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池の魚は食べられない
ある貧しい村に大きな池がありました。
この池にはたくさんの魚が住んでいました。
でも、村人はみな「池の魚なんか食べられない」と言います。
この村で長くから伝わる、言い伝えでした。
事情があって遠くの村から引っ越してきたあなた。
この村の住民にはまだまだ馴染んでいません。
誰もまともに話を聞いてくれません。
今年は干ばつで農作物が不作。
秋から冬にかけて、村は飢えていました。
「私の村では池の魚を食べていたのに、みんな食べないのはなぜ?」
池の魚が食べられるということを伝えたい。
でも、村人は聞き入れません。
お腹を空かせても、
「これが運命なんだ」と思い込んでいます。
あなたは、どうしますか?
1. 「私の村では池の魚を食べてるぞ」と伝えてあげる
2.「魚の正しいとり方講座」を実施する
3.まず自分が調理して食べてみて、「ほら、食べられますよ」と伝えてあげる
4.その他 ( )
▼
ちょっと考えてみる。
1の「私の村では池の魚を食べてるぞ」と伝えてあげるは、よそ者の私が別の村の話をしても、「それは別の村の話でしょ。。は?」ってなるやつ。
2の「魚の正しいとり方講座」は、魚をとりたい人には意味があるかもしれないけど、この村の人はそうではない。間違ってこれを【必修です】なんて言ってしまった日には、大ブーイング必至なやつ。
3の「ほら、食べられますよ」は、山本五十六の"が「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ"の世界かもしれない。でも、よそ者がやってみたところで、「君は私たちとは違うから」と見向きもされないやつ。
きっと正解は4のその他なんだけど、香川県のてっぱいの話がヒントになりそうな気がするのです。
(引用)
てっぱいは各地で具材や味付けに違いがある。独特のくせは、ご当地の「顔」だ。「腕自慢の連中が集まっとるからなあ。でも、話し合って味を調整していくのが楽しいんよ」。そう言って味付けを見守る大西会長は本当に楽しそう。
高瀬町下麻の石井義一さん。自他ともに認める「てっぱいの第一人者」だ。幼少のころからてっぱいの味に親しみ、大人になってからはシーズンが来ると漁に出かけ、包丁片手に自慢の腕を振るっている。
「臭みの消し方がポイント。トウガラシなどの薬味に加えてレモンを使うこともある」。調理手法には長年の経験からくるこだわりがある。しかし時代とともにてっぱいの需要は減ってきた。「今はいつでも海の魚が食べられるから。息子なんかは好きじゃないみたいやなあ」。そう話す石井さんは少し寂しそうだ。
https://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/syoku/2/
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