見出し画像

「勉強」ってナンダ?


友人の子どもたちが、今年は受験生が多いので「勉強」について考えることが増えています。

高校受験、大学受験、もうほんとに最近の受験生の親御さんは大変だなぁと友人たちの話を聞いて思う。当たり前なのかもしれないけれど、私たちが学生の頃と全然空気が違う。

大人の事情も色々あるけれど、子どもたちにとって受験てなんだろうな、というか「学ぶ=勉強」ってなんだろうなと考えてしまうことが増えて、私なりの答えは見つかったけれど、多分その答えでは高校受験を控えた思春期真っ盛りのあの子には響かないんだろうなぁ…と落ち込む日々。まぁ別に「“学び=勉強”とは何か、説得してみろ!」と言われたわけでもなく、誰にもこのテーマの解を求められていないので余計なお世話なのだけど笑。

それでもやっぱり考えてしまう。
「学ぶ=勉強」ってなんだろう?
なぜやらなくちゃいけないのかな。
もしかしてやらなくてもいいのかな?

私の中に答えはあるけれど、それが子どもたちに響くとは思えず。悔しい。もどかしい。

かと思えば。

自分の夢に向かって、1分1秒も無駄にしない勢いで勉強をしている子もいて。もう本当に眩しい。
夢に気づいてから1年以上、真っしぐらに勉強をしている。それをがっちりサポートする親御さんも素晴らしい。

そして、そういう子をみると「学ぶ=勉強」の果てしなさを感じて、愕然としてしまったりもして。

学ぶ=勉強って何だろうな。

私は人に自慢できるようなものは何も持ってないし、不器用な人間だから人から誤解されることも多かったので「学ぶ=勉強」することで「共通言語」を手に入れることができて。それは私に無いものを補ってくれるとても役に立つツールで、自分が社会に生きる上でとても心強かったので「学ぶ=勉強」って必要だと思ってきたけれど。

なーんか。そんなことじゃなくて。

夢中になれることがあれば、そこから色んな学びが始まっていくことにフォーカスしてほしいなと思っているのですが。まだまだ言語化できなくて、もっともっと考えてしまうのだろうなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?