分からない閉塞感にうんざりしていたわたしには、ある意味で渡りに船だったと言える。

こうして子どもを産むために数十万円のガチャを引き続ける生活には見切りをつけることはできたが、「我が子を抱きたい」という気持ちにけり・・をつけられたかどうか、ということはまた別である。

子育て支援や少子化、芸能人の妊娠・出産に関するニュースを見るたび、職場で新たに子を産む人が増えるたび、わたしの世界には澱のようなものが溜まっていき、時折激しく揺すぶられて暗く濁る。

次世代に命を繋ぐという生命の基本方針にさえ従えない自分がひどく情けなく思えた。それまでの数年間を我が子に出逢うことを第一の目的として生きてきたため、この先は何を目指して歩んでいけばよいのかが分からなくなった。

それでも「個性に合った事件に出逢う」のが人生なら、この人生も送るべくして送り、自ら選びとっているものなのだろう。

思い込みによりトンデモ説を得意げに言いふらし、電車の中に赤ん坊ごとベビーカーを忘れてきそうな人間である。子育てをするよりもこの身に降りかかるすべてを面白がって生きていき、そしてそれを吹聴して歩くことがわたしの本分なのかもしれない。たとえそれが自分自身の心から生み出された、真っ黒な何かだったとしても。


今、わたしはあの頃の画用紙と色えんぴつを、そしてパニエとヘッドドレスを、iPadとキーボードに持ち変えてわたしの見ている世界を紡いでいる。それはそのままにしておくと誰にも気づかれることなく過ぎ去って、やがて消えてしまう日常のほんの一瞬に色を塗り、装いも新たに浮かび上がらせる営みだ。そうすることで、わたしにさえ捨て置かれてしまう日々や思考、わたしだけのものでしかなかったこの世界に、意味が生まれる。

さいわいにしてわたしが面白がりながら紡ぐわたしの世界を、面白がって読んでくれる人がいる。

書くことで伝えたいという欲望に忠実に行動した結果、喜んでくれる人がいるのなら、わたしはわたしの役割をじゅうぶんに果たしていると言えるのではないか。

これがわたしの人生であると胸を張って肯定できるのではないか。

最近、そう思えるようになってきた。