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すずさんのこと

「次の人生が選べるなら、子どもは産まない」

あの日、同じ干支の年上の友人は、ワインを傍らに置いて確かにそう言った。


すずさんとは、もとは同じ職場の同僚という仲だ。わたしが転勤した先で、職員室の席が隣同士だった。わたしは特別支援学級担任として、すずさんは通常学級担任として、それぞれ6年生を受け持っていたこともあり、いろいろと話をするうちに打ち解けて仲良くなった。

すずさんはさばけた感じの気持ちの良い人で、子どもたちからも好かれていた。卒業文集の担任紹介ページで、自分の学級の子達に「最近ほうれい線がますます気になる」「夜中にソファーに寝っ転がって、トシちゃんのコンサート映像を観ながらポテチをむさぼる」などと書かれても、

「めぐみさん、これ見て!  ひどい」

と言葉とは裏腹に、ケラケラ笑って原稿チェックをしている。

わたしももちろんそんなすずさんが大好きで、仕事以外の場面でも一緒にご飯を食べに行ったり、お茶をしたりするようになった。時系列は前後するが、一学期も終わりに近付いたある日、その日の仕事を終えて帰ろうとしたタイミングで

「金曜日空いてる? うなぎ、食べに行かない?」

と声をかけられた。別にうなぎの名産地でもなんでもないが、職場から少し離れた住宅街の中に名店と名高いうなぎ専門店があるのだという。気ままな夫婦二人暮らしで、特に用事もないわたしは二つ返事で了承した。

三席のカウンターと、四人がけの小上がり席が二つのその店は、店舗前の駐車スペースにわたしとすずさんの車を停めると、間口はもうそれでいっぱいになる。明るいうちに店を訪れたわたしたちはカウンターに通され、それぞれうな重を頼んだ。メニュー表に載っていたのは、うな丼、うな重、白焼き、そしてお酒が少し。店で出しているうなぎはすべて浜名湖のうなぎだという大将の話を聞きながら、すずさんはどうやってこういう店を見つけてくるのだろうと思っていた。小さなうなぎ店は、暗くなるにつれてあっという間に満席。食べ終わるとそそくさと席を立ち、それぞれ五千円を支払う。

「今度は白焼き、食べにきてください。美味しいので」

店を辞する前、大将にそう言われた。確か、白焼きは四千五百円。わたしは白焼きの食べ方を、未だに知らない。

その年の卒業式当日には、なぜかわたしとすずさんでツーショットを撮った。カメラマンは教務主任だ。彼が自分から「撮るかい?」と言ってきたので、それぞれのiPhoneを渡し、お願いした。お祝いの花と並んで写るためにバストショットで撮られたその写真は、一見飲み屋のママとチーママのようで、画面を見ながらおかしくて笑った。わたしもすずさんも、普段から決して薄くはないメイクが卒業式仕様になり、そして夜会巻きにしていた。写真の中のすずさんは海老色、わたしは鴇色の附下げを着付けて微笑んでいる。

新年度を迎えて受け持つ学年が分かれ、職員室の席が隣同士ではなくなっても、わたしたちの仲は変わらなかった。さすがに放課後、前のように雑談をする機会は減ったが、その分夏休みや冬休みに互いの有休を合わせ、ご飯を食べつついろいろなことを話したり、本屋さんへ行ったりした。

大通のジュンク堂でわたしはすずさんから前野ウルド浩太郎の『バッタを倒しにアフリカへ』を薦められ、すずさんはわたしから町田康『ギケイキ』を薦められ、それぞれ購入。すずさんは大変な読書家で、わたしが小説以外の本を読むようになったのは彼女の影響が大きい。


すずさんとの交流は、彼女の異動後も続いていた。物理的な場所の移動によりその都度人間関係をリセットしがちなわたしには、とても珍しいことだった。

わたしが不妊治療をしていたことを知っているのは、実家の家族を含め管理職以外ではすずさんだけ。この人になら話してもいいと思えた。母にも言えなかったことを、すずさんには話すことができた。


すずさんと出会った職場からわたしも異動して初めての冬、わたしたちはさっぽろ創成スクエアなる複合施設で、久しぶりに会っていた。北海道で初めてのオペラやバレエなどの舞台芸術が鑑賞ができるホールや、水曜どうでしょうを制作している放送局が入っているその施設には、カジュアルなフレンチレストランも入っている。

吹き抜けになった上階の天井まである大きな窓を背景に、すずさんは座っていた。仕事中はきつく束ねていた肩より長い髪の毛を、大きめのカールで巻いている。耳には大振りのゴールドのピアス。いつものことながら、とてもおしゃれでわたしは嬉しくなる。冬の札幌には珍しく、雪がちらつくこともないすっきりと晴れた日だった。

「昼間だけど飲んでもいい?」

久しぶり、元気だった、と声をかけ合うなり、すずさんはグラスコードで胸にぶら下げた眼鏡をかけ、メニューを開きながら言う。どうぞ、と言いかけて、

「わたしも飲もうかな」

ワインのページを一緒にのぞき込む。

「あれ、お酒いいの?」
「いいんです。治療、もうやめることにしました」
「そっかそっか。何にする? お肉だから赤かな。スパークリングも美味しそう」
「アルコール久しぶりだからなぁ⋯⋯ミモザとかにしようかな」

運ばれてきたグラスを小さく合わせ、乾杯。すずさんには赤ワインがよく似合う。

どちらからともなくグラスを白いクロスの上に置き、心地よい沈黙が二人の間を漂う。その静けさを少しの間味わった後、すずさんが

「あのねぇ⋯⋯めぐみさんの遺伝子は次の世代にも残った方がいいってあたしは思ってたんだけど」

と切り出した。

「誰にも言ったことがなかったんだけど、あたしはね、息子を産んでよかったなって思ったのって、息子が成人して一緒にお酒を飲んだときが初めてだった」
「⋯⋯そうなんですか」

すずさんの発言の真意を測りかね、意味のない相槌を打った。すずさんは自分の子育てを振り返るように、低めの小さな、それでいて芯のある声で、赤い唇の間から言葉をつむぎ出してゆく。

「もちろん愛情がないわけじゃない。楽しいこともたくさんあったし、息子がいなければ経験できなかったこともたくさんあったよ。でも、よかったなって子育てしてるときは思えなかったのね」

わたしは真剣な顔つきで語られるその独白を、うなずきながら黙って聞いている。わたしに今求められている役割は、それしかないように思われた。

「もし次の人生が自分で選べるなら、子どもは産まない。本当に大好きな人と結婚して、休みの日はその人とコーヒーの美味しいカフェで一日読書をして過ごすって決めてるの」

息子と関係が悪いわけじゃないけどね。正月にも帰ってきていたし。そう言ってから、すずさんはもう一度ワインに口をつけた。

「旦那さんのこと、好きでしょ」
「好きです」
「じゃあ大丈夫」

ランチコースの一品目が運ばれてきて、この話題はそこで終わりになった。わたしは一人暮らしをしているすずさんの過去について、ほとんど話を聞いたことがなかったことに気がついた。

数年経った今も、わたしはこの時の会話を時おり思い出す。


すずさんと会ったのは、これが最後になっている。すずさんは大変な読書家であるとともに大の旅好きで、アフターコロナでは長期休みのたびに水を得た魚のようにあちこち飛び回っていた。連絡したらドバイにいる、と言われたこともあった。わたしも転勤した先で担任以外の新たな役割を与えられ、それに伴う研修や面談が続いてなかなかスケジュールが合わずにいた。


すずさんと同じ学校に勤めていた時、特別支援教育というテーマで学校便りの一面を書いたことがある。すずさんはそれを読んだ後、

「めぐみさん、上手に書くね。エッセイとかも書けるんじゃない?」

と言っていた。管理職のチェックを経ても、公文書基準で漢字変換をする以外はほとんど直されずに全家庭に配布された、純度百パーセントのわたしの文章だった。

今年の夏は、早めにすずさんに連絡をしよう。白焼きを食べに行かなくては。わたしは今、かつてないほど真剣に書くことと向き合っている。そのことを伝えたら、すずさんはきっと喜んでくれるに違いない。