『さらば時空勇者タマデラス』脚本公開に寄せて

「実現しなかった作品」

というものには、どこか抗いがたい、儚い魅力がある気がします。
今日は、そんな作品について少しだけ思い返してみようと思います。

「しゃべるな!マナジーがなくなるぞ!」
初音ミクのフィギュアを手に謎のミュージカルを繰り広げる頭髪に特徴のある勇者の動画が13年前にちょっとだけ流行ったのを、知っている方はどれくらいいるのでしょうか。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7268716

元々は演劇公演の派生ネタ動画だった上記の動画への反応を受けて、2011年から本格的に活動をスタートさせたインターネット演劇集団「時空動画」に僕が関わるようになったのは、最初は単に主宰のマナジーPこと矢ヶ部さんと知り合いだったから、そして単純な技術面のお手伝いとしてでした。
あまりにもぶっ飛んだその動画内容に、どちらかというとマジメ君な自分が「作家」として関与する余地はないだろうと思っていましたし、ぶっちゃけた話「この人たちと関わっていく先に、自分の作りたいものを作れる未来なんてあるんだろうか?」と、思ったりもしていました。

そんな折、2011年の終わり頃だったと思います。
矢ヶ部さんから
「時空動画で映画を作りたいんだ」
という話が出ました。

話をしていくと、それは、自分たちと、当時のニコニコ動画という文化圏が生み出した「時空勇者タマデラス」という偶像を自ら叩き壊すことで、自分たちも、それを面白がっていた人たちも巻き込んだ、よりクリエイティブで面白い世界を牽引していきたい、という、とても壮大な野望でした。
のちに制作することとなった「スマホ仮面」シリーズにおける「本物と偽物≒プロとアマ」の境界をぶち壊してネット発信のモノづくりの現実を拡張したい、みたいなテーマの原型は、間違いなくこの時点でありました。

そして、その作品の監督・脚本をしてほしい、と言われました。

僕が燃え上がったのは言うまでもありません。
間違いなく「時空動画」のノリに対して関係者の中で一番冷めていたであろう僕に、自分の子供のような作品の「幕引き」を任せるという懐の深さにも痺れましたし、確かに、だからこそ僕にしか作れない作品かもしれないと思いました。

ファンタジーを通して現実を描く作品には僕も好きな作品がたくさんありました。
実は時空動画の世界観は、「現代的なファンタジー論」を語るのにものすごく適しているのではないかと思いました。
それは一個人が思いついても簡単には用意できない、贅沢なお膳立てだとも。

「これなら、ここで自分のやりたいことができるぞ」と思いました。

年が明けて2012年になってからは、ものすごい回数の企画会議を重ねました。
僕と矢ヶ部さんだけではなく、VFX・プロデュースとしての生㌔Pや、時空メンバーも交えて、ニコニコで公開していた動画群の最終回としても機能しつつ、一作品として独立して成立しうる世界観を整理するとともに、「時空動画」の根底にあったメッセージは何なのか、人の心にとっての「ファンタジー」とは何なのか、「マナジー」とは何なのか…真剣にひとつひとつ、答えを出していきました。

また、当時の僕らは世間知らずだったのに夢想は大きくて、うまくプレゼンすればどこかから制作費も調達できるかもしれない…みたいなことも話していて、同時進行で、プレゼン資料としての「デモムービー」も制作しました。
脚本が仕上がってもいない段階で、おそらく見せ場となるであろう場面の断片を抜粋して、そのために先行してキャスティングもして、のちのスマホ仮面と同等の(むしろちょっと綺麗なくらいの)映像テイストで、3分ちょっとの映像を仕上げました。
2012年の春頃のことでした。
どこかのイベントで一度だけ上映していたはずなので、コアな時空ファンの方の中には、ご覧になられた方もいるかと思います。

制作過程のコンセプトとしても、詳細なメイキングを作ってモノづくりの裏側、何が大変でどこに人やお金がかかるのか…を解き明かしていくことで、ニコニコ動画やその周辺で創作活動をしている人、それをあまり深く考えずに消費している人たちへの啓蒙にもなるような企画にしたいねというような話もしていました。
あと主題歌をアゴアニキに書き下ろしてもらおう!とかも言ってましたね。懐かしい。

そして同年7月、時期としては、「時空動画MF」と呼ばれていた動画群の最終話前後の頃に、劇場版時空動画「さらば時空勇者タマデラス」の脚本第一稿が完成しました。
頭から湯気が出そうでした。

しかし。

その頃には、本作の企画が始動した頃とは、時空動画を取り巻く環境も少しずつ変わり始めていました。
メンバーの活動休止や就職など色々なタイミングの問題もあり、脚本があってもすぐには動けない、という状態でした。
ここで、本作の作業はストップしました。

そこで、内容的にもかなりスケールの大きかったこの「さらタマ」が本当に自分達に作れるのかという腕試しと、撮影やVFX、アクションなどのチームビルディングのための「前哨戦」として、ひとつ別の作品を作ってみてはどうか、という話になりました。

こうして誕生したのが「現実拡張スマホ仮面」でした。

もともと、全ては後に控える「さらタマ」のため、でした。

スマホ仮面の制作をめぐる細かい経緯についてはここでは割愛します。

スマホ仮面は、お陰様でとても良い反響を頂きました。
このチームで面白いものが、単なるネタにとどまらない「作品」が作れる!という期待は確信に変わっていきました。

さらに当時メジャーになり始めていたクラウドファンディングを、「さらタマ」が作れるタイミングが訪れた時に最大限活用できるよう、すでに時空本編よりも認知度の高いスマホ仮面シリーズで一度やってみよう、というような考えから急遽作られることになった続編「スマホ仮面SPECIAL」も、見事ファンディングに成功し、作品自体も、たくさんの好評を頂きました。

でも、そうこうしているうちに「さらタマ」の実現可能性は少しずつ、でも確実に、遠のいていっていました。

いろんな理由があって一概には言えないと思うのですが、あえて一言でシンプルに言えば
「時空動画メンバーと関係者が本気でこの場所に人生を捧げられる期間」を、スマホ仮面シリーズは使い切ってしまったんじゃないか、と思います。

スマホ仮面SPの制作に入る前の時点ですでに、それぞれの人生を鑑みた時、もはや「さらタマ」を作ることはどう考えても、無理な状況になっていました。
作品を通して描こうとしていた「薄っぺらいファンタジーと決別し現実に立ち向かう」というテーマに、皮肉にも制作陣が先に追いつかれてしまい、それぞれが人生のための現実的な選択をしていったことで、僕らの薄っぺらいファンタジーだったこの企画は、夢幻の彼方に消えることとなりました。

誰が悪かった、というようなことは全く思っていません。
今となっては、どんなルートを通っていても、当時の僕たちにこの作品を実現できていた道は、なかったように思います。
仮に実現していたとしても、当時の僕に思い描いていた世界を具現化する力はなかったでしょう。
あるいは、もし奇跡的に今この作品を実現できる環境がすべて整ったとしても、それはもう、この作品たり得ないでしょう。
この作品が企画されたことでスマホ仮面が生まれ、数々の出会いが生まれ、それぞれの未来に何らかの形で繋がっていった。
それだけでこの作品は十分な役割を果たしたのだと思います。

ただ、そもそも僕が時空動画と長い時間を共にしようと決意できたのは、その果てに必ずやこの作品を作りたいという思いがあったからでした。
それはついに果たされることはありませんでした。

時は流れ。
あの日々への想いは、それぞれがそれぞれに決着をつけて、今を生きていると思うのですが。
先日、何の気なしに、久しぶりに脚本を読み返してみました。

未練や後悔としてではなく、この作品を懐かしく思い返すことは時々あったのですが、
先日読んだ時、改めて僕にはこの作品が「過去の僕らからの問いかけ」のように思えました。

現実を疎かにファンタジーに逃げるのではなく、
ファンタジーを捨てて現実に逃げるのでもない。
クリエイターたる僕たちの、そして、これからの1億総クリエイター時代を生きる全ての人の戦うべき本当の戦いとは。
そんなことが、当時の僕たちがあの作品に込めた想いでした。

時空動画はその後、紆余曲折を経て時空DO画と名を変えて活動を続けたりもしていて、僕の知る限り、明確に「終わり」を迎えてはいません。
潔く終わることが予定されていた戦士たちのファンタジーは、皮肉にも、作り手たちが一度現実に押し負けた結果、「終わる」ことはありませんでした。
そしてその中心に「彼」の姿はもうありません。

当時時空動画に関わっていた僕たちは、みんな今、それぞれの場所でそれぞれの人生を生きています。
それは決して「何かを諦めた人生」なんかではなく、それぞれが見つけた新しい、戦いの場所だと思います。

もしかしたら、最初からそれが答えだったのかもしれない。
今の僕たちの生き方こそが、あの作品のテーマをちゃんと体現しているのかもしれない。
それぞれが自分の現実を見つけ、向き合いながら、できる範囲の戦いを続けている今。
自分のファンタジーと現実を都合よく混同して、届くはずもない場所を夢想し、意味のある戦いをしていると錯覚していたのは、当時の僕らの方だったのかもしれない。
そんな状態で時空動画に「最終回」というケジメをつけたところで、何も変わらなかったのかもしれない。

うーん。本当にそうだろうか?
やっぱりあの物語は、一度ちゃんと終わらせてあげるべきだったんじゃないか?
それに本当に今の僕らは「己の信じるファンタジーを胸に抱き、正しく現実と戦えて」いるのだろうか?

そんなことを考えていたら、この作品を、当時の僕らを知る人たち(あるいは知らない人たち)に問いかけることには、何か意味があるような気がしてきました。
むしろこの作品を世に出す形として、これが一番ふさわしかったのかもしれないとすら思えてきています。

あくまでも脚本は第一稿で作業が止まっているので、スマートに完成しているとは言い難い内容です。
一部メモ書きのようになっていたり、作中の用語を知らない人が読むことを想定されていなかったりします。
「どうやってこれ撮るつもりだったんだよ」と目を疑う&苦笑いな描写もたくさんあります。
何よりあのややこしい世界観にまつわる記憶が薄れた今読むと、「時空動画を知らなくても観れる独立した作品」としてのバランスには全然到達できていないなーとも思います。
でも、僕らのやりたかったことはなんとなく伝わるのではないかなと思います。
なので、書き直したい!とか書き足したい!と思う部分も、グッと堪えて当時のままにしています。

僕らの、彼らの日々を、代表して振り返るような資格は僕には全くありませんが。
若かった。本当に若かった。
彼らの言葉を借りるなら、ハゲしかった。
この作品を通して、あの活動を通して、いつか「本当の勇者」になれると、きっと全員が信じていました。
そんな日々へのタイムカプセルを開けることで、あなた自身も含む、それぞれの今に想いを馳せるのは、ちょっとセンチメンタルで、素敵な遊びになるのではないかなと思います。

幻の映画
『さらば時空勇者タマデラス』
10年越しの、脳内スクリーンでのささやかなプレミア上映を、楽しんで頂けたら幸いです。

2022年11月23日
堤真矢

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スマホ仮面配信から10周年を記念して、そもそも僕が時空動画と本格的に関わることになった理由でもある、2012年に執筆した幻の「劇場版 時空…

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