まがまが

 22歳も終わりに近づいたというのに、禍々しい気持ちでいっぱいで困ってしまう。
そして、それら一つ一つをここに書いてゆけば、色んな人を傷付けてしまうということを分かる程度には22歳(終わりかけ)の私は大人である。
植物が二酸化炭素を酸素に変えるみたいに、禍々しさを変換して美しい言葉などで吐き出せればいいのに。そのためには太陽が必要になるが、人間にとってのそれはなんだろう。
 私が日々蓄積させてゆく禍々しさは、単品そのものでは大したものではない。ほぼ無、である。しかし、濃縮させてゆくにつれて暗く光ってゆく。日々吸収しているはずの「ほぼ無」はその軽さのために無視してしまう。ちょっとした小雨に振られた時みたいに。「こんくらいなら」って傘をささずに走って帰るけど、ずっと浴びていたらしっかりとびしょ濡れになる。そんな感じで、無視をして走り去ろうとする。だけど思ったより私の足は遅くていつまで経っても家には帰れない。日常のワンシーンで小雨に振られている。

【雨が降る】
普通を考えた時。
今後、を考えた時。女、と考えた時。勝てない、と考えた時。偏りを感じる時。など、、、、

 考えてみれば、子供の頃から「普通」という言葉が嫌いだった。詳しく言うのなら、その言葉を物に使うことはよくても、人に使うことが嫌いだった。それは個性的でありたいとか、そういうものではなくて「普通とかないだろ」と思っていたからだ。今もそう思っている。普通の人とか、普通の幸せとか、普通の人生とか、そういったものに触れるたびに小雨が降って1禍々ポイントをゲットしている。人に普通ってなんだ。人生の普通ってなんだ。幸せに普通ってなんだ。あやふやな杓子で測るのやめてもらってもいいですか。そんなあやふやなもので、殴られている私の身にもなってくれ。


 あのー、そろそろ太陽とやらが存在するのであれば、あっためてもらっても良いですかね。乾かしたいし、ついでに光合成をさせて頂きたいですし。もっと美しいものを吐き出していたいのに。あわよくば、美しさだけを吸って美しさだけを吐いていられるなら、私の幸せはそれかもしれません。

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